07
「シロさん、怪我増えてませんか?」
『ません』
機械の音声でそう答えると、シロさんは元来た道を歩き始めた。とりあえずはほっとしつつ、私はその後ろを追いかけた。
動悸は治まっていなかった。悪い感じではない。幼い頃を過ごした家にひさしぶりに足を踏み入れたような、懐かしさと嬉しさを含んだどきどきする感じが、胸の中に広がっていた。それは心地よいものではあったけれど、正体がわからず、気味の悪いものでもあった。
墓地から遠ざかるにつれて、動悸は少しずつ弱くなった。広い敷地を抜けていくにつれ、だんだん消えていく。
「はーっ……」
妙などきどきが抜けてきたので、安心して思わず大きなため息をついてしまった。シロさんがこっちを見てちょっと笑った。
その瞬間、本当に今日中に何とかなるんじゃないか、という気がした。
シロさんはさっき、墓誌を触っていた。たぶん、そこに彫られた文字を読んでいたのだ。シロさんは目が見えないけど、石に彫られた文字なら、触って読み取ることができるんじゃないか。
墓誌にはそこに眠っている人の戒名と俗名と享年、それに亡くなった年月日が彫られている。ブログの記事とタクシーの運転手さんの話、それに旧校舎でも何かしらのとっかかりを得ていたとすれば、シロさんはもう、私にとり憑いているものの名前を把握している可能性が十分にある。
そう考えると、否応なしに胸が躍った。
長下部麻里子
長下部麻美
長下部麻沙子
シロさんが重点的に触れていたあたりの名前を、私は覚えている。年齢からいって、踏切事故で亡くなったのは「長下部麻美」だろうか。この憑き物があの高校に関わるものだとするならば、私にとり憑いているのは彼女なのだろうか?
(あさみさん)
ふと、宇佐美えりかの家にいるもののことを思い出して、その符合にぞっとした。「あさみ」は決して珍しい名前じゃない。偶然の一致なのかもしれない。でも。
少なくともえりかの家にいた「あさみさん」は、私に憑いているものについて知っているような口ぶりだった。
「シロさん、憑き物の正体がわかったら弱体化できるってやつ……その正体って、間違えたらまずいですか?」
半ばわかってはいたけれど、尋ねてみた。
『今回はまずいです。ペナルティがあるタイプみたいなので』
「間違えると、今朝みたいに爪が剥がれたりするってことですよね?」
『そうです。違う名前を横で唱えただけで怒られたので、ちゃんと呼んだのが間違ってたら、けっこうまずいと思います』
シロさんは、読み上げアプリを利用して喋るのが上手い。少なくとも誤字があるかどうかは、聞いているだけではわからない。
それはともかく、急に不穏な空気になってきた。名前を指摘して、もしも間違えたとしたら――
「何が起こります?」
『わかりません』
シロさんの答えはシンプルだ。
「あの、さっき旧英星高校で、小さな子に手を握られたような気がしたんですが……」
何度か見たプリーツスカートより、イートインのテーブルの下の子より、なぜだろうか、どうしてもその幼い子供のことが気になるのだ。長下部家の墓誌を見た限り、そんな子供に該当するような人物はいないようだった。
高校で見たものと、ついでにコンビニのイートインで起こったことも伝えた。あの時は話をするどころじゃなかったのだ。シロさんは私の話をうなずきながら聞いていたが、
『たぶん一人じゃなくて、色んな人がいます。これまでそいつがとり憑いてきた人たちが、全員じゃないけどくっついてるというか』
と言った。
「一人じゃないって、どうするんですか? そういう場合」
『核になってるのはおそらく一人なので、そこを狙っていきます。ただ今回は声が出ないので』
そうだった。「声が出ないときって、どうするんですか?」
シロさんはにこにこ笑ったまま、何も答えなかった。急にまた不安になってきた。
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