08

「――それで神谷さん、ほとんど寝ないでいらしたんですか」


 およそ七時間後、シロさんは彼自身が指定した駅の、小さな駅舎の中にあるベンチに座って私を待っていた。目が見えないはずなのに、彼は私の乗ったタクシーが駅に着いた途端にぱっとこちらに顔を向け、臭いものでも嗅いだみたいに顔をしかめた。

(呼び出しといてシロさん、すごい顔するな……いや、助けてくれるのはありがたいんだけど、でもすごいイヤそう)

 たぶん、それなりのものが私にくっついているのだろう。

 私はのろのろとシロさんの方に向かった。しんどい。こんなに眠れなかったのはひさしぶりだ。二十代前半の頃はわりと平気だったはずの徹夜が、いつの間にかそうではなくなっていたことへのショックも避けられない。タクシーの中では何度も寝落ちしそうになり、ひたすらドライバーに話しかけることでなんとか事なきを得た。

「……おはようございます」

 私はぐったりと疲れて、彼の隣に腰かけた。が、すぐにもう一度立ち上がった。座ると体が重くなって、意識がだんだん泥のように曖昧になっていくような気がした。

「はい、おはようございます。遠くまですみません、おつかれさまでした」

「どうも。疲れました……なんでこんな何もない駅に呼んだんですか?」

「何もないからですよ。神谷さんの状況がよくわからないから、とりあえずとばっちり食らう人がいない方がいいかと思って。移動しようと思ったらできるし――あとは勘です」

「勘……」

 勘はともかく、駅の駐車場には、タクシー会社の大きな看板がかけられている。電車がなかったらタクシーか、高いんだよなぁ――と、こんな場合だというのにとっさにそんなことを考えてしまう。それを見抜いたかのように、「大丈夫ですよ。必要な交通費は後で加賀美さんにもらいますから」とシロさんが言った。

「加賀美さんに?」

「ボクに神谷さんの件を頼むって言うてきたの、加賀美さんですからね。神谷さん、電話かけたでしょ? 加賀美さん本人は別件で身動きがとれないから、ボクに回ってきたんですよ。頼んだ以上必要経費は払ってくれるそうだから、今回は遠慮せずに、必要なときはタクシーもグリーン車もガンガン使いましょう」

「はぁ」

 いいのだろうか。ガンガン使っても。

「で、先に言っておきますけど、ボク今回二日しか予定を空けられなかったんですよね、すみませんけど。じゃけぇ今日と明日で、なるべくなんとかしたいと思います」

「そうなんですか……」

 やっぱりシロさんはなかなか忙しいらしい。

「これ、二日間もかかるんですか?」

「うーん、厄介じゃけぇなぁ……」

 シロさんは考え込んでいる。

(今日はまだよまないのかな)

 ふと気になった。まさか仕事道具を持っていない――なんてことはないだろう。シロさんはそういうミスをしなさそうだし、体の前側に回した細長いボディバッグは、彼が使っている巻物がすっぽり入りそうに見える。でも、シロさんはまだ巻物を取り出さない。

「それで神谷さん、どんな感じですか?」

 なんて、話をしようとする。前はろくに話も聞かずによみ始めたっていうのに――私はじれったくなってきてしまい、

「シロさん、まだよまないんですか?」

 と尋ねた。シロさんは困ったようにまた「うーん」と唸る。

「なんか神谷さんにくっついてるやつ、迂闊によむとまずそうなんですよね……もしかしたら、神谷さんからボクの方に移動してくるかもしれないし」

「えっ、移動してほしい……」

「カンベンしてください」

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