第25話① この尾張を守って姿を消した

 鬼夜叉は自分の肩に手をやり傷に触れた。傷口を探った手を濡らす血を見るなり、白い仮面の向こうから抑えた笑い声があがる。

「やられた、やられた。うむ、安心しろ。これ以上の手出しはせんよ」

 その言葉に慎之介は腹が立った。あまりにも一方的で勝手すぎる。だが、そんな感情など吹き飛ばしてしまう出来事が目の前で起きた。

「姫御前よ頼む」

 鬼夜叉が軽く身を屈めると、いつの間にか近づいていた白フード姿がその肩に手を伸ばし――淡い緑の光が迸る。

 すると鬼夜叉は何事もなかったかのように腕を振り回した。

 白フードの小柄な存在は、どうやら陽茉莉と同じ回復能力を持っているらしい。珍しい力と聞いていただけに慎之介としては驚きの方が先に立つ。

「さて、今日はもう時間がない。じっきとすれば、次の幻獣が現れよう」

 鬼夜叉の白い仮面の向こうから深刻そうな声が響く。踵を返そうとする相手に、慎之介は何とも言えない感情を抱いた。

 これ以上戦う必要が無く安堵したような、またはもっと戦って競ってみたいような。そんな不思議な感情だ。最初の咲月の危機で感じた怒りは殆んど消えている。

「待って!」

 声をあげたのは咲月だった。

 それまで慎之介と鬼夜叉の戦いを食い入るように見ていたのだが、途中から何度も小さく頭を振っていた。まさか、という言葉を呟きながら。

「貴方は……尾張の侍ですね。十二年前、この尾張を守って姿を消した」

 咲月の言葉に鬼夜叉は足を止め、肩越しに振り向いた。

「何故そう思う?」

「先程からの動きです。当時の記録映像は何度も見てます」

 真面目に映像を見ただけでなく、そこから気づける点は真面目で勉強家な咲月ならではだろう。

「ふむ?」

 鬼夜叉は微かに顔をあげ思案し、続けて楽しげな笑い声をあげた。

「ああ、そう言えばそうであった。五斗蒔家の咲月は賢い子だったな」

「さっきから私を知ってる物言いをして、貴方はいったい――」

 言いかけた咲月の言葉を、鬼夜叉は軽く片手を上げ黙らせた。

「それ以上は止めておけ。その話は、ここで話すべき内容ではない。そして何より、もう時間がない」

 そう言うと、鬼夜叉は背を向けすたすたと歩きだした。

 傍らには姫御前が並び、後ろには配下の羅刹たちが続き、とても声がかけられる様子ではない。追いかけたそうな咲月を慎之介は手で制さねばならなかった。

「じっきとすると豪獣が出る。だが尾張の街を壊させるわけにはいかん。我らが対処するゆえ、お前らはそこで大人しくしておけ」

 背を向けたままの鬼夜叉の声が聞こえた。その姿は、矢場公園の階段を上がり遠ざかって行った。


 矢場公園に慎之介と咲月、そして気絶させられた特務四課の者たちが残された。いろいろな事があって、状況が把握しきれていない。特に慎之介は激しく斬り合いをした後なので、気が昂ぶって細かい事が考えられない。

「豪獣……」

 ぽつりと慎之介は呟いた。

 それは幻獣の中でも特に強力なものに対する呼称である。その強さに定量的な定義はないものの、豪獣災害は大きな被害をもたらすものだ。

「今日の幻獣予報ではそんな事は言ってなかったが」

「分からない。でも地圧値の上昇率からすると、その可能性もあるよ」

「そうなのか」

 慎之介は呟いた後に、鬼夜叉たちの去った方を見やって肯いた。

「いや、どうやら可能性という話じゃなくなったな」

 向こうで蟠る白い影があり、それがむくむくと成長し存在を濃くしている。ビルの二階に届く頭部に切れ込みが入り顔となる。人間状の身体で腕は長く地面に触れ、しかし足は極端に短く太い。さらに、猿のそれに似た長い尾もある。

「あれはラショウキ……特重幻獣なんて初めて見たわ」

 呻くように咲月が言った。

 慎之介は特重幻獣というカテゴリーだけは知っていた。幻獣の中でも特に危険で、数万人規模の被害が出る存在だ。

 そして鬼夜叉をはじめとする羅刹が戦いを開始している。

「反乱勢力じゃないのか?」

「上層部の指示では、そうよ」

「きな臭そうな話だ。で、どうする? 羅刹が敵で、ラショウキは放置か? 両方が戦って弱ったところで漁夫の利を狙うか?」

「それは」

「なあ、咲月。倒すべき相手は何だ、侍とは何の為に存在する? いや、咲月は何のために侍になった? 言ってくれ、それに応えてやる」

「そうね、いつだって慎之介はお願いを聞いてくれてたよね。あのね――」

 咲月のお願いに、慎之介は笑って肯いてみせた。


 ラショウキはイヌカミを遙かに上回る存在感がある。その威圧感だけで人は本能的な恐怖を感じてしまうらしい。羅刹の何人かの動きは悪い。さらに言えば、特務四課との戦いで疲労している。

 既に何人かが重傷を負い戦線を離脱していた。

 それでも果敢に戦う羅刹だが、打ち砕かれながら薙ぎ払われたアスファルト舗装の欠片を受け血反吐を吐いた。動きが止まったところに巨体が飛びかかる。

 その羅刹を、慎之介は飛び込んで蹴飛ばして追いやった。同時に飛び退きながら来金道を振るって一撃を与えている。

「何のつもりだ?」

 ひょいっと横に並んだ鬼夜叉は、ラショウキを睨んだまま訝しげな声を発した。

「倒すべき敵は何かという事だ。それに――」

「それに?」

「妹分からのお願いは断らない主義なんでね」

「はっ、そういうものか」

 二人同時に地面を蹴り、横に飛び退く。寸前まで居た場所にラショウキが豪腕を振り下ろし、一撃を受けた地面で土砂が爆発したように弾けている。一瞬でも遅れていれば、平たくなっていたことだろう。

 ラショウキは強敵なのだが、さらに辺りの幻獣まで寄ってきている。

「其の方らは他を頼む。ラショウキはこの者と我で倒す」

 鬼夜叉の指示で羅刹たちが頷き周囲に散開した。

 だが、その間にもラショウキは飛び退いて回避した慎之介を追うように跳びかかって来た。巨腕が激しく振り降ろされる。

「逃げ……違う!」

 回避は悪手。ラショウキの突進に対し慎之介は死中に活路で、手にする来金道に渾身の力を送り込み突っ込んだ。

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