18

「英星女子ってとこでも、同じようなことがあったんですか」

「そうそう。今じゃ部外者が高校に勝手に入るなんてできないと思うけど、なにせ二十年前の話だから」

 そこまで言うと、店主はふと何かを思い出したように「ああ」と呟いた。

「そういえば噂になってた子、英星の制服を着てたらしいのよ……だからもしかしたら卒業生か、身内に生徒さんがいたのかもしれないね。そうじゃないと、たぶん入手が難しかったと思うよ」

「なるほどねぇ」

 シロさんがうなずく。なんでこの人はこんな話を聞きたがるのだろう? 店主にいちいち質問をして、迷惑だと思わないのだろうか? 店主も店主だ。ほかにもお客さんがいるのに、いつまでここで油を売っているつもりなのだろう? 他の従業員だって忙しいだろうに、いつまでもこんなところでダラダラして、英星女子のことまでべらべら喋って――頭がおかしいんじゃないのか?

 ぱっと頭の中に浮かんだ言葉の厭な強さにはっとして、私は我に返った。ひどくイライラする。普段の私はこんな感じではないのに、おかしい……いや、違う。おかしいのはシロさんと店主の方だ。行動が明らかに適切ではない。だから――

「おっと、長話ごめんなさいね。それじゃ、ゆっくりしていってね」

 店主がようやく話を切り上げて、テーブルの横を離れた。私は安堵のあまり、つい大きなため息をついてしまった。

 ボブカットとロングヘアの女の子たちは、眉をひそめて何か話し合っている。こんな気味の悪い話を聞かされたのだから、いやな顔をしてしまうのも当然のことだ。気味の悪い話を若い女の子たちに聞かせるなんて、最低な人間のすることだ。人の過去を探って、聞き込みなんかして、初対面の人に馴れ馴れしくして、酷い話だ。酷い――

「……あの、お姉さん?」

 ロングヘアの子に話しかけられて、私は我に返った。女の子の声は少し震えている。

「大丈夫ですか……?」

「えっ、何が?」

 女の子は気味悪そうに顔をしかめて、「手」と答えた。

 そう言われて初めて、左手が痛いことに気づいた。皮膚が破れて血が滲んでいる。いつのまにかテーブルの上で、自分の手の甲にぎゅっと爪を立てていたのだ――ということを悟った途端、背筋が寒くなった。

 やっぱりおかしい。おかしいのは私だ。

「あの……私たち、そろそろ」

 ボブカットの子が、遠慮がちにそう言った。「すみません、中途半端で」

「いやいや、すごく助かりました! ありがとう」

 シロさんが、勝手に女の子たちを帰そうとする。

「いえ、こちらこそありがとうございます。ごちそうさまでした」

 女の子たちはあわただしく席を立ち、さっさと店の外へ出て行く。

 ひどく寂しい気持ちになった。あの子たちともっと一緒にいられたら、友達になれたかもしれない。なのにどうしてシロさんは帰してしまったのだろう? どうして、この人のやることなすことは、ことごとく私の気に障るようになってしまったんだろう?

「やぁ、よかったですね神谷さん。これはなかなか収穫があったんじゃないですか?」

 シロさんが話しかけてくる。どうしてこんなふうにヘラヘラしていられるんだろう? おかしいとわかっているのに、むやみにイライラしてしまう。

「ああ、女の子たちの手前ああ言いましたけど、ボクがちゃんと払いますよ。何しろ経費は全部加賀美さんに請求するので。よかったら昼食もとっていきます?」

 なんでこんなに呑気でいられるんだろう。

 テーブルの上のグラスに手が伸びる。この人に中の水をぶっかけてやりたい。そしたらいなくなってくれないだろうか? 私は彼のことが嫌いだ。おかしいことはわかっているのに――


「やっぱり神谷さん、変じゃなぁ」

 と、シロさんが言った。「あんまりやりたくないけど、一度やるかぁ」

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