05

「長下部麻美」という名前を聞いた途端、頭の中で爆発するような笑い声が再生された。あの日、タクシーの中でえりかからの電話をとったことを、「麻美」という名前を聞いて突然鮮明に思い出したのだ。

 えりかのところにいる「あさみさん」と、今回私にとり憑いていたものの核となった「長下部麻美」とは、どういう関係があるのだろうか? ただの同名、まったくの偶然ということではなさそうだけど……と考えつつ半ば混乱していると、環さんが「神谷さん」と声をかけてきた。

「志朗くんから色々聞きました。おそらく神谷さんは今、核になっていた人物の名前を聞いて、お友達の家にいた『あさみさん』のことが気になり始めたんじゃないでしょうか?」

 シロさんの同業者だけあって、環さんも勘がいい。私が「はい」と答えると、環さんはまたにこっと笑った。

「お友達に関係のあることですから、気がかりですよね。ですが、少し込み入った話になるので、一旦そちらは脇に置かせていただきます。とにかく作られてから約三十年、『A子さん』は――わたし、こういうとき実名をあまり呼びたくないので、引き続き仮名で呼ばせていただきますね。とにかくこの『A子さん』は、自分を作った術者の制御下から離れてしまった後、三十年をかけて色んな人のところを渡り歩き、最終的に神谷さんの元後輩の鷹島美冬さんを経由して、縁もゆかりもないはずの神谷さんのところにたどり着いたと思われます」

「三十年!?」

 思わず声を上げてしまったが、よく考えたら驚くほどのことではないかもしれない。なにしろ、墓誌に書かれた長下部麻美の没年がそれくらいで、それは私も見ているのだから。でもそのくらい長い間、人を呪い殺すとかいう怖ろしいものが、この世を彷徨っていた――そのこと自体が、私は怖ろしいと思った。

 ところが環さんは相変らず涼しい顔で、

「『A子さん』が三十年もの間、誰かに消されたりせずに永らえてきたのは、地味だったからでしょうね。これ自体は強力ですが、そのわりには被害が少なかった」

 などと言うので、また「少なかったんですか!?」と大きな声が出てしまった。

「そうですね。あくまで力の強さの割には、ですが」

 環さんはあっさりとそう答えた。

「さっきも言ったとおり、『A子さん』はよみごの方法を使って作られたものではありません。こういうものは色んな作り方や流派がありますから――ですから色々と推測しなければならないところが多いのですが、『A子さん』はおそらく、ターゲットに完全にとり憑くまでに、少々手間がかかるタイプだったんじゃないかと思います。神谷さんは『A子さん』にくっつかれてはいたけれど、支配されてはいなかったですよね」

「そういう状態だったんですか? 私」

「はい。完全にとり憑かれた状態になっていたら、きっと人が変わったようになっていたと思います」

 どうも鷹島さんのあの性格は、「人が変わったようになった」後のものらしいのだ。

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