第六十三話:忠義の対価
体が痛いどころじゃない。ところどころ感覚がない。ただ、五体はついているのだから十分だろう。
俺は力の入らない腕を動かし、竜泉水を口に運ぶ。
それだけでみるみるうちに怪我が治っていくのだから、すごいものだ。
体が熱っぽくなるが、その程度は副作用としていいだろう。
「……イレにもう文句を言えんな」
俺は立ち上がり、一緒に吹き飛ばされた。トートゥムの様子を確認する。
トートゥムも正面からあの爆発を喰らえばただでは済まなかったようだ。
もう立ち上がってくる気配もなく、大の字になって倒れている。
そこまで担ってもなお、剣を手から離さないのは流石と言っていいか。
「トートゥム、俺の勝ちだ」
「……まさか、そこまでするとは思わなかったよ」
「だろうな。自爆特攻なんざ、俺の柄じゃない」
俺はトートゥムが握っているテネブライへ手を伸ばす。
ヘエルと戦うにはこいつが必要だ。
だが、この期に及んでトートゥムは硬く握り、簡単には手放そうとしない。
「おい、渡せ」
「——僕が守れなかったものはね、僕の妻さ」
トートゥムの顔は、どこか諦めたような表情になっていた。
「最後の時間稼ぎだ。聞いて行ってくれないか?」
「……好きにしろ」
もう動けないくせに、強気に笑われたら従うしかない。
俺も竜泉水を飲んだとは言え、気力が回復しているわけじゃない。すり減らした神経を回復させるためにも、少し休憩は必要だ。
「僕の妻は病気でね。人を雇って看病させていたんだけれど、一向に良くならなかったんだ」
「不治の病と言う奴か」
「そんな大それたものじゃなくて、単純に体が弱かったんだよ。ちょっとした病でも大病のようになってしまう、目が離せない人だった」
トートゥムの語る口は、どこか幸せそうで、懺悔してるようだった。
「ある日、僕は騎士として戦いに出なければなくなった。同時に、彼女の容体が悪化したんだ。僕は悩んだよ、忠義を取るか、彼女を取るか」
「そこで、お前は忠義を取ったわけだな」
なぜ真面目なこいつがヘエルの凶行に従ったのか、わかった気がする。
忠義を取った以上、それを貫かなければならなかった理由があったんだ。
それを間違えれば、意味を失ってしまうから。
「僕が行ったことで、戦場は勝利で終わった。僕がいなければ厳しかったとまで言われたよ」
「だが、お前の妻は――」
「死んだよ。看取ることもできなかった」
静かな声だった。淡々と事実を羅列するだけの感情のこもっていない声だった。
「最後の言葉は、『心配しないで』だった。ふざけた話だと思わないかな?」
「だから、お前は忠義を貫くんだな。妻の死を意味のないものにしないために」
「そこまで高尚な理由でもないさ。嘘にしたくないんだ。彼女が信じた僕の姿を」
……その結果、悪徳に手を貸しても忠義を貫く人物が生まれたわけか。
なんとも、救われない話だ。
「くだらないな」
「……ははっ、そうか、くだらないか」
「ああ、下らん。お前の妻は、こんなことに手を貸すお前を信じていたのか?」
トートゥムは目を丸くして、しかしすぐにばつが悪そうに目を伏せる。
「お前を信じた妻が信じたのは、忠義を貫くお前ではなく、正義を重んじるお前じゃないのか? 少し聞いただけでも、お前の妻が今のお前を肯定するとは思えんがな」
「それは――」
「お前は逃げただけだ。忠義と言うのを言い訳にしてな。現実から目を背け、理由を何かとつけようとして、故人すら言い訳にして、逃げ続けているだけだ」
けが人相手だろうが容赦するものか。
ああ、腹が立つ。つまりこいつは全く持って本気ではなかったわけだ。
「……酷いことを言うね、君は」
「手加減されていたというのが気に食わないだけだ。迷いのないお前は更に強いんだろう? なら、それを超えてこそ俺が最強と名乗れるわけだ」
「ははっ。結局のところ、そこになるんだね」
俺の回答に、一周回って清々しさを感じたのか、トートゥムは笑い出した。
笑ったかと思えば、苦しそうにせき込むのだから何をやってるんだろうなこいつは。
「満足したか? ならば、貰っていくぞ」
「まださ。最後に問いかけよう。君は二択を迫られたとき、どうする?」
「愚問だな」
俺はトートゥムの手からテネブライを奪い、軽く振って調子を確かめる。
以前のままだ、良く手に馴染む。やはり、こいつは俺のための剣だ。
「お前を倒した今の俺は最強の男だ。最強の男に不可能はない、俺の物は全て手に入れる」
「君らしいね」
俺は腰につけていたポーチから最後の竜泉水を取り出すと、トートゥムの顔の隣に置く。
「まだやる気があるなら後でこれを飲め。出迎える準備は忘れるなよ」
これで竜泉水はなくなったが、まあいいだろう。
俺は空になったポーチを投げ捨てて、学園内に足を踏み入れた。
さて、あの阿呆はどこにいることやら。さっさと見つけてひっぱたいてやらないとな。
ここまで手間をかけさせられたんだ、一発だけでは気が済まん。
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