第16話 スイーツイベント

――宏明と関係を持ってから一ヶ月後――


六月に入り、暑さも増してきた。

日も長くなると、人間も活動的になる。


その日のイベントは、全国のスイーツが集まるスイーツフェスだった。

広場には、有名店から地元の新しいお店までずらりと並ぶ。

クレープ、ドーナツ、ドリンク……

スイーツは色とりどりで、華やかだ。

若者を中心に、あちこちに笑顔で写真を撮っている姿が見えた。


宏明と加奈子はいつものように仕事をしていた。

ふと、いつもこんな楽しそうなイベントに臨場してるが、お客さんとして来たことはないな、と加奈子は思った。

目の前のカップルがお互いにアイスを交換して、可愛いね、美味しいね、と言いながら笑みを交わしている。

宏明と、そんな風に遊びに行ったら楽しいだろうか……。

忙しくて、デートらしいデートはしたことがなかった。



宏明とは、体の関係はありつつも、どちらから付き合おうという話は出ない。

宏明が加奈子のアパートに来てダラダラと過ごす、セフレ状態になっていた。


そういう関係が当たり前になっても、仕事でもプライベートでも、宏明の態度が変わることはなかった。

加奈子の方は、宏明が楽しそうに若い女の子と話していると、少しだけ胸が痛んだ。

宏明は誰にでも優しい。

それは、恋人だろうがセフレだろうが変わらない、宏明の性格の良いところなはずなのに、そこが加奈子を苦しめる。


だとしても、加奈子は加奈子で、すぐに宏明との関係に結論を出す気にはなれなかった。

ちょうど良かったのだ。

好きな時に好きに会える関係。

自分の人生に干渉されないくらいの距離感。

楽しくて、安心で、癒される、そんないいとこどりな男。


自分の知らない宏明が、もしダメンズなら……

すっかりハマって行くだろう。

今のところ、お金で付き合ってもらってるところもある。

こんな拗らせてる自分に、合わせてくれているのだ。

諸経費が自分もちなのは仕方ない。

もしまとまったお金が必要……とか言われても、きっとホイホイ出しちゃうだろう。

世の中の貢いじゃう女子の気持ちがわかってしまった。

この、自分の中の寂しさは、仕事やお金じゃ埋められないんだよ……。



つい、考え事をしていると、宏明のところに、松代将が来たのが見えた。

松代は、イベントや地元のお店紹介の雑誌やWEBのライターだった。

宏明と何やら話をしている。

本来、社員が対応すべきだが、宏明と将は個人的にも仲がいいので、彼の窓口は宏明に任せていた。



♢♢♢



イベントもトラブルなく進み落ち着いてきたところだった。

救急車が静かにイベント会場の外を回り、会場の後ろ側に位置していた林の方に入って行った。

何事だろう。


宏明に声をかけようとしたが、姿が見えなかった。

気の利く彼のことだから、どこかにヘルプで呼ばれたかもしれない。

でも、なぜだか胸騒ぎがした。



♢♢♢



イベントの片付けが始まった。

やはり宏明の姿がない。

加奈子は上司を捕まえて訊いた。



「宏明君は……さっき林の方で倒れたみたいで、救急車で運ばれたんだ。あまり大ごとになるとお客さんが不安になるだろうから、サイレンは鳴らなかったみたいだけど……」


「え?! さっきまで、あんなに元気だったじゃないですか……!」


「ああ……そうだよね。それが、こっちも全然事情がわからないんだ……。あとで連絡が来ることになってるから、今心配してもしょうがない。まず、片付けを早く終わらせて、みんなで共有しよう」


宏明は、いつも風邪の一つもひかないくらい健康に見えた。

事件や事故かもしれない。

胸が締め付けられる。

すぐにでも、宏明の元に駆けつけたかった。




♢♢♢




翌日、宏明が亡くなったと連絡が回ってきた。


信じられなかった。

あんな直前まで、元気な姿を見ていたのだ。


宏明は、元々心臓が悪かったらしく、発作を起こしたとのことだった。

じゃあなんでこんな体力仕事をしていたのか。

全く納得がいかなかった。



♢♢♢



宏明の死を、周りは驚き悲しんだが、彼の深いところまでは知らない人が多かったので、思いの外、日常に戻るのは早かった。


加奈子は、イベントの翌日こそなんとか職場へ行ったが、さらに次の日は仕事に行けなかった。

これまで、どんな時も簡単に仕事を休んだことはなかったのに、今回ばかりはダメだった。

涙が出て溢れてとまらない。

無駄だとわかっていても、既読のつかない宏明とのメッセージを見てしまう。


嘘なんじゃないか、夢なんじゃないか。

せめて何が起こったのか、本当のことが知りたい。

やり場のない気持ちで自分が切り裂かれそうだった。




宏明は小学生の時に交通事故に遭っていて、その事故で両親は亡くなり、生き残った宏明は伯父夫婦に引き取られたらしい。


宏明の葬儀は近親者だけ、ということで行けなかった。

加奈子は、宏明の”近親者”ではない。

もし、恋人だったなら無理を言えたかもしれないが。

大人しく、少女マンガみたいに勇気を出して交際申し込みをしていれば良かっただろうか。

こんなところでも、社会から”お前は相応しくない”と言われているような気がした。



加奈子は体調を崩したと言って、さらに会社を休んだ。

上司は、加奈子と宏明の仲の良さを知っていたから、快く休みを承諾した。


布団に寝転がり、何かを考えているような、何も考えられないような、そんな朦朧とした時間を過ごす。

楽しくお好み焼きをしたダイニングテーブル、一緒にアクション映画を見たテレビ、宏明がよく使っていたマグカップ、愛し合ったこのベッド……。

本当に、もう宏明とは、会えないんだろうか。



松代将なら……何か知っているかもしれない。

そう思い立って、松代に電話をかけた。



♢♢♢



すぐに彼は電話に出た。

互いに悲しみを分かち合った後、将は言った。



「宏明から預かっているものがあるんです。自分に何かあったら加奈子さんに渡してほしいと。今からお会いできますか?」


加奈子はもちろん承諾した。

将が加奈子のアパートに来てくれることになった。



♢♢♢



多少片付けた部屋に、松代が来て、ローテーブルを挟んで座布団に座った。

松代は鞄から封筒を取り出して、加奈子に差し出した。


薄い青い洋形の封筒の表には、「安西加奈子様へ」と宏明の綺麗な字で書いてある。

ハサミで封を開けて、便箋を取り出した。



――安西加奈子様へ――


この手紙を加奈子さんが読んでいるということは、俺はもう加奈子さんとは会えなくなっているんじゃないかと思います。

俺は、特殊な病気があって、長くて10年くらいしか生きられそうにありません。


加奈子さんとよく遊ぶようになってから、簡単に言えば、俺は加奈子さんが好きになっていました。

加奈子さんが、愚痴って、弱音吐いて、俺に甘えてくるのが可愛いと思っていて、そんな日々がなんだかんだで楽しかったです。


でも、長く生きられないことを思うと、わざわざ付き合って、余計に苦しい思いをさせるのは申し訳ないとも思ってしまいました。

会えなくなってから告白するなんて、女々しいんですけど、もし、加奈子さんが俺のことで悲しんでくれるなら、そんなに悲しまないでください。

予定よりちょっと早かっただけで、誰だって最後は死ぬわけですから。


今まで可愛がってくれて、ありがとうございました。

俺の人生、これで良かったかもと思えたのは加奈子さんのおかげです。

だから、俺のことは適当に忘れて、どうか幸せになってください。


――田辺宏明――

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