02

(早く目覚めなくちゃ)

 そう思ってはみたけれど、どうやったら目が覚めるのかわからない。

 そのとき、一際大きく電車が揺れた。

 ふいを突かれて大きくよろけ、視界が一旦足元を向く。そのとき、車両同士を隔てる引き戸に嵌められた大きなガラス窓の向こうに、誰かが立っているのが見えた。

 足元しか見えない。中高生の制服みたいな紺色のプリーツスカートだな、と思った瞬間、肩をとんとんと叩かれた。


「神谷さん」


 名前を呼ばれて、とっさに「はいっ!」と大きな返事をした。急に電車の走行音が大きくなって、閉じた瞼の裏が明るくなった。

 おそるおそる目を開けると、そこは電車の中だった。

 私はずらりと並んだ二列シートのひとつに腰かけ、隣にはシロさんが座っている。私の肩を叩いて起こしたのは彼らしく、「そんな大きな声で返事しなくていいですよ」と言って笑っている。

 窓の外はごく普通の明るさだ。車内は空いているものの、私たち以外の客も何人か乗っている。次の駅が近づく旨のアナウンスが流れ、赤いスポーツバッグを背負った高校生くらいの男の子が、席を立ってドアの前に移動し始めた。

「ふふふ」

 近くで笑い声がした。通路を挟んで斜め前の席に座っているおばさんたちが、こちらを見て申し訳なさそうに笑っている。そんなに大きな声で返事をしただろうか――寝起きの頭がはっきりしてくると同時に、猛烈に恥ずかしくなってきた。

「やー、神谷さん、真面目な小学生みたいな返事でしたね。ボクもちょっと面白かったです」

 シロさんもそう言って笑っている。笑いながら、右手で左手の指をぎゅっと握ったり、離したりを繰り返している。

 私がうたた寝をしている間に取り出したのだろう、シロさんの膝の上には巻物が広げられていた。その真っ白な紙の上で、シロさんはなおも左手を握ったり離したりしている。

 恥ずかしいどころではなくなってきた。

「あの、シロさん?」

「気にしないでください。カフェイン摂ります? 落ち合う前に買ってきたやつ」

「あのぉ……」

「やっぱ勝手するとペナルティはあるみたいですね。いやー、しょうがないな。まぁ、しばらくはまだ平気ですよ」

 わざとらしいほど快活に喋るシロさんの左手の薬指が、紫色に変色して腫れていた。言葉に詰まってしまった私に、シロさんは言った。

「で、名前が『る』で始まる人、思いつきました?」


 しりとりは私が負けた。うっかり「ルイ・ヴィトン」と答えてしまって心が折れたというのもあるけれど、それどころではないというのが正直な気持ちだった。

「指なら、折れてはないです」

 心配する私に、シロさんはこともなげにそう言い放った。でも「折れてないんだったらいいか」と流してしまうには、少し大事過ぎるケガだ。

「まだそいつそのものをよんではいないんです。今は神谷さんをよんでただけ」シロさんは自分に言い聞かせるようにそう言った。「ギリギリ手をかけてはないです。まぁもうそいつ、ちょっと怒ってますけどね」

 シロさんは巻物をくるくる巻いてボディバッグの中にしまい込み、一度だけため息をついた。

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