05
ふいに心臓が強く打った。
二年前に亡くした甥のことを思い出した。小さくて柔らかくてすべすべしたそれは、氷のように冷たかったけれど、幼い子供の手そのものだった。
(ああ、前はここに白いイスがあって、制服を着た女の子がたくさんいて、にぎやかで、見てるだけでも楽しいところだったな)
まるで昔、本当に自分が体験したことみたいに、そう感じた。楽しかった。楽しかった。あんなに楽しかったのに、突然おかしくなってしまった。おかしくなってしまったのはなぜだろう――
私はおそるおそる、自分の左手に視線を落とした。小さな手が、私の人差し指から薬指までの三本をにぎっている。小さな爪が生えそろった手の、小指がやけに短いのが目についた。半袖の服を着た細い腕が、それにつながっている。
このままだと、この子の顔を見てしまう。そのことが急に怖くなったわたしは、慌てて手を振り払った。
周囲を見ないようにしながら、急いで元来た方へと引き返した。
とりあえず駐車場に行こう。運転手さんには不審がられるかもしれないが、人のいる方へ行った方がいい。たぶん、おそらく、一人でいるよりはずっとましだ。
下を向いた視界の隅に、白いスカートを穿いた脚が見えたような気がした。派手な色のハイヒールが一瞬目の端に映った。紺色のプリーツスカートが視界の隅で翻った。さっきまで庭には私ひとりしかいなかったはずだ。なのに何人ものひとが、私の周囲で立ち止まり、通り過ぎていく。
コツン、と靴の踵が硬い音を立てた。
気が付くと、両足が灰色の石造りの床を踏んでいた。左右に靴箱が並んでいる。駐車場に向かったはずなのに、私は今建物の中にいる。
「なんで」
思わず顔を上げた。
目の前に首を吊った女の子がぶら下がっていた。たぶん十代の後半、ボサボサの髪で、両手をだらりと下げている。
うつむいた顔が動いた。私は思わず目をつぶった。
誰かに背中をばん、と叩かれた。
知らない間に全身にまとわりついていた濃い空気みたいなものが、すっと抜けていったような感じがした。私はよろけて三和土に転びそうになった。
まぶたを開ける。もう何もいない。後ろを振り向くと、シロさんが立っていた。
『おつかれさまでした』
目の前に突き出されたスマートフォンの画面には、そう表示されていた。
シロさんは薄手のタオルで左手全体をぐるぐる巻きにしていた。白地のタオルに赤い染みがついている。
「シロさん、それ大丈夫ですか……?」
だんだん広がっていく赤い染みを眺めながら、私の声は震えた。静かな旧校舎の中に、上ずった声が響いた。でもシロさんは、
『大丈夫です。戻りましょう』
そう画面に表示させると、外へとひとりで歩いていってしまった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます