12
「一時間もいらなかったね。十五分もあれば十分だったよ」
練習の後、部室に人がいない間を見計らってはーこに話を聞くと、彼女はそう言って笑った。
「みんなにすごいすごいって褒められたよ」
「よかったじゃん」
「よかったのかなぁ……」
なんでも記憶が飛んでいる一時間の間、わたしは「すごかった」らしい。八城さんにためらいなく話しかけ、みんなが迷惑していることを伝え、上手くなりたい気持ちはわかると言いながらも部の方針には従ってほしいと譲らず、八城さんに何を言われても平気な顔をしていたらしい。想像できないけど、とにかくそうだったんだって言われたら、覚えていないだけに言い返しようがない。
やがて反論できなくなった八城さんは部室を出て行き、わたしは何事もなかったかのように場を仕切って、発声練習を始めさせたという。それから顧問がやってきて、クリスマスコンサートの曲練習が始まり、わたしは伴奏のためにピアノの前に座った。わたしの意識が戻ったのは、それからまた十分ほど後のことだ。
「よかったじゃん。八城さんのことは何とかなりそうだよ。音楽室出て行くとき、今度退部届持ってくるって言ってたもん。さすがあさみさんだよねぇ。あたし、あんなふうに説得するなんて絶対無理だよ」
「わたしだって無理だよ……」
「だから、あさみさんに頼んでよかったんじゃん。ああ、あさみさんのことは大丈夫だよ。あたしがあの後お礼言って、ちゃんと帰ってもらったから」
はーこの言う通り「よかった」のかもしれないけど、でも、もやもやした。
二人で部室を出たとたん、「なつみさん」と話しかけられた。ソプラノパートの子たちが何人か、廊下に集まっていた。
「なっちゃんさん、今日すごかったです!」
「八城さんには迷惑してたんで、ほんと助かりました」
口々に話しかけてくる彼女たちに、まさか「あれは幽霊が全部やってくれたんだよ」なんて言えず、わたしは「たまたまだよ……」なんて返しながら、曖昧に笑いかけた。
一生分くらいほめられた。すごく堂々としてて、大人みたいでした。尊敬します。かっこよかったです。ありがとうございます。他のパートの子たちもやってきて、口々にお礼を言った。
みんな目がきらきらしていた。そんな目で見ないでほしかった。
隣を見ると、はーこがにこにこしている。はーこが何を考えているのかわからなくなって、背中がひゅっと冷たくなった。
「あの、疲れたからもう帰るね……」
「お疲れ様でしたぁ」
はーこに付き添われるようにして、学校を出た。
「よかったじゃん。八城さんのこと、どうにかなったでしょ」
下を向いて歩くわたしをなぐさめるように、はーこが言った。「ああするのが一番よかったんだよ」
わたしは小さくうなずいた。はーこの言う通りかもしれない、と思った。わたしがどんなに頑張ってみたって、きっと今日みたいには上手くいかなかっただろう。
だから、これでよかったのだ。そう思うしかない。何にせよもう起きてしまったことだ。そうやって受け入れていかないと、どうしようもない。
翌日、八城さんは本当に退部届を持ってきた。顧問にそれを渡したあと、わたしのところにわざわざやってきた。怒られるのかと思ったら「今までごめんなさい」と言われた。
わたしだって八城さんには困っていたし、辞めてくれるのは正直助かる。でも、喉の奥で何かがモヤモヤ凝っていた。
「わたしも、その……」
言い淀んでいる間に、八城さんは音楽室を出て行ってしまった。
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