05
駅近くにあるビルの前に、ビニールシートと立ち入り禁止のテープで覆われた場所がある。「ここで何かが起こった」ということの、明確な証のように見えた。
(そういえばこの辺で飛び降りがあったんだっけ)
黒木は記憶をさかのぼる。ちょうど神谷が来た日に起こった事件だ。「駅の方で何か事件があったらしい」という情報が耳に入った時点で、彼はニュースサイトやSNSをチェックしていた。言うまでもなく「神谷に何かあったのではないか?」と気になったからで、もし何かあったのであれば現地に赴こうとも思った。
結果、確かに女性が飛び降りたという事件はあった。が、事件があったのは、神谷がこの事務所を出るよりも前のことだったらしい。それで一応は安心していたのだが、やっぱりあのときに連絡をとっておけばよかったかもしれない――と今になって後悔した。
「あのへん、何かあります?」
まりあが指をさしたまま尋ねる。おそらく、事件現場のことを言っているのだろう。目が見えないのにそこをぴたりと指定してきたことが、黒木には若干不気味に思われた。まりあはかわいらしい女の子だが、やはり普通の子どもではない。
「ブルーシートとロープで囲われたところがあるんだけど、たぶん、何日か前に女性が飛び降りて亡くなった現場だと思う」
「ああ」
まりあは急に緊張した表情になって、何度かうなずいた。
「あー……」
黒木の横で、幸二がため息のような声を出した。そちらを見ると、幸二は眼鏡をつけたり外したりしながら、まりあが指さす先を眺めているようだった。
よく見ると、幸二の眼鏡はずいぶん分厚いレンズを使っている。かなり視力が悪いのだろう――と黒木は思った。元々の顔立ちに目立った特徴がないせいか、眼鏡を外すとかなり人相が違って見える。
「どうかしました?」
「いや、やっぱりなんかいるなと思って……」
加賀美はそう言って、眼鏡をかけ直した。「そういうものだと、眼鏡がなくてもはっきり見えるんですよ。やだなぁ、無視しよ。母から言われた件に関係あるかわかりませんけど、僕に何かできるわけでもないし」
「そうですか……」
「黒木さんもあんまり見ない方がいいですよ。ああいうのってかまってちゃんだから、リアクションくれそうな人のところに来るんですよ」
そう言われて、黒木も慌てて目をそらした。
「大体、うちの母も無茶ぶりが過ぎると思うんですよね。あのひと、僕が凡人だって認識に乏しいと思うんですよ。だから平気でお使いによこすし……昔のこととかもう忘れちゃってんのかな……」
幸二がぶつぶつと不満を漏らし始め、加賀美家にも色々あるらしいと黒木は推測した。そのとき、
「黒木さん、ちょっとどこか座れるところありませんか?」
まりあが袖を引っ張ってきた。
「座れるところ?」
「なるべくこの近くで、椅子とテーブルがあったらベストなんですけど」
近辺にベンチはない。何かないかと視線をさまよわせた黒木は、ほど近い雑居ビルの一階に喫茶店があったことを思い出した。
「……いや、もう帰りたいっす」
幸二がぼそりと呟いた。
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