2-6:ウェブリー=フォスベリー・セルフコッキング・オートマチック・リボルバー

【君に選択肢はない。死も生もなく、ただヨグの目として存在し続けるのみ】


 その響きによって、私は目を醒ました。永遠の虚無、実存の崩壊は訪れず、邪神の円環の中へと引き戻された。


 眼前には、奴が変わらぬ位置のままに座り込み、その顔に虚空を覗かせている。


 私はその手に握った銃の異変に気がつく。何の変哲もないウェブリーMkⅣは、その原型を別物へと変えている。設計から一から食い違っているのである。


 回転式拳銃でありながら、備わったオートマチック機構。

 シリンダーの側面に特徴的な溝が彫られ、コッキングとシリンダーの回転が連動している。その動作の度に、シリンダーと銃身がフレームごと後退するように設計されている。


 ウェブリー=フォスベリー・セルフコッキング・オートマチック・リボルバー。


 1901年から1905年にかけて生産された特殊な機構を有する自動回転式拳銃。当時の売り上げは振るわなかったものの、現在ではプレミア付きで蒐集家の間では、一万ドル以上で取引される代物。


 これがあれば、私はわざわざこのビルマの地を踏むことは無かったかもしれない。


「何が起こった?」


【汝は一つ隣の世界線へ転移した。その回転式拳銃がその証左だ。君にその銃を売った露天の店主はその銃の本当の価値を知らなかった。この世界ではその誤差が生まれている】


「此処は違う歴史を辿った世界なのか?」


【そうだな。だが、大筋は何も変わらない。君は1万ドル以上の借金を負い、この地を訪れた。回転式拳銃の一丁で変わる歴史では無かったと言うことだ】


「もう一度此処で眉間を貫いたとして、また別の世界で目を覚ますだけ…」


【そう言うことだ。君から死と時の概念は消えた。地雷を踏み抜こうと雷撃にうたれようと、君にとっては隣の部屋に移動するようなものだ】


「こんな力を私に与えて何になる?」


【観測だ。君はヨグの目にして腕となる。歴史の流れに干渉し、変化を見つけろ。行く末を見守れ。それが使命だ】


「どうすれば終わる?死は?休息は?」


【ヨグが満たされるまで】


「これは呪いか?私がお前らに何をした?私は此処にラジオを売りに来ただけだ」


【何も無い。唯、奴の目に留まったのみ。天文学的確率の更に数条分矮小な不運だろう】


「理不尽だ。何の道理も必然性も無い…」


【汝らが理を語るか?この地で起こる争いの発端も人の手によるが、それもまた道理に適わぬことばかりだ】


 ナイアラルトテプはその手に握ったチューブの一本を翳す。


 映し出されるのはインドシナ半島における闘争の歴史。

 チベットから南部地域へのビルマ民族の下降。パガン王朝の形成。パガン王朝がタトゥン王国を滅ぼし、王朝は後に蒙古の襲来によって倒れた。

 征服者の帝国が倒れると、二つの民族により二つの王朝が新たに形成される。そして四十年間の内戦に突入し、英国の進駐まで王朝が現れまた消えていった。その英国も東の帝国に追いやられ、また戻った。


【建国、内戦、植民地化、独立、内戦。汝らがそれを道理に適わぬといおうとも、歴史は明確な因果の元に進む。奴が汝に種を植えたのも同じこと】


 其奴は枯れ木じみた指で私の銃を指差す。


【銃を他者に突き付け、搾取するのと、何が違う?】


「後付けの世迷言だと言いたいのか」


 其奴は黙して語らず、代わりに指し示すその手を引き戻すと、古びた旅行鞄トランクを袈裟の背から取り出した。


 20Lはあろうかと言う、明らかに袈裟では隠しきれない容積。それを二十二世紀のネコ型ロボットの如く取り出して見せた。


 だが、それも些細な問題だ。今や私に正常なものなど数える程も残っていない。


 旅行鞄は山羊皮に似た奇妙な質感の黒革製。油じみた光沢。強健なゴムじみた弾力。表面には藍色のインクで様々な文字が書き詰められている。

 地面に置かれたそれは異様な存在感を孕んでいる。

 

【奴からの贈り物であり、汝の仕事道具だ】


「説明書も無しか?」


【ただ、それを持てば良い。今やお前の胸には奴の種子がある。自ずと分かる。何をしなければならないか】


 嫌に耳に響くその音が過ぎ去り、次の瞬きを挟んだ後、老人はその存在自体を霧散させた。絨毯も袈裟も虚空の顔面も、何一つ残さず消えてしまった。

 

 対して、旅行鞄は変わらず其処に鎮座している。


 試しに持ち上げてみると、それは恐ろしく軽く、それでいてほの暖かい。熱気の詰まった風船の様に感じられる。それが見た目通りの存在などではない事はすぐに分かる。

 

 樹脂の取手は不自然な程に手に馴染む。


 ずっと持っていたい。抱き締めたい。


 怖気の走る様な衝動を抑え、私はトランクを三輪自動車の中へ放り込み、私は天幕の中へ入った。


 全てを忘れる事を祈り、寝袋の中へ潜り込んだ。


 槍に貫かれる前の聖人であろうと、その時の私の真摯さに比べれば、賽銭箱に5円玉を放り込むのとそう変わらないだろう。

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