幼少編・11『神秘術の申し子』

 

「ルルク様、本当にありがとうございました」


 屋敷に戻ってくると、開口一番リーナが頭を下げた。



 結局リーナたちの買い物はできなかった。俺の外出はいずれ父バレるとは思うけど、最初から叱られることなんて織り込み済みだ。それよりリリスの窮地を救えたことが何よりの結果だろう。


 リーナにとってもそれは同じだったようで、馬車から降りて屋敷の中に入るなり、俺の手を握って熱の籠った視線を幼い俺に向けてきたのだった。


「私は、いままで愚かでした」

「あの……リーナさん?」

「旦那様の顔色ばかりうかがって、ルルク様のことを避けておりました。リリスが書斎のルルク様に会いにゆくことも引き留めておりました。屋敷内で顔を合わせても言葉もかけず、正直、無礼な態度だったと思います。それなのにルルク様はリリスのことを決死の覚悟で守ってくださいました。本当に……本当になんとお詫びしていいかわかりません。ルルク様のご慈悲と勇敢な心に、私は感銘を受けました」

「えっと、リーナさん?」

「ゆえに私は……いいえ、私と娘は、旦那様になんと言われようとこれからルルク様にお仕えします」


 いや、いきなりすぎて話についていけないんですが。

 仕えるっていっても同じ公爵家の家族ですよね?


「いいえ。第一夫人の子息であるルルク様と、第三夫人である私やその娘リリスでは立場が違います。リリスはいずれ公爵家に見合った貴族様に娶られるための、いわば政治の道具でございます。旦那様が私を娶って女児を産ませたのはそういう政治的手段を作るためでした」

「え、本当ですか? 愛は……コホン、そこに愛はないんか?」

「あったとしても、道具として見られていることは確かです。ルルク様はその道具を使う立場でございます。ルルク様は忌み子という重荷を背負ってなお、それ以上の力と勇気を示してくださいました。これからは一人の母親として、私リーナ=ムーテルはルルク様に忠義を捧げます」


 忠義とな。

 リリスの母親とはいえ小柄な美人にそう言われると、なんだか嬉し恥ずかしい気分だぜ。

 とはいえ妹の母親をはべらせるような趣味はないので、丁重に断っておく。


「リリスを助けたのは、俺がやりたくてやったことですよ。リーナさんが恩義を感じる必要はないのでこれからは気軽に接して下さい」

「そういうわけには」

「それにリリスは妹ですしね。忠義とか仕えるとかじゃなくて、妹には妹らしくしてほしいんです。リーナさんにも母親らしく」

「……母親、ですか」

「はい。それでだめでしょうか」


 そう言うとリーナは言葉の意味を深読みしたのか、ぽんと手を打って。


「かしこまりました。ルルク様……いえ、坊や」

「ふわっ!?」


 ちょっと待って。いきなり抱きしめられたんだけど!

 奥さんダメです! ダメですってば! こんなことしたらいけません! あなたには旦那がいるんでしょう! まあ俺の父親なんですけどね!

 というかめっちゃ柔らかい……いい匂いもする。俺に理性がなけりゃあ迷わず抱き返してたね。


「ルルク様は母親というものを知りませんでしたね。わかりました、私がルルク様の母親になります。思う存分甘えてもいいのですよ」

「え? いや、そうじゃな――」

「可愛い可愛い私の坊や。あなたは本当に素晴らしい息子です」

「いやだから――」


 五歳児の腕力では抜け出すこともできずに、なすがままに抱きしめられていた。

 心はまだまだ思春期なのだ。

 ぶっちゃけ恥ずかしすぎて気が狂いそうだった。






「ちょいとこっちにおいで、ルルク坊ちゃん」


 ひとしきり俺を愛でて満足したのか、鼻歌まじりに玄関ロビーから去っていったリーナ。


 いやほんと大変な目に合った。リーナさんって呼んでもなかなか離してくれなかったから、様々な葛藤のすえに母上と呼んでようやく解放されたのだ。ああまだ顔が熱いぜ。


 ヴェルガナは「ついておいで」と言いながら体温を冷ましてる俺を無理やり引きずっていく。そのままヴェルガナの私室へと無言で連行されました。


 部屋に入ったヴェルガナは、小さな書棚から一冊の本を抜き取って俺に投げてきた。古くて薄い本だった。薄い本っていっても肌色の多い画集ではないぞ? 表紙は文字だけだった。


