22

「ほんとにすぐ寝ちゃうんだな……」

 私は感心しながら呟いた。

 起きている間もほとんど常に目を閉じているシロさんだけど、それでも「寝ます」と宣言した後は結構様子が変わる。あらゆるリアクションが返ってこなくなって、「ああ、今は話しかけても無駄なんだな」ということが、不思議と見た目でわかるのだ。

 シロさんが眠っていることに、私はなぜか安心する。この安心が誰のものなのかわからない。私ではなく、私にとり憑いている「何か」の気持ちなのかもしれない。

 私にとり憑いているものは、一体何なんだろう。あんまりあいつのことを考えてはいけないのだろうか? でも「まったく考えない」ということはすごく難しい。「考えてはいけない」と思うことほど、頭の中に浮かんできてしまうものだ。

 私は鷹島さんのことを思い出してみる。私が知っている鷹島さんは、本当に本来の「鷹島美冬」という人物だったのだろうか。

 私は「拝み屋さんのところに代わりに行ってほしい」と電話してきた彼女の、常にない口調を思い出した。もしもあのとき、普段の間延びした喋り方でそう頼まれたとしたら、私は引き受けただろうか? あのとき電話をかけてきた鷹島さんが、普段のダラダラした彼女らしくなかったから、そこに真剣味を感じて、シロさんのところに行ったんじゃなかったか。

(あの電話のときの鷹島さんが、本当の鷹島さんだったのかもしれない)

 そうかもしれないと思ったら、なんだか急に悲しくなってきてしまった。

 窓の外を、若い男の子たちが何人か、ゲラゲラ笑いながら通りすぎた。私はふと、薄い嫌悪感を覚えた。

 そういえば、さっきもシロさんだけじゃなく、店主のこともひどく煩わしかった。女の子たちのことは全然嫌じゃなかったのに、今思えば変だ。もしかしたら私にとり憑いているものは、男性が苦手なのかもしれない――そんなことを考えた。

(それにしても賑やかだな……まぁ当たり前か、大学の近くだもんね。学生が多いんだ)

 午後一時を過ぎてお客さんが急に増え始め、店内はさっきよりもガヤガヤと騒がしい。表の通りも人の声やら何やらで賑やかだ。シロさんは平気で寝ているけど、せめて外の音だけでも減らした方がいいかな……と、カーテンを閉めてみた。少しはマシになった気がするけど、どうだろう?

 カーテンを閉めても、外光の暖かさは伝わってくる。うっかり眠くなりそうだ。私はコーヒーを飲み、気を紛らわそうとスマートフォンを取り出した。そのとき、

 こん

 と、音が聞こえた。

 大きくはない。聞き逃してしまいそうな音だ。でもなぜかそれに語りかけられているようで、私には気になった。

 こん、こん

 音は続けて鳴った。ノックの音みたいだ。こん、こん、こん。

 音は窓の外から聞こえた。閉まったカーテンのすぐ向こう側で、誰かがガラスを叩いている。

「せんぱい」

 女の声が聞こえた。

「せんぱいにぃ、頼みたいことがあってぇ」

 間延びしたような声を聞いて、全身に怖気が走った。おかしい。今の私は起きているのに。

(シロさんは何て言ってたっけ)

 私は彼の言葉を思い出そうとした。

(そういうやつは、だんだん現実にも侵食してくるのが定石ですよ)

 確か、そう言っていた。

 カーテンで隠れた窓の向こうから、た

たみかけるようにノックの音が続く。

 こん、こん、こん、こん

「し、シロさん」

 私は彼の右肩に手をかけて、祈るように揺さぶった。途端にシロさんがふっと顔を上げる。少し前に曲がっていた背筋がすっと伸び、嘘みたいに、まるでオンとオフのスイッチがついてるみたいに目を覚ます。

「神谷さん、何かありました?」

 少し眉を潜めながら、シロさんが尋ねる。もうノックの音はしなくなっていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る