08

 黒木は今来た方向を振り返った。喫茶店自体は見えるが、幸二の姿は確認できない。

(あの人本当に加賀美幸二さんですよね?)

 まりあのその問いに対する答えを、黒木はもちろん持っていない。

「……ところでまりちゃん、俺の方はなにかあったん」

「あ、黒木さんのことはよんでないです」

 まりあはきっぱりとそう言った。

「幸二さん、怪しい人ですよ? 『よませてください』なんて言って、素直にさせてくれると思います? お師匠さんならともかく、わたしはよむ対象それ自体がすぐ近くにいないとよめません」

 どうやら黒木をよむと言ったのは、こっそり幸二をよむための嘘だったらしい。正直恐い。少し前までのまりあはごく普通――ではなかったかもしれないが、しかし黒木の目には可愛らしい、ふわふわ笑う少女だった。今もふわふわした笑い方は変わらないが、とはいえずいぶん強かになったと思う。よみごがどうこうというより、志朗の影響のような気がするが――

 黙っている黒木が気になったのか、まりあが「あのぅ」と話しかけてきた。

「あの、黒木さんはふだんの黒木さんですよ。よんでないからカンですけど」

「どうも……」

「お師匠さんは何考えてるんですかね……絶対気づいてないはずない……」

 まりあはバッグの中からスマートフォンを取り出し、志朗に電話をかけようとした。そのとき、黒木のスマートフォンが振動した。

「お師匠さんですか?」

 まりあが耳聡く反応する。黒木は「うん……」と相槌を打つ。テキストメッセージだ。

『急だけどちょっと空けます。変更した予定についてはまた改めて。まりちゃんによろしく』

 状況はまるでわからなかった。追いかけるようにまりあのスマートフォンが鳴り、ワイヤレスイヤフォンを片方耳に突っ込んだまりあが、

「あの! 『ちょうごめん』って来たんですけど!? お師匠さんから!」

 といきなり怒り出した。


「とにかく戻りましょう。幸二さんに変に思われちゃう」

 言葉だけは落ち着いているようだが、まりあの声は小さく震えている。

 志朗からの連絡に加えて、黒木に届いたメッセージの内容を教えられて以降、まりあはあまり平静な様子ではない。戻っても戻らなくても変に思われるだろうな――と半ば諦めと共に考えながら、黒木はともかく彼女を伴って店に戻った。

 幸二は手持ち無沙汰な様子でスマートフォンを眺めていたが、二人が戻ってきたのに気づいて手を振った。

「あーよかった、戻ってきて! 大丈夫ですか? どうかしました?」

 と言う幸二は、さっきと同じくいかにも人畜無害そうに見える。あまりに変わらない様子に、黒木はかえって寒気を覚えた。

 幸二は何者なのだろう? 何かを隠しているのか、そもそも彼は本物の加賀美幸二なのか? 志朗のところに来た客や持ち物から時々感じる「厭な感じ」は、幸二からは感じられない。だが、それもあまりアテにはならない。

 自分は幸二を警戒するべきか、それともまりあのよみの正確性を疑うべきか?

(両方やっといた方がいいな……)

 黒木はそう思った。それにひとつ、心配なことがあった。

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