 その本はしばらく触れてなかったのか分厚い埃を被っていた。俺は窓のそばで埃を払ってから、出てきた表題を読み上げる。

 

「『神秘術の心得』……これって?」

「入門書さね。アタシが子どもの頃に買ってもらったものだから、文字も掠れてるかもしれないけどねぇ」

「そんな大事なものなのにいいんですか? というか、ヴェルガナも神秘術を?」

「アタシはわずかに素質はあったけど、残念ながら習得するほどじゃなかったさね。ルルク坊ちゃん、アンタならモノにできるだろうさ。それに本ってのは読まれてこそ価値がある。書棚に眠ってるよりはいい使い道さ」

「そうでしたか。ありがとうございます」

「神秘術はが関門だからね。アタシもそこで躓いて諦めたクチさ。……夕飯までは時間もあるからちょうどいい、助言してやるからここで読んでみな」


 ヴェルガナが椅子に座りながら薄い笑みを浮かべる。なんか悪だくみをするような表情な気がするけど……ま、いいか。どうせ俺の部屋に戻っても明かりがつけられないからそのうち読めなくなる。ここなら食事時まで読み放題だ。

 俺は勧められるがまま、本を開いて読み始めた。


 本の冒頭には、神秘術とは何か、ということが書かれていた。


 簡単に説明すると、神秘術とはこの世界に満ちている三大要素のひとつ『霊素』を用いて使用する技術だ。ちなみに他のふたつは『元素』と『魔素』で元素は理術、魔素は魔術に使用される。


 この3つを三大技術と呼び、神秘術はかつて理術と魔術に並ぶほどの扱いを受けていたんだという。


 しかし魔術の普及にともなって神秘術の流行は下火になり、習得の困難さも相まって使える者がどんどん減っていった。現在(おそらくヴェルガナの子ども時代)、神秘術士は世界の人口比率でわずかに0.001%……つまり十万人にひとりしかいないと統計が取られている。


 たしかこの街の人口が約一万人だから、まあこの街にはいないんだろうな。


 そもそも神秘術が廃れた背景には、魔術の利便性が関係あるらしい。

 魔術は魔力さえあれば自分に適した属性をすぐに使えるようになる。そのうえ詠唱と想像力イメージであらゆる状況に対して出力をコントロールできてしまう。


 例えば火魔術であれば薪に火をつけるのはもちろん、冷水を温水に変えたり、室温をコントロールしたりなど、効果効能が一定ではなく調整できるゆえに、魔術はあらゆる状況に対応して普及していった。


 対して神秘術は、魔術のようにを持たない。神秘術にできることは大まかに分類して三つ――『召喚』『情報の書き換え』『具象化』だけ。属性情報を組み込むことができないため、日常生活ではほとんど役に立たないという研究者向きの技術だった。

 それゆえ使用人口が減りはすれども増えることはなかったという。


 しかしそんな神秘術にも、魔術にはない大きな利点がある。

 それが霊素を使うという手法そのものだ。


 魔術は前提条件として魔素を魔力に体内で変換しなければならず、魔術には魔力を消費する。つまり体内の魔力量によって使える魔術や回数が変化する。しかも魔力切れが起こると生命活動が低下して行動に支障がでるというデメリットがある。


 だが神秘術は、霊素をそのまま利用する。

 霊素は大気中に満ちているため、魔力のようにガス欠になることがない。霊素操作さえ間違わなければ制限なく使用できるうえに、魔術と違って一度でも覚えた神秘術はすべてスキルとして発動できるため詠唱の手間がいらない。ようはノーリスクで使いたい放題なのだ。


 もっとも〝スキル〟という存在自体が術式の効能をしたものだから、魔術のような器用な使用法はできず、あとは使用者の工夫にゆだねられるというデメリットはあるけれど。

 

「ふむふむ……ようは玩具遊びに例えたら、魔術は粘土みたいに形を変えて使えるけど、神秘術はレゴブロックみたいにあるものを積むだけって感じかな」


 なんとなくそんなイメージを受けた。

 兎に角、それで大事なのは、神秘術をどうやって使うかだ。

 霊素はどうやら魔素と同じでそこら中にあるものらしいが……。


「えっと、『まずは霊素を視認できることが神秘術を使えるようになる第一歩です』と。まあそりゃそうだよな。操作するっていうんなら視えないとな……で、その方法は次のページかな?」


 ぺらり、とめくる俺。

 そこに書いてたのは『次に、霊素が視えるようになった場合、その操作方法ですが――』という文字。


 ……。

 …………あれ?

