第22話

 スマホを持つ手に力を込める。ひなたは動揺を抑え込んで「今、どこにいるの?」と訊いた。


「家だよ」

「カヤ、落ち着いて聞いて。その場からは逃げられそう?」

「ど、どうだろう……。テラスからこっちを見てて、変に刺激したくないんだけど……」


 席を立った。廻はレジに向かっている。

 警察には通報していないそうだ。会計を終えた廻と合流して、通報してもらった。カヤから住所を聞き出して警察にそのまま伝える。

 店を出ながら元気づけるように言った。


「今警察が向かってるから大丈夫だよ」

「う、うん。ありが――」


 通話が切れた。

 血の気が引いていくのを感じる。

 何かが起きたのだ。

 もう一度掛けてみるが、通じなかった。

 ひなたは息と共に言葉を吐き出した。


「急げばここから五分でつくよ」

「食後のダイエットにはもってこいだね」


 廻が肩を竦めて言う。不謹慎だと怒る暇さえ惜しく、二人並んで駆けていった。

 慣れ親しんだ通りをまっすぐ進んでいくと、カヤの家が視界に入った。ちょっとした豪邸と言っていい広さだ。大きな庭がついている。


 黒塗りの門を抜けて侵入すると、廻が遅れてついてきた。手には大きめの石が握られている。来る途中に拾ったものだろう。


 テラスの方に足を向けると、鉢植えの破片が地面に散らばっていた。壁に跡がある。あそこに投げつけ、何者かが割ったのだろう。


 その場所から三メートルほど移動してテラスに上がる。リビングの中を覗くと、カヤを見つけた。憔悴しきった顔でソファの横に蹲っている。ひなたの顔を見て、嬉し泣きを浮かべた。


「カヤ、もう大丈夫だから!」


 カヤが両手両膝をつき、ゆっくりと近づいてくる。ソファの前にあるテーブルに額をぶつけ、痛そうな顔を一瞬見せたが、すぐにまた動き出した。扉を解錠する。ひなたは靴を脱いで中に入ると、カヤを力強く抱きしめた。


「電源が切れちゃったんだ、心配させてごめんね」

「カヤが無事なら何でもいいよ」


 体を離す。振り返ると、廻はテラスを見回していた。


「……何してるの?」

「痕跡の確認」

「それ、警察の仕事でしょ」


 リビングに入ってくる。ソファの前にあるテーブルに近づき、三つあるリモコンに視線を落とした。その中で最も小さいものを手に取り、ボタンを押す。カーテンが自動でしまっていった。

 へえ、と呟く。


「金持ちってカーテンの開け閉めまでリモコン使ってやるんだね」

「さっきから何してるの?」


 廻はひなたを無視して、カヤに声を掛けた。


「あっちの壁に跡があったけど、ストーカーの仕業で合ってる?」

「そ、そうだと思うけど」 


 カヤは表情を暗くして庭の方を見つめた。


「最初は気づかなかったんだけど、ふと見たら、ストーカーが立っていて、驚いてソファの横にへたりこんで動けなくなったんだ。幸い、スマホは手元にあったから、ひなたちゃんに連絡することはできたけど……」

「ストーカーとは何か話した?」

 

 廻が軽い調子で訊く。


「それは……ごめん、言いたくない」


 顔を伏せてしまう。酷いことを言われたのだろうか。

 ひなたは胸に痛みを覚えた。


「ストーカーがいなくなる間、ずっとソファの横で尻もちついていたわけだね」


 廻が訊き、カヤは頷いた。


「犯人は何か持ち去らなかった? テラスにあるものを取っていったりとか」

「……そういうことはなかったよ」

「壁についてだけど」

「いい加減にしなって」


 ひなたは我慢できず口を挟んだ。


「なんで警察みたいなことをしてるわけ?」

「どうせ聞かれるんなら答える練習しておいた方がいいじゃん。それに、犯人が私の知り合いの可能性があったから、いろいろ聞いておきたかったんだよね」

「え? 心当たりがあるの?」

「一応ね」


 本当だろうか?

 廻は謎の人脈を持っているから、あながち嘘とは言い切れなかった。

 ひなたはカヤの手を握り、「大丈夫だよ」と励まし続けた。


 サイレンの音が聞こえる。


 やがて警察官がやってきて、それぞれ事情聴取を受けることになった。全員一緒に説明を、とはいかないらしい。リビングの隅で説明していると、カヤのお母さんが帰ってきた。どうやら祖父の家に行っていたらしい。一緒に連れていくべきだったね、と娘を抱擁しながら謝罪の言葉を繰り返している。

 更にその十分後、今度はスーツ姿のお父さんが現れた。荷物は小さめの手持ち鞄一つだけだ。ひなたと廻の脇を通り抜け、家族の元に駆けていく。その際、甘いシャンプーの匂いが鼻腔をついた。直前まで仕事をしていたとしたら、絶対にしない香りだ。


 カヤと家族が抱擁し合う姿を、ひなたは複雑な心境で眺め続けた。

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