07
「えっ!?」
と思わず出た声が予想以上に大きかったらしい。喫茶店内の視線が自分に集まるのを感じて、黒木は椅子の上で小さくなった(とはいえかなり大きい)。ちょうど飲み物を運んできた店員が、ひゃっと小さな声を上げて立ちすくんだ。
「すみません……」
まりあが「びっくりしたぁ」と邪気のない声を上げた。
「ごめんね、でも俺もびっくりしたよ……どういうこと?」
「いや、なんか黒木さん……うん、まぁ、後で話しますので」
「えっ、何? 怖い」
「やだちょっと何かあるんですか黒木さん」
黒木の斜め前のソファ席にまりあと並んで座っている幸二が、黒木から少し体を遠ざけた。
「僕はわからないんですけど……えっ?」
「とにかく、よんでもいいですよね? じゃ、よみますね」
まりあは勝手に了承を得ると、もう一度巻物の上に手を載せる。
彼女の「よみ」が果たしてどれくらいの精度なのか、黒木にはわからない。なにしろ修行を始めてまだ二年足らずの子どもだし、そもそも二年前の夏に突然視力と母親を失った彼女は、修行以前に大きな変化に耐えなければならなかったはずだ。いっそ過酷と言ってもいいような状況下で「よみごとしての小早川まりあ」が果たしてどれだけ成長できたのか――そして、彼女の力にどの程度頼ってもいいのか。志朗は「一年前よりはずいぶんよくなった」というが、その彼にしたってまりあがよんでいるものをそっくり共有できるわけではないらしい。結局のところは、よみご個々人の感覚によって磨いていくしかないという。
ともかく、黒木は緊張している。まりあの技量がどれほどのものにせよ、こんなことを頼まれたのは初めてだ。はたして何がわかるのだろうとハラハラしながら彼女の動きを見守っていると、ふいにその手がぴたりと止まった。
「おしまいっ」
まりあがそう言って両手をあげ、ぱっと顔を押さえた。
黒木は慌てて彼女の前から巻物を取り上げた。直後、テーブルの上に赤いものがぱたぱたと落ちた。
「だいじょぶ、ただの鼻血です」
くぐもった声でまりあが言った。「ちょっとキャパ超えただけ。大丈夫。黒木さん、ありがと」
「うおっ。まりあさん、本当に大丈夫?」
幸二が心配そうに尋ねつつ、バッグからポケットティッシュを出してまりあの前に置いた。
「あっ、そうか見えないんだった。ティッシュ使う? はい」
「すみません、お言葉に甘えます」
「しっかりしてるなぁ、まりあさん」
幸二が感心したようにうなずく。「でもこれ、僕はちょっと怖いですよ。神谷さんの件は一旦調べるのを切り上げて、帰った方がよくないですか? そりゃ気がかりではありますが……」
「いえ、ちょっと鼻血が出たくらいで引き下がるよみごはいないと、お師匠さんが言ってました」
ティッシュを鼻に詰めている分格好よくはないが、まりあはきっぱりと答えた。
「お師匠さん、案外スパルタなんだね。うちの母も大概だけど……」
幸二がそう言いながらうなずく。どうやら加賀美春英はなかなか厳しい師匠のようだ。実のところ、彼らにはいささか危機感が足りないのではないか……と黒木は思っている。志朗や、彼の近辺にいる霊能者を名乗る人物は、えてしてそういう我慢をしがちだ――とも思う。できれば改めてもらいたいが、かといって修行に口出しをすると、まりあが嫌がるのだ。
「というわけで黒木さん、ちょっといいですか? 幸二さんはここで待っててください」
そう言いながらまりあは席を立ち、黒木に誘導させながら一旦店を出、ブルーシートとは反対側へと歩かせる。雑居ビルの前から少し遠ざかると、彼女は足を止めた。
「黒木さん、お師匠さんから何か聞いてませんか?」
「はい?」
「加賀美幸二さんに関して、何か聞いてませんか?」
「いや、特に何も……」
「わたし、変だと思うんですけど」
まりあはつかんでいた黒木の袖を、ますます強くぎゅっと握りしめた。
「だってあの人、神社の人なのになんか禍々しいですもん。あの人、ほんとに加賀美幸二さんですよね?」
黒木はとっさに何も言えなかった。
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