キメラが出る
2024年2月17日。
世界はとある国の戦争の話で持ちきりだが、日本は変わらず平和だ。
いや……平和だと信じたい。
……いや、日本はいまだに怪物の影がいまだに見え隠れしているから、やっぱり平和じゃない。
都市部にある歓楽街がある。
誰もが知る日本の有名怪獣がモニュメントとして埋め込まれた巨大ビルを見上げた香美蘭はため息を吐きながら、その手にベレッタを握りしめる。
「まさかこんな白昼堂々とやってくるとはね」
「白昼堂々?こんな夜中の、それにこんな大雨の時は白昼堂々と言えるのかい、蘭ちゃん」
「人間の前に堂々と出てきている時点で白昼堂々よ」
都市はまた、雨が降り注いでいた。
コンクリートの地面には大雨がばちゃばちゃと叩きつける音が鳴り響く。
しかしそれ以上に聞こえてくるのは、悲鳴。
様々な人間の悲鳴。
激しい雨音にも負けないように、人々は自分の危機を知らせるように悲鳴をあげてビルから逃げ続ける。
どんッ。
そこに落とされる、一つの音。
それはコンクリートの地面に叩きつけられた音。
叩きつけられたのは、イブや蘭ではない。
イブと蘭の前に落とされた、白い繭に包まれたような物体。
円筒に包まれた物体は動くこともなく、だらだらと自身から赤い液体を地面に流す。
「蜘蛛……こんなところにいやがったのかい」
イブは金色の瞳でその繭を睨みつける。
しかしそれを否定したのは蘭だった。
「いえ、蜘蛛じゃない……蝙蝠よ」
そう答えを合わせるように。
降り注ぐ大雨と共にゆっくりと二人の前、そして動かない白い繭の上へと降り立つ者がいる。
それは二人が追い求める怪物で間違いはない。
しかしその外見に二人は全く心当たりがなかった。
雨に濡れた黒い瞳で蘭は凝視し、その顔を見つめる。
その顔は確かに蝙蝠。
顔の輪郭と側面につく、大きく尖った耳は蝙蝠である。
しかし顔面はどうだろう。上の顔半分は小さい黒い目が八つ、そして下半分には鋏角と呼ばれるような関節のある牙が二つ並んでいる。まるで蜘蛛のように。
そして最も目を引くのは……頭部についた螺旋についた角だろう。
これがさらに異質さを引き出している。その不格好さはまるで後付けされたような印象さえ受ける。
翼もない紫と黒を織り交ぜた二本の足で立つ混合の怪物……つまり現代のキメラ怪人は、繭の物体を乱暴に蹴り上げると、二人を見つめた。
「ーーーーーーー!」
声。
その声は全く聞き覚えはなかったし、同時に聞き覚えがある気がした。
強いていうなら蝙蝠が鳴く音と何か別の声を一緒に再生したような奇怪な声。
「ーーー!ーーー!」
混合された怪物は……蘭を見つめていた。
しかし言葉を発することはない。ただ声を発する。
雨に濡れ、そして雨音にかき消されても、その八つの目は蘭を見つめる。
その憎悪の感情をぶつけるように。
「例の蝙蝠……にしては聞いてた話と違う気がするねぇ」
「えぇ……やっと見つけたと思ったけど……改造されている?」
「一体誰が改造するってんだい?血人種?」
「多分違うと思うけど……」
蘭にも誰がこのような不気味な合成をやってのけたのか、検討もつかない。
……もし、同族がしているのであれば。
一瞬、よからぬ想像が働く。
しかし蘭は考えることをやめた。
雨に打たれて地面に薄い赤を撒き散らす繭。
それはつまり、犠牲になった者がいる。
それだけではない。
混合された怪物は、今は蘭だけを見ているが、逃げ惑っている人間を狙う可能性もある。
そう考えた時、答えはシンプルだ。
「…………撃たせてもらうわ」
執行。
ベレッタの名の元に、執行。
今の蘭にはそれしかなかった。
「それがいいさね」
イブも同調し、分厚くて黒いコートの内側からマテバを取り出すとハンマーを起こしながらその銃口を向ける。
「………ーーーーーーーーーー!ーーーーーーーー!」
お前たちはそうやって、また俺を殺すのか。
