03

 シロさんの言う「ギリギリ手をかけてないだけ」の加減が私にはわからない。ただついさっきは「よみたくない」と言っていたはずのシロさんが、今は膝の上に巻物を広げているということ自体、状況はあまりよくないのだという証拠のように思えた。

「――ていうかシロさん、私が寝てたらすぐに起こしてくださいよ」

「すみません、ちょっと手がかりがないかと思って」

 シロさんは悪びれる様子もなくそう言った。折れてはいないと言い切ったくせに、腫れた薬指を小指とまとめてぐるぐる巻きにし、器用にテーピングを終えたところだ。どう考えても痛くないはずはないのに、それでも飄々として見えるのは、「お前の攻撃なんか効いてない」という顔をしなければならないからなのだろう、と思う。

「ところで神谷さん、夢の中で何かありました?」

 エナジードリンクを流し込んでいたら、シロさんにそう訊かれた。夢の記憶は起きた途端にどんどん希薄になっていってしまうものだ。それでもなんとか思い出そうと頭をひねりながら、私は夢の話をした。無人の電車、真っ暗な窓、ドアの向こうの人影とプリーツスカート――思い出すと背筋が寒くなった。

「ふーん……そういえば神谷さん、思い出したんですけど」

 シロさんは急に話題を変える。「昨日の……日付的には今日か。夜、お友達の家に行ったっておっしゃったじゃないですか」

「えりかの家のことですか……」

 思い出すと胸が痛んだ。えりかのことを、どう考えたらいいのかわからなかった。普通の子だと思っていた。お母さんの持病のために私の知らない苦労をしているにせよ、普通の家庭の子だとも思っていた。でも、どうやらそうではないのだということがわかってきた今、えりかに対してどんな気持ちを抱いていればいいのかわからなかった。しいていえば恐怖と、それから罪悪感があった。えりかが困っていたとき、私はそのことにまるで気づかずにいた。

(実咲だってさ、いやなことをさぁ、誰かが代わりにやってくれたらいいのにって思うこと、あるでしょ。わたしはあったよ)

 たぶん、そういうことは私やえりかだけじゃなくて、誰にでもあることだ。私の場合、それは頑張れば我慢できる程度のことで、でもえりかの場合はそうじゃなかった。

「さっき一通り話は聞きましたけど、ボク結構そのあたりも気になるんですよ。何か思い出したら教えてください」

「えりかの家でのことですか?」

「そうです。できればそっちもあんまりよみたくないというか、もし同業者だったら面倒なんで……」

「そういうものなんですか? じゃあ、まぁ……」

 なるべく元気よく請け負いたかったけれど、あんまり勢いのある返事はできなかった。それでもシロさんには納得してもらえたのか、いつも笑ってるみたいな顔をもう一段階くらい笑顔にすると、

「よろしくお願いします。じゃあ降りる駅まであと二十分くらいあるみたいなので、ボク寝ますね。神谷さんは眠らないように気をつけてください」

 と言うが早いか、ストンと前方に首を傾げた。

「へっ? シロさん……うわっ、ほんとに寝てる……?」

 ものすごい特技だ。一体どうやったらそんなことができるようになるんだろう――と。驚きと呆れと羨ましさが混じった気持ちになりながら、私は飲みかけのエナジードリンクを飲みほした。眠ってはいけない。地味だけど辛い戦いだ。

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