第39話

 ひなたの体は養生テープで椅子に固定された。足も巻かれ、完全に身動きが取れない状態となる。


「叫ぶなよ。叫んだら口も塞ぐからな」

「これ、犯罪だよ。ラットは反社じゃないって聞いたんだけど」


 シャーロットが暗い顔をする。


「廻の命令は絶対よ」

「このままでいいんですか? このままだと廻は捕まりますよ。ううん。最悪の場合、廻が返り討ちに遭うかもしれない」

「あいつはそんな玉じゃねえよ。たぶん警察の目も欺ける。あとは俺らが黙っていればいいだけだ」


 沈黙が落ちる。

 どうにかしなければ、と焦りの気持ちが増していった。

 スマホは机の上に置かれている。ここからでは操作できない。一か八か、大声を出すことも考えたが、至近距離にいる二人にすぐに口を塞がれ、以降、会話させてもらえないだろう。そうなると、説得の芽を摘んでしまうことになる。

 時計を見ると、四時になっていた。

 ふいにシャーロットがスマホを取り出した。どうやら通知が来たらしい。画面を見て顔を顰めている。


「ラットの子が問題を起こしたみたい。行かなきゃ」

「俺が行くぜ」

「太志には難しすぎる案件よ」


 シャーロットはひなたの顔を凝視して、はあ、と息をついた。


「三十分で戻ってくるわ。二人とも、大人しくしていてね」

「わたし、太志くんと一緒にいたくないんですけど……」

「おい、どういう意味だよ」

「大丈夫よ。意外とジェントルだから」

「意外とってどういう意味だ」


 ごめんなさい、とシャーロットが部屋を出ていく。二人きりになった。


「……とりあえず、映画でも観るか?」


 太志が鞄の中を探る。


「タブレット持ち歩いてるんだ。ゴッドファーザー観ようぜ。あ、それともマーティンスコセッシの映画にするか? グッドフェローズとか」

「ファイトクラブって気分だけど……それより廻のことを話そうよ。太志くんは、廻のことをいつから好きになったの?」

「ばっ……」


 太志が顔を赤くする。


「俺がいつ廻のことを好きって言ったよ? いや、好きだけどよぉ……」


 矢継ぎ早に恋愛の話を振る。

 太志はしどろもどろになりながら色々と答えてくれた。


「俺は強い女が好きなんだよ。だから、廻のためこういうことをしてるんだ。悪く思わないでくれよ」

「そっか。だったらさ……」


 ひなたは唇を舐めて言った。


「二人で廻の応援に行こうよ」

「あ? 応援?」

「廻は何でも一人でやろうとしちゃうでしょ。やりすぎる場合があるから、わたし達がブレーキ役になるんだよ」

「……」


 太志は腕を組み、考えあぐねているようだった。もう少しで説得できる。ひなたが手ごたえを感じ始めたところで、


「悪いが、それはできねえな」


 太志は養生テープを持って近づいてきた。口を塞ぐつもりなのだろう。


「好きなんでしょ? 止めなきゃだめだよ」

「ひなたの気持ちはわかるぜ。俺だって本音を言えば、あいつにリスクを冒してほしくねえんだ。でもな、男には譲れないもんがあるんだよ。俺はそれを尊重したい」

「廻は女だけど」

「女にも譲れないもんはあんだろ」


 それはその通りだ。

 廻はおそらく、この時のためだけに退屈な世界を生きながらえてきたのだろう。ホワイトボードを見ればわかる。

 でも……、とひなたは口の中で呟いた。

 だったらどうして、わざわざ友達の話を自分にしたのか。そもそも、ひなたと関係を持ってラットに引き合わせたこと自体が不可解だった。


 ――本気で私が、ひなたみたいな子を好きになると思う? ありえないから。


「……嘘つき」


 ひなたは溜息交じりに言った。

 廻に会わなければ……。

 廻に遭って、今度こそあの鉄仮面の下の素顔を覗いてやるのだ。

 太志が養生テープを伸ばしていく。

 太志くん、と声を発しようとした時だった。

 ピンポーン、とドアホンが鳴る。

 太志は動きを止め、玄関の方を振り返った。


「たぶんセールスだな……」


 また音が鳴る。連続して鳴らされ、太志は痺れを切らしたのか、鬱陶しそうに部屋を出ていった。うるせえよ、と声を上げている。

 チャンスだ。

 ひなたは椅子ごと立ち上がった。しかし足が巻かれているせいで、立ったままの状態をキープできず、横に倒れた。頭を打ち付け「いたぁ……」と悲痛な声を上げる。


 自分の無力さに涙が出そうになる。しかし、ぐっと堪え、意識を現状に向けた。どうにかして廻を止めなければ。廻ともう一度、会話をしなければ……。


 テーブルを蹴る。ごとん、とスマホがフローリングの床に落ちた。どうにかしてロックを解錠しようとした、その時だった。


 玄関の方で激しい物音がした。すぐに静寂が訪れる。やがて足音が近づいてきた。


「……まずい……」


 もう少しでスマホを使えるのに。

 扉を睨みつける。

 ゆっくりと開いていった。


「え……」


 呆然とする。あまりの衝撃に言葉が出てこなかった。

 そこにいたのは太志ではなかった。


「お、お姉ちゃん?」


 七緒は目に涙を浮かべながら、拘束されている妹に駆け寄ってきた。

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