第45話
「対等な目線で話したくなってさ」
怯えの気持ちを誤魔化しながら言う。とても景色を見る余裕はなかった。
「……バカじゃないの?」
廻が眉を顰めて口を開く。
「バカかもしれないね。おっと」
体がふらつく。廻が「降りなよ」と声を尖らせた。
「廻が先に降りるまで、わたしはここにいるつもりだよ」
「……崖下に降りようかな」
「そうしたら、わたしも崖下に降りるから」
「ハッタリだね。ひなたにはお姉さんがいる。お姉さんを置いて死ぬわけないでしょ」
「わたしがいなくても大丈夫だよ。あの人、強いから」
「わけがわからない。危ないから降りなって」
強い風が吹き、互いの髪が流された。
「初めてのデートの時、一緒にここでダンスしようって誘ってくれたじゃん。そんな廻が降りろって? らしくないよ」
「腕、震えてるよ。怖いんじゃないの」
「怖くなんかない」
強がりを口にする。
また強い風が吹き、姿勢を崩しかける。何とか立て直して廻を見つめた。
「ひなた、こんなのバカげてるって」
廻は冷めた顔で言った。
「それ、こっちの台詞なんだけど」
「どうしてここまでするの? まだ関係を持って一カ月しか経ってないでしょ」
「わたしは連れを見捨てない。それが前島ひなただから」
廻は、聞き分けのない子供のような顔をした。
「どうしてひなたは、私の邪魔ばかりするかな……。こんなことなら、ひなたと出会わなければよかった」
「わたしは廻と出会えてよかったと思ってるよ」
天童が少しずつ廻の死角に移動している。隙を見て助けるつもりなのだろう。目撃者に選ばれた中学生達は、入り口のところで棒立ちしている。おそらくこちらの会話は聞こえていない。しかし、異様な雰囲気は伝わっているはずだ。
「廻」
ひなたは微笑んで言った。
「わたしと飛び降りれば、一人で死ぬことはなくなるよ。二人で死ねるんだ」
「……」
「それが望みだったんでしょ? 違う?」
廻の顔から完全に余裕の色が消えた。
「ひなたと死にたい、なんて一言も言っていない。私はみやと一緒に死にたいんだよ」
「一度裏切られているのに?」
「それは……」
「わたしより、田宮って人が好きなんだね」
「それは違う!」
廻はハッとした表情を浮かべた。思わず言ってしまった、という後悔を滲ませながら顔を伏せる。
「私は……私はひなたには死んでほしくないと思ってる……。だから、もう、やめてほしい。私を困らせないでほしい。危ないから、地面に降りなよ」
「廻、約束して」
「え……?」
顔を上げる。弱り切った表情をしていた。
「わたしが生きている限り廻は死のうとしないで」
「なにそれ……。自分勝手すぎだから」
「廻はこの世界を、退屈だとか、つまらないとか、そういうふうに思っているんだよね? でも、わたしは思ってない」
事実、この一カ月、廻と過ごした時間は楽しかった。
「この世は案外楽しいことで溢れてるんだよ。それを廻にわからせたい。一緒にゲームしたり旅行したり買い物したり映画観たり。たくさん楽しめそうなことをしようよ。たくさんたくさん、面白いことを二人で見つけようよ。わたし、いっぱい生きるからさ。廻もいっぱい生きなよ」
廻は苦しそうな表情で呻いた。
「……プロポーズ、みたいだね……」
「そうかもね」
にやりと口角を持ち上げて言う。
廻は苦しそうな顔のまま、灰色の空を見上げた。はあ、と息を吐き出す。それから「あはは……」と笑った。やがて、こちらに顔を向ける。
いろいろなものを諦めたような、憑き物が落ちたような、あどけなさを感じさせる笑みを浮かべていた。
「……ひなたと話すと、調子が狂うね。空気読めなさすぎだから」
「なんだと」
「ま、ひなたらしくはあるけどね」
「納得したのなら、大人しく言うことを聞きなよ」
「……そうだね。今日のところは――」
次の瞬間、これまでとは比べものにならない強風が吹いた。
▼
全て解決した。そう油断していたせいだろう。
ひなたの小さな体は簡単に風に煽られ、制御を失った。全身の毛が逆立ち、血の気が引いていく。
――廻は?
横を向くと、天童に助けられていた。地面に尻もちをつき、呆然とこちらを見ている。
よかった……。
ひなたは心の底から安堵した。
廻の命だけでも助かったのはよかった。
体が崖下の方に傾いていく。当然、踏ん張りは効かなかった。重力には逆らえないのだ。当然のことだった。
走馬灯のようなものを期待していたが、思い出されるのは、ついさきほどのやり取りだけだった。
体が浮遊感に包まれる。
ごめんね、と心の中で廻に謝罪した。
長く生きて、廻と一緒に年を重ねたかった。面白いことを共有したかった。でも、それはもう、叶わぬ夢となってしまったらしい。
願わくば、自分が死んでも廻には長生きしてほしかった。新しい連れを作り、人生の楽しみ方を知り、時にはわたしのことを思い出して、おばあちゃんになるまで生きてほしい。
――死ぬ瞬間まで他人のことなんだね。
脳内の廻が笑う。
――それがわたしだから。
ひなたは微笑みを浮かべた。
ぎゅっと目を瞑る。
死を覚悟した、次の瞬間だった。
腕に激しい痛みを覚え、目を開ける。頭上を見ると、まみが苦悶の表情を浮かべて、ひなたの腕を掴んでいた。
「前島先輩、今、助けますから! 今度は私が、助けますからぁ!」
その場にいる全員が集まり、ひなたの体を引き上げる。柵を超え、ひなたは息を吐き出した。全員が安堵の色を浮かべている。
全身から力が抜け、土の上に寝ころんだ。曇天の空を見上げる。雲の隙間から夕日が差し込み、公園を赤く染め上げていった。
「ひなた……」
廻が至近距離から顔を覗き込んでくる。相変わらず、美しい顔をしていた。まつ毛が長い。
「……美人だよね、廻って……」
「こんな時に何?」
「もっと顔を見せてよ」
「ひなた」
顔を寄せてくる。キスされるものだと思ったら、頬と頬をくっつけられた。柔らかくて温かい。次の瞬間、「ああ、自分は生きているんだな」という実感が、初めて全身を駆け巡った。
わたしと廻は生きている。これほど喜ばしいことはないだろう。
廻の体が震えていることに気づき、ひなたは申し訳なさを覚えた。
「ひなた」
廻が囁く。
「何?」
「ひなた……ひなた……」
「どした?」
「ひなた、ひなた、ひなた、ひなた」
苦笑する。
「そうかそうか。ひなたって呼びたいだけか。よしよし。ごめんね、不安にさせちゃったよね」
「ひなた……」
体を抱き寄せ、頭を撫でてやる。
ひなたは廻の体温を感じながら、これからのことを考えた。
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