蝙蝠はもはや言葉も発せれなくなった声で、そう言ったのかもしれない。
なにせイブと蘭にはこの怪物が何を喋っているのか、検討がつかない。
しかし、その憎悪を感じることはできるだろう。
今まで螺旋を描いていた角は、その大雨にも動じぬようにピンと真っ直ぐ伸びると───その先端を向けた。
並び立つイブと蘭へ────。
「蘭ちゃんッ!」
イブは叫ぶ。
そして、蘭を包帯のついた右腕で倒す。
蘭が悲鳴をあげてしまう直前───その角はイブの胸部を突き刺した。
「イブッ!」
「構わないさね、撃ちな!」
そのまま倒れ込みながらも受け身を取って体制を立て直した蘭はキメラ怪人へとベレッタの銃口を向ける。
だがキメラ怪人は……再びその声を上げた。
「──────────!!!」
それは先ほどと同じ、混合された声。
しかし先ほどと違うのは蝙蝠のようなきぃという耳鳴りのような音が強く聞こえること。
そうすると大雨で打ち付けられた水たまりの地面は揺れた。
きーん……きーん……きーん……。
耳鳴りのような声は、キメラ怪人の角さえ揺らす。
まるで超音波が反響して、物質全体に広げるように。
「さすがに……これは効くねぇ……」
その攻撃に最も被害を直面していたのはイブであっただろう。
水たまりに立ちながらその地面を徐々に赤く染め上げる中で、イブは全身の内臓が揺さぶられるような普段であれば味合わない感覚に陥る。
それは例えるなら胃が痙攣し、肺が呼吸を循環させることをやめ、脳が一生揺れているような状態。
痛みをイブは感じることはない。
しかし痛みがなくとも、五臓六腑は痛みを感じている。
まるで内臓が拒絶するような痛みがイブを襲う。
「どうしたもんかねぇ……」
体が思うように動かせない。
目の前のキメラ怪人をその金色の瞳で困ったように見つめた時だった。
───キメラ怪人の腹部を、一発の銃弾が貫いた。
「ーーー!ーーー!」
やはり怪物は怪物らしい。
その痛みを抑えるように紫色の手で腹部を抑え、その超音波を止める。
そして代わりに悲鳴を上げた。
「おっと、助かった」
急に体が軽くなったイブは右手の包帯を左手で外す。
ぐるぐると急速に外された包帯から現れたのは、黒い右腕。
右腕は雨に打たれ、この世界に解放されたことをわかるやいなや、その細身を急激に剛腕へと変化していく。
そして水たまりの地面にさえ届くほどに巨大になると同時、イブはその右腕を振り上げ、一気に、二本の角を破壊した。
「ったく。まさかそんな芸当があったとはねぇ。やられたよ」
そう愚痴を溢すようにしながら、イブは自分に突き刺さった角をあっさりと引き抜く。弧を描くように赤色を地面に散らしながら。
そうして赤は地面に染まるが大雨で薄まっている時、蘭が心配そうな面持ちで近付く。
……いつの間にかしていた耳栓を外しながら。
「おいおい、蘭ちゃん。そんな便利なものがあるなら私にもおくれよ」
「そうしたいのは山々だけど、あなたに渡すのはちょっと」
「おや。蘭ちゃんは私が死んでもいいっていうのかい?」
「死のうにも死ねないでしょ。あなた」
「そりゃそうだ」
いつも通りの飄々とした態度に戻ったかと思えば、イブは目の前にいるキメラ怪人を金色の瞳で見つめる。
腹部を赤く濡らし、痛みに耐えるキメラ怪人を。
「ーーー……!……!」
キメラ怪人はその手を口に近づけると、何かを吐きかける。
それは蜘蛛と同じ、白い糸。粘着性のある糸を少しばかり手に吐きつけると、そのまま腹部に塗り込む。それはまるで人間のように絆創膏でも貼るように。
そして……キメラ怪人は痛みに耐えるようにして自分自身に力を込めた。
「ーーーーーーーー!!!」
悲鳴。
混合された声だがイブには理解できるような気がした。
痛みに耐える悲鳴。しかし腹部を一発撃たれただけで、そこまでの悲鳴を上げれるだろうか?
