第25話 正体不明のモヤモヤ

「シュンちゃん、忘れ物ちゃんと渡せた?」


 そこへ、蝶野先輩が顔を出した。オレと朝倉が同時に我に返る。


「あ、そうだ! えと……日向くん、これ」

「あ、どうも……」


 朝倉が手にしていたものを慌ててオレに手渡した。オレはそれに目を落とすこともなく、どこか様子のおかしい彼の顔を凝視していた。


「データのまとめも完了したし、そろそろアタシ達も移動するわよ」

「分かりました! それじゃあ、日向くん……また」

「あ、うん……また」


 後半はオレに向かって、笑み掛けて会釈する。そんな朝倉に倣って、オレも軽く首肯した。それから朝倉は、御影さんの方にも視線を投げた。ちらり、盗み見るように。そうして、目が合うと赤くなった面を伏せて、ぺこりと深く頭を下げた。


「ハルちゃん、チアガールの衣装、腕にりを掛けて作るから、楽しみにしててね! ユーリちゃんとのダンスも応援してるわよ! 負けないで!」


 最後に蝶野先輩がウインクと投げキッス付きの熱いエールを寄越してから、隣の被服室に入っていく。その後を、朝倉が小走りに追った。扉を潜る寸前に今一度御影さんを見て、すぐに前に向き直る。逸らした耳までが赤く染っていた。


 いや……やっぱり、おかしい。

 朝倉の様子、何か絶対におかしいって!

 心臓が不穏なリズムで鳴る中、オレは思わず御影さんを見た。御影さんは特に気にした風もなく、目が合うと嬉しそうに笑み返してきた。

 白磁の肌、長い睫毛、切れ長の紫眼。……うん、改めて見ると、やっぱこの人無駄に顔がいい。だから、朝倉が見蕩れる気持ちも分からなくはない。そうだな、きっとそういうことだ。それだけだ。


「陽様? 如何なさいましたか?」


 問われて、ハッとした。慌てて目を逸らし、「……何でもない」呟いた。

 正体不明の胸のモヤモヤから意識を逸らすべく、オレは先程渡された手の中のものに、ようやく視線を向けた。二つ折りの革製のパスケースのようなものだった。


「あれ? これ、オレのじゃない」


 見覚えの無い黒色のそれを、試しに開いてみる。中には、写真が入っていた。品の良さそうな正装の美男美女。その間に、小学生と幼稚園児くらいの二人の子供がこれまた正装で畏まって映っていた。

 ――あ、この子。

 下の子の方。生意気そうな澄まし顔に、面影があった。それで、このパスケースもといフォトフレームが、誰の所持品なのかが分かった。



   ◆◇◆



 帰寮後、早速棗先輩の部屋を訪ねてみたが、どうやら留守のようだった。どの道食堂で顔を合わすだろうから夕食時まで待つか迷ったけれど、大事なものかもしれないから、早めに渡しておきたい。ということで、寮内を軽く散策してみることにした。

 結果として、棗先輩は一階サロンで見つかった。ピンクの頭が、何かを探すように椅子の上やテーブルの下を忙しなく覗き込んでいる。その様に、オレは確信を得て声を掛けた。


「棗先輩」


 すると、先輩は飛び上がらんばかりの勢いで驚いた。それを誤魔化すように、殊更不機嫌そうな表情で振り向き、オレを睨む。


「な、何?」


 意外な反応に鼻白んだ。まるで、見られたくない姿を目撃されてしまった時みたいな焦り様だ。戸惑いつつも、オレは目的を果たすことにした。


「これ、衣装室にあったみたいなんですけど、先輩のじゃないですか?」


 差し出した掌の上の黒いフォトフレームを見るや、棗先輩は目を剝いて瞬時に掻っ攫った。隠すようにしてオレから遠ざけ、威嚇する。


「……中、見た?」

「はい。誰のかなと思って、失礼ながら」


 オレの返答に先輩は愛らしい顔を歪めた。オレは慌ててフォローを試みる。


「すみません、勝手に見たのは謝ります。でも、別に見られたらまずいものでもないですよね?」


 写真に写っていたのは、おそらく棗先輩のご家族だ。ご両親とお兄さんといったところか。全員美男美女で遺伝子強いなーと羨望こそすれ、悪感情を抱くような代物でもない。

 何をそんなに嫌がるのか……不思議に思っていると、棗先輩は低い声で唸った。


「馬鹿にしてるだろ」

「え?」


 虚を衝かれたオレに、先輩は続けて言う。


「高校生にもなって家族の写真を持ち歩いてるとか、ガキだと思っただろ」

「え? え? 思う訳ないじゃないですか、そんなこと!」


 ていうか、何だその捻くれた発想は!


「いいじゃないですか、家族写真持ってたって! オレだってスマホに写真ありますし、たまに見返したりもしますよ? 家族のことが好きで、大事に想うことって、何も恥ずかしいことなんかじゃないです!」


 あんまり吃驚びっくりしたもんだから、思わず大きな声で力説してしまった。それが想定外だったのか、棗先輩は瞬間、毒気を抜かれた様子で言葉を失った。それから、思い出したようにそっぽを向いて、ぽつりと零す。


「別に、好きなんかじゃない。あんな奴ら……嫌いだ」


 苦味走ったような口調だった。またぞろ虚を衝かれた気分でオレが目を丸くしていると、先輩はバツが悪そうにこちらをめつけて、


「ついでに、お前も嫌いだ!」


 と、自棄やけっぱちな捨て台詞を吐いて、早歩きでサロンを去っていく。嵐の後みたいに茫然と取り残されたオレは、今しがたの出来事にただただ困惑していた。


「え、ええー……何だったんだ、今の」


 照れ隠しなのか? さっぱり分からない。その場に留まったままでいると、不意に背後から声を掛けられた。


「申し訳ございません、日向様」

「うわっ!? ビックリした!!」


 声の持ち主は、巌のような巨体に御影さんと同じ燕尾服を纏った、黒髪オールバックの成人男性……棗先輩の護衛の巌隆寺さんだった。いつの間に……ていうか、そのガタイで接近に全く気付かれないとか、凄いな。


「主人の非礼をお詫び致します。それから、写真を届けてくださったこと、主人に代わって御礼申し上げます。夕莉坊ちゃんは貴方様のことを真にお嫌いな訳ではないと思いますので、どうか気に病まれませんよう」

「はぁ……」


 デカい図体を精一杯小さくして、恐縮してみせる巌隆寺さん。見た目の割には細やかな気遣いの人だ。この人が喋るのも初めて見た。深くて渋い、良い声をしている。……ていうか、棗先輩のこと〝坊ちゃん〟って呼んでるのか。


「本当に嫌われてないんでしょうか、オレ……」


 蝶野先輩にも同じように言われたけど、棗先輩のあの態度からはとてもそうは思えない。すると、巌隆寺さんは申し訳なさそうに告げた。


「坊ちゃんは、自分に呪いを掛けてしまっているのです」

「……呪い?」


 思い掛けない単語が飛び出して来て、オレは目を瞠った。巌隆寺さんは言う。


「ええ、〝自分が常に一番で居なければならない〟……という呪いです」

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