09

 私のスマートフォンが振動する音に、シロさんはすぐに気づいたらしい。合成音声が『電話ですか?』と尋ねてきた。

「電話……えりかからです。友人の。昨日の深夜、シロさんが電話くれたときに私、彼女の家にいて」

 動揺して下手くそな説明しかできなかったけれど、シロさんはそれで大体思い出して、察してくれたらしい。

『出てもいいですよ。急ぎの用事かもしれないし』

 そうだったとして、ろくな用事のような気がしない。気にはなる。えりかの言う「あさみさん」とは一体何者なのか。あさみさんは、私に憑いているものの何を、どうして知っていたのだろうか。でも、出るのにはつい躊躇してしまう。

「お電話ですか? 遠慮なくどうぞ」

 運転手さんもそう言ってくれた。親切なのはありがたいけれど、ふと「この人を巻き込んでしまったりはしないだろうか」と不安になった。まぁ、本当にまずかったらシロさんがなんとかしてくれるだろうと思う。思いたい……。

 でも正直、あまり出たくはない電話だ。

 ひとつ深呼吸をしてから、私は「通話」のアイコンをタップした。

「もしもし」

『もしもし、実咲?』

 えりかの声が聞こえた。普段通りの、明るい声だ。深夜のことが全部嘘だったような気さえするような、毎日のように会って話していた学生時代を思い出して悲しくなるような、いつものえりかの声だった。

「何? わざわざ電話なんか」

『実咲の声が聞きたくてさ〜。で、どう?』

「どうって……何が?」

『まだ開けてないの?』

 心配するような、同時に少し苛立っているような声になって、えりかは言った。『開けちゃえばいいのに。あさみさんだって、開けたらいいって言ってたじゃん』

「何のこと? 開けたらって……」

『ああそっか、夢の中でのことは覚えてないんだね。じゃあ今日眠ったときに思い出してね。いい? 開けるんだよ。あさみさんの言う通りにしておけば大丈夫だから』

 えりかの言う通り、夢の中のことは覚えていない。でも直感的にひどく邪悪な助言を受けたような気がした。気がつくと自分の口が動いて、「開けないよ」と返事をしていた。

 電話の向こうで、すーっと息を吸うような音が聞こえた。そして、

『開けなよ』

 静かな、重たい声で、えりかが言った。『実咲。なんで開けないの?』

「開けたくないから」

 私はシンプルにそう言い張った。理由なんかどうでもいい。とにかくここで「じゃあ開けるよ」なんて、嘘でもそう言ったら、絶対に駄目だと思った。

『いや、開けなよ。なんで開けないの?』

 えりかの声が、だんだん早口に、詰るような調子に変わっていく。『なんであさみさんの言うこと聞けないの? 何がダメ? どうして信用してくれないの? 実咲だって困ってるんじゃないの?』

「開けない。絶対に開けたくない」

 わけもわからず、子供みたいに言い張っていると、少ししてえりかが「ふう」とため息をついた。

『やっぱり実咲は実咲だね。わかるわけないよね。せっかくあさみさんが心配してくれたのに。あさみさんが……』

「ねぇ、待って」

 私は思い切って踏み込んでみた。もしもえりかの家にいるのが「あさみさん」だとしたら――

「教えてほしいんだけど。あさみさんのフルネームって、もしかして『長下部麻美』?」

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