しかしその痛みは別のものだった。
キメラ怪人はぎこちなくその場で蠢きながら……突然、背中から出現させた。
……蜘蛛のような八本の節足した足を。
「おいおいおいおい!スパイダーマンじゃあないか、まるで!」
「興奮している場合!?……前の蝙蝠にあんな力はなかったのよ!?」
蘭は慌てながらも冷静に、ベレッタの銃口を向ける。
確実に頭部を狙う為。
しかしキメラ怪人は背中の足を背後にある巨大ビルの壁に向けて、射出した。
八本の白い蜘蛛糸。大雨が降っているにもかかわらず、千切られることのない蜘蛛糸を。
「ーーーーーー!」
壁に張り付いた蜘蛛糸。
そして巻き尺を戻す要領で、自身の体を巨大ビルの壁へと糸伝いに移動した。
イブと蘭は思わず目を見合わせ、雨に打たれながら唖然とした。
今まで遭遇してきた怪物はあくまで一種類の動植物の性質のみ持っているものだった。それがどうして、いくつもの性質を持てるのか。
しかしそれ以上に……今まで影に隠れた存在がここまで堂々としている。
それを表すようにキメラ怪人はその傷に耐えながらだが、壁にべったりと張り付いて上の方へと目指していた。
「牛とか羊みたいだし蝙蝠だし蜘蛛だし……もうなんでもありね」
「じゃあ私らも好き勝手やるかい?」
「…………どうやるっていうの?」
「蘭ちゃん、下がってな」
そう言ってイブは屈伸するように足を曲げ始める。
「ま、まさか……」
イブは思わず後ずさる。
言われたからではない。今からイブのすることが蘭の想像通りであれば……そう考えると蘭は思わず怖くなった。
……この後の処理問題が。
しかし蘭にはイブを止める勇気はなかった。
仮に止めたとしても無駄だろうが……。
なにせ。
イブはその一歩で水たまりの地面に勢いよく踏み込んだ瞬間、一気に跳んだから。
「あ」
蘭はまた唖然とした。
イブはあっさりと到達する。
キメラ怪人のいる壁付近、人間が作りし巨大ビルの壁。
その一部分に大きな風穴を開けるように───。
「…………なんて言い訳すればいいのよ、これ」
窓ガラスが一気に割れてガシャンという激しい音が、そして付近のコンクリートがゴォオと破壊される嫌な音が雨音を遮って鳴り響く。
そして風穴の奥へと消えたかと思うとイブは壁の向こう側、つまりどこかのフロアの地面を歩くようにして、破壊された部分の隙間から現れる。
その風穴の奥から、フロアにいた人間たちの悲鳴が聞こえるがイブは振り向くことはしなかった。
「いやぁ、派手にやっちまったね」
その顔はまるで反省してはいなかった。
ただ黄金の瞳で雨の中を見渡す。そしていた。
壁を伝いながら移動していたはずのキメラ怪人が、突然の出来事に呆然としている様を。
「見つけたよ」
その金色の瞳でキメラ怪人を見つめる。
キメラ怪人は背中の脚と糸で上の方まで移動できていたのだが、イブの行動に立ち止まってしまったらしい。
その奇々怪界な八個の目で見下げた時、ふと目が合った。
金色の瞳と。
「ーーーーーーー!」
キメラ怪人は再び移動を開始した。
しかし今度は必死さがこちらに伝わるほどに、行動が切迫していた。
その脚の蜘蛛糸を真っ直ぐ上に吐き出すと同時に、這うことはせず跳ぶように移動する。
まさしく蜘蛛のように。
「なんだいなんだい。蝙蝠退治しにきたと思ったら、また蜘蛛退治をしないといけないのかい」
やれやれと愚痴を溢すイブであったが、その金色の瞳は捉えている。
そうしてイブは再び、その穴の空いた部分から下に落ちた───と思いきや、くるりと周って右腕を壁に突き刺した。
右腕の跡を形作るように空く穴。雨に打たれながらもイブは右腕を支点にするようにして壁に立つ。
「さて……久々に本気を出すとするかねぇ……」
