06
「こわい?」
ほとんど無意識にオウム返ししてしまった黒木の方を、まりあがすごい勢いで振り返った。
「無視ですってば!」
「ごめん! つい……」
「ツッコみたくなるのはわかりますけど!」
「こわいぃ」
幸二はふたたび女の声でそう繰り返すと、ばっと顔を伏せた。まりあがきゅっと眉をひそめる。黒木も思わず緊張した。
「……して…………ないのぉ……」
依然女の声でぶつぶつ言いながら、幸二がふらりと立ち上がった。どこに行くのかと思えば、ふらふらと部屋の隅に行ってまた座り込む。
「びっくりした……こわいのはこっちの方なんですけど……」
まりあが小さな声で呟いた。黒木もそうだねと小声で返す。本当にその通りだ。黒木はさっき一瞬だけ見た首のない女の姿を思い出し、背筋がひんやりと冷たくなった。あんな正体不明の怖ろしいものが、一体自分以外の何を怖がるというのだろう。
幸二がとりあえずは大人しくしていることに安堵しつつ、この状況がいつまで続くかわからないということに、同時にストレスも感じてしまう。胃が痛くなりそうだ、と黒木は思った。
(志朗さん、ほんと早く戻ってこないかな……)
心の中で強く祈っていると、まりあが痺れを切らしたように、
「あの! 幸二さん!」
と声をかけた。ぎょっとしたが、「幽霊と話すな」という禁を破ったわけではない。まりあはあくまで幸二を指名し、彼と会話をしようとしているらしい。
「えーっと、こんなこと言ったら失礼だと思うんですけど、幸二さん、そろそろ着替えてもらえませんか? 幸二さんの服、さっき吐いたときに汚れたままですよね? ですよね幸二さん? 着替え買ってきてもらってるんで、こっち着てもらえませんか? 幸二さん」
不自然なほど何度も名前を呼んでいる。それはともかく、黒木も幸二には早く着替えてほしいと思っている。
まりあが戻ってくる前、一応着替えてもらおうと努力はしてみたのだ。といっても目の前に着替えを持っていっただけだが、案の定まるで無反応だった。見ようとする素振りすら見せないのだ。さりとて無理矢理着替えさせるのは難しい。結局試みは失敗し、幸二はまだ吐瀉物がついた服を着ているのだ。
幸二はまだしゃがみ込んでいたが、顔を上げてこちらを見た。子供のようにぎゅーっと顔をしかめ、その表情にはなにかしら、理解可能な感情が含まれているような気がした。
「幸二さぁん」
まりあは何度か彼の名前を呼んでみる。が、返事はない。あの表情が幸二のものなのか、それともとり憑いているものの顔つきなのか。黒木にはそれすら判然としない。
このまま幸二が元に戻らなかったら――そちらの方も気がかりだ。最悪加賀美春英に迎えに来てもらえば、なにもかも解決するような気もする……が、そういうわけにもいくまい。
「うーん、ほんと困っちゃいましたね黒木さん」
まりあが首をかしげる。「わたしが名前呼んだりするのも、ほんとはあんまりやっちゃいけないと思うんですよね。あくまで幸二さん一人で何とかすべきなんだと思うんですけど……でも進まないと困りますよね」
そのとき、ふいに幸二の右手が動いた。
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