 ページ飛ばしたかな?

 そう思ってめくってみるけど、その間には何もなく。


「……ヴェルガナ! これ不良品ですよ!」

「ハハハ、そこが難関なのさ」


 笑ってやがる。

 もしかしてアレか。霊素を視認するって行程は完全に自力でやらないとダメ……てことォ?


「アタシは三年修業してダメだった。だから魔術だけ学んだのさ」

「三年? そんな時間かかるものなんですか?」

「お師様いわく、ふつうで二年、早い人でも一年くらいはかかるらしいさね。そもそも霊素の性質上、もともと人間が感知できるようなものじゃないらしいからねぇ」

「うぐぐ……そりゃ廃れるわ」


 せっかく見つけた俺の才能がぁあああ。

 二年どころか一ヶ月も続くか怪しいぞ。俺、自分の趣味以外は基本飽き性だからなあ。 

 俺は眉をへの字にして一応聞いておく。


「ちなみに、修行ってどうしたんですか?」

「ひたすら瞑想さね。霊素ってやつは世界樹の根――霊脈から漏れているからね。その霊脈を感じ取れるようになるほうが、霊素を視るよりも簡単だってお師様が言ってたからねぇ」

「……え、世界樹? ソレも実在してたんですか?」

「そりゃそうさね。うん? ルルク坊ちゃん、三賢者の話は読んだんじゃなかったのかい?」


 さも当たり前のように首をひねるヴェルガナ。

 もしかして三賢者の話って本当に全部ノンフィクションなの!?


「そうさね、多少は誇張されてるかもしれないけどほとんど実話だろうねぇ」

「まじですか」


 さすが異世界。ドラゴンや災害級の魔物と戦った話も実話だったとは。

 ……よし、あとでしっかり読み直そう。というか三賢者が実話だったら勇者の話とかも実話なのでは? ってことはアレだな。地球では当たり前の【※この話はフィクションであり実在の~】を当てはめて考えるのはNGってことだな。

 この話は実在の団体・個人に大いに関係がありますのでご注意ください、ってか。


 まあ、そんなことは後回しだ。

 いまは霊素を感じ取る方法が最重要案件。


「霊脈かぁ」

「ルルク坊ちゃんは神秘術練度が最初から1000を超えてるからね。ひょっとしたら半年もしないうちにできるようになるかもしれないねぇ」


 あのニヤケ顔は本気で思ってない顔だ。くそ、なんだかんだ言ってもヴェルガナはケツ叩いて走らせる鬼教官だな……俺が苦しむ姿を楽しんでやがる。ちょっとガウイの気持ちが少しわかった気がするぜ。

 とはいえ、やらない選択肢はない。とりあえずモノは試しだ。

 俺は座禅を組んで、目を閉じてみる。

 集中、集中……。


「……。」


 真っ暗な視界に浮かんだのは、寿司、カレー、オムライス……ああくそ。腹減ってるときにやるもんじゃねえなこれ。こっちの世界で食べられない風景が浮かんできやがる。

 鎮まれマイ食欲。


 でも確かに瞑想はいい手段だ。べつに霊素を探るためってわけでもなく、普段から余計なことを考えてる頭が冷静になっていく気がする。

 え、全然なってないって? いやいや、いまの思考は無駄なものじゃない。雑念をそぎ落とした先にあるのが、俺の本来のあるがままの姿だ。

 ほらみてみろ、あそこに浮かんでいるのは真っ白な俺……ただただ純粋に、書斎で本を広げてねそべる俺の堕落した姿。


「煩悩退散!」


 あかん。瞑想むっず。

 いや違う違う。そもそもこの瞑想は無心になるためのものじゃなくて、霊素を感じ取るためのものなんだろ? なら煩悩があろうがなかろうが関係ない。余計なものをそぎ落とすっていうんなら、むしろ大事なのは情報の取捨選択だ。


 ヴェルガナの師匠が瞑想で感じ取れって言ったってことは、そもそも霊素は操作のために視認する必要はあるけど、その存在を感じるのに視覚に頼る必要はない・・・・・・・・・・ってことだろ。