そうしてイブは雨に打たれながら金色の瞳を輝かせ、その右腕を見つめた。
「やってやろうじゃないか」
いまだに大雨は降る。
壁に張り付いたものは怪物でない限り例外なく削ぎ落とす。
しかしイブは自分の右腕を引き抜き、壁へと垂直に立つ。
これだけでも人間には到底できないことである。
しかしイブは、一歩踏み出した。
そして───走った。
その脚で壁にめり込むように。
コンクリートで出来た壁は人間の力では壊すことはできない。
しかし、黒いブーツはあっさりとひび割れを起こし、壁に突き刺さる。
そして、また一歩、また一歩。
速く、速く。
正真正銘こちらに降り注ぐ雨さえもものともせず。
イブは壁を勢いよく走る。
キメラ怪人の元へと。
「ーーーーーーーー」
キメラ怪人はそれに気付くことはない。
後ろも見ず、必死に壁沿いに跳び続ける。
必死に、必死に。
ガンッ。ガンッ。
だからその音にも気づけなかった。
あるいはざーと降る雨の音に気付けなかったのか。
ガンッ!ガンッ!
その音は間違いなく近付く。
速く、速く、速く。だんだんと大きくなる。
その鋭い耳を持ってすれば、さすがのキメラ怪人も壁に止まる。そして声の方へと振り向く───そしてその顔を大きく遮られる。
「ッ───」
キメラ怪人は声を上げようとした。超音波と共に。
しかしまるで自分の顔を締め付けるような痛みでその口は塞がれる。
と、急に自分の体が勢いよく跳び上がった。
「ーーーーーーーー!!!」
キメラ怪人は遂に声を上げた。
八個の目がぼんやり眺めたのは、先ほどまで這っていたはずの壁。
壁にいたはずの体が、今は壁を離れて、浮いている。
そしてそのまま雨の溜まる地面へと落ちていく───。
「ーーーーーーーーーッ!!!???」
混合された声は悲鳴を上げる。
だが、その声は蝙蝠の鳴き声が強調されているようにも聞こえる。
その必死さが本来の自分を取り戻したかのような悲鳴。
一体何が起こったのか、それはキメラ怪人には知ることはできない。
そしてそれを思考することも、もう出来ないだろう。
───不意に八個の目は螺旋に舞いながら飛び上がるイブを目にした。
その金色の髪がぎゅるりと舞う様を。
「───────」
そしてふと思い出す。
自分が見た金髪の女のこと。
自分をこうさせた金髪の女のことを。
自分は最後まで金髪の女に振り回される運命だったのか。
血人種に、人間に、金髪の女に振り回される運命だったのか。
「ーーーーーーッ!!!!」
キメラ怪人は言葉を上げようとした。
しかし、もう言葉を発する口は失われていたらしい。
それどころか八個の目は雨に打たれながら見ていた。
巨大な拳がこちらに勢いよく近付くと同時……拳はキメラ怪人の顔面を直撃した。
「死ねよ」
そして女の声。イブの声。
雨に打たれながら、落下の速度に乗るように、そして隕石が落ちるように地上へと真っ直ぐに落ちた───。
その瞬間、轟音。
キメラ怪人の顔はコンクリートの地面にめり込む。
その顔は拳に挟まれ、顔面の原型さえ失くす。
その声も、命も失くす。
しかしその地面は陥没してひび割れを起こし、赤く染まる。
もはやキメラ怪人の意識はそこにはない。
キメラ怪人だった物がそこにあるだけ。
そして黒い右腕を真っ赤に染めたイブは何事もなく、雨が降り注ぐ中、細い足で何事もなく立ち上がる。
「ふぅ」
その黒い腕は戦意を失ったように急激に収縮すると、元の細い右腕へと戻る。真っ赤に染まった黒い腕に。
「厄介な奴だったね」
イブはその金色の瞳で見つめた。
顔のないキメラ怪人を。
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