04
えりかは振り向いて、私の顔をじっと見つめた。ついさっき笑いながら話していたのが嘘みたいに、表情がすとんと抜け落ちて、まるで仮面みたいだった。えりかがそんな顔をするところを、私は一度も見たことがなかった。思わず言葉を失って、見つめ返すことしかできなくなった。
「あさみさんはあさみさんなの。わかる? もう母じゃないの」
えりかの唇が動く。「あさみさんが来てくれるまで、うちは大変だったんだよ。実咲は親が二人ともちゃんとしてて、普通に常識があるからわからないかもしれないけどね。いくら相手が病人で、自分の母親でもさ、一日中ご機嫌とるっていうのはきついよ。うちはずっとそんなんだったの。もしも就職で実家出てなかったら、たぶんわたし、もう死んでたと思う。はーっ」
えりかは長い長いため息をつく。「恵まれてる人にこんなこと言ったってわかんないよね」という諦め半分みたいな気持ちが、そのため息に詰まっている気がした。
「……あさみさんが来てくれてから、わたしもお父さんも、本当に楽になったんだよ」
ぽつんとこぼれた言葉が、彼女の本心のように思えた。
こんな状況だけど、えりかのことは心配だ。彼女のご両親のことだって気にかかる。だってえりかが「あさみさん」と呼んでいる女性は、どう見たって彼女自身の母親だ。何度か顔を見たことがあるし、面差しもえりかに似ている。ベッドサイドの写真に写っているのも彼女だ。確かに写真よりは多少老けているし、痩せてもいる。でも間違いない。
それだけじゃなく、あさみさんを妄信するようなえりかの言動も危うい。もしかしたらあさみさんの存在によって、えりかは本当に「楽になった」のかもしれない。でも、異様だ。このまま放っておいてもいいとは思えないし、何もせずに帰りたくはなかった。そのとき、
「よかったね実咲! 簡単じゃん! 開ければいいんだって!」
突然、えりかが大声でそう言った。
「……はぁ?」
「だからー、あさみさんの言ってたこと聞いてた!? 逃げたり隠れたりするのをやめて、開ければいいんだよ! ほら、あさみさんよく知ってるって言ってたじゃない!? よく知ってるんだったら、その人を信頼して従った方がいいと思うなぁ!」
「ちょっと待って。そもそもさぁ」
「ねぇあさみさんあさみさん、それ以外の方法ってあります? 実咲が怖い夢を見なくなる方法」
「それが離れたら夢には出なくなるわよ。実咲さんが死んだら、それは離れるのよ」
えりかのお母さん――あさみさんは、にこにこ笑いながらそう言った。
「死んだら離れて、親しいひとにくっつくのよ。実咲さんが『このひとともっと一緒にいたいな』って思うような、そういうひとのところに飛んでいって、くっつくの」
「なにそれ……」
かすれた声しか出なかった。いつのまにか緊張で喉がからからになっている。くっつく? そもそも私はどこでそれをくっつけたのだろう? やっぱりあの日、記憶がすとんとなくなっている辺りなのか? 一体どこから飛んできたのだろう? 誰のところから?
頭の中がぐちゃぐちゃになって、とても考え事ができるような心境じゃない。
「はははははは」
突然、えりかが声をあげて笑いだした。「実咲はいいね! そのくらい好きになってくれる人がいたってことじゃん! いいね! いいことだよ!」
「いっ……いわけないでしょ!?」
私は大声でそう叫んだ。そのとき、
「いいのよ。死ななくたっていいのよ。ただ受け入れたらすごく楽になるのよ。とても楽よ」
そう言いながら、あさみさんが立ち上がった。
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