 ってことは、だ。


「……ヴェルガナ、耳栓ってありますか?」

「耳栓? 何に使うのさね」

「そりゃ耳を塞ぐんです」

「……何を考えてるのかしらないけど、貸してやるさね」

「あざます」


 なぜ瞑想なのか。

 そりゃ、目を閉じるためだろう。どこかで聞いた話、人間は情報の取得にもっとも視覚を使ってるという。たしかその割合は8割そこそこ。ということは、邪魔な情報がそれだけ入ってくるってことだ。ゆえに瞑想が必要。


 では次は? そりゃ聴覚だろう。つぎは触覚、嗅覚、味覚だけど……じっとしてるし部屋は無臭だから問題ない。

 耳を塞げば俺は暗闇の世界に一人だ。


 じゃあ、ここで問題だ。

 素質があれば感じ取れる霊素とやら。この世界には元素、魔素、霊素が満ちているらしいが……俺は魔素を感じ取ることはできない体質だ。そして地球には元素はあっても魔素や霊素はなかっただろう。


 ならやることは簡単だ。俺は自ら霊素を探し出す必要はない。形状も正体も不明なものに手を伸ばして、それでつかみ取るなんてのはプールに落とした醤油を掬い上げるようなもんだろう。そりゃ途方もなく時間がかかる。


 だから、俺がやるのは発想の逆転だ。


 細く絞った感覚のなかから前世になかった違和感・・・・・・・・・・を探せ。

 おそらくその違和感の正体が霊素だ。

 100-99=1になるように、ここで使うのは加算ではなく減算だ。俺の認識上に霊素を足すのではなく、現世(いま)から前世(かこ)を引いて残ったものが霊素なのだ。


 集中――……


 光も音もなく、闇に飲み込まれたような幻覚。

 そこに来て感じるかすかな匂い。ヴェルガナの匂い、木材と布の匂い。

 座る床の感触。肌に触れる空気の流れ。

 衣服の重み、そして――


 ……何かが肌に触れた。

 そんな気がした。

 

 なんだろう。感情のようなざわめきが俺の体を撫でる。それはほんの小さなものだった。いままで感じたことのない、弾けたり、くっついたり、離れたり……ほんの幼子のような素直な感情表現に似た何かがそこにあった。言葉のない何かが笑ったり怒ったり泣いたりして、俺を試すように語り掛けてくる。


 ――遊ぼう――

 ――ねえ、遊ぼう――


 そんな風に近づいては離れていく存在を、意識すればするほど明確に感じ取り。

 俺は迷わず目を開いた。


「……おお、視えた……」


 不思議な気分だった。

 さっきまではまったく見えなかった、キラキラと輝く光のカケラたちがそこら中に舞っていた。いや、物理現象としての光ではない……ただそう見えるってだけのものだ。


 それらは子どものようにあらゆるところを飛び回っていた。気にしなければ気にならないし、見ようと思えばハッキリと認識できる。というか物理的な光じゃないから目を閉じても視える。ナニコレスゴイ。


「霊素……うん、すごいな。触れるし」


 確かに言葉にはしづらい感覚だ。

 見えるはずのないものが視える。手に触れれれば、無邪気にくっついてくる子ども――まるでリリスみたいだ。細かな粒子のソレを指先でなぞると、なぜか列をなしてついてくる。

 ははは、面白いな。小さい頃、近所の子ども科学館で磁砂をくっつけて遊んだ時の感覚に近いかも。


「……まさか、本当に視えたのかい?」

「はい。これが霊素ってやつなんですね」


 重力に影響されない霊素たちを空中に並べて遊んでいると、ヴェルガナは大きくため息をついた。


「アタシの三年がルルク坊ちゃんの数分とは……」

「あれ~? さっきまでの煽り顔はどうしたんですか~?」

「まったく、うちの悪ガキどもはいい性格してるさね」


 とりあえずさっきの意趣返しをしておく。

 大人げないとは言わないでくれよ、俺はまだ子どもだ。

 

「でもまあ、ありがとうございますヴェルガナ。おかげで第一関門クリアです」

「礼はいらないさね。それよりご褒美をあげないとねぇ」

「ほんとですか!? なにくれるんですか! お小遣いとかですかね!」

「明日の訓練にメニュー追加で」

「ジーザスッ!」


 このクソ教官め!

 仕返しの仕返しと言わんばかりにニヤニヤ笑うヴェルガナは、それから翌日の訓練が終わるまで上機嫌だった。

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