第66話 赤の約束
――夕日が差し込むその病室に、今日も俺は足を運んでいた。
もう慣れたものだ。アストリドに軽く挨拶して、いつものように俺はここへ……今日あった出来事を話しに来る。
ベッド脇に用意された来客用の椅子にどかっと腰を掛けて、背もたれがないことを思い出して慌てて体重を前に持ってくる。いつもそんな感じだ。椅子ってのは体重を預けていいもんだっていう先入観が抜けねェんだよな。
「……って言われたワケ。その使者、フェリス・マリアンネとやらに」
「めちゃんこ怪しいじゃないですかー。レンドウさん、その人の言うこと全部信じちゃったんですか?」
魔王軍の使者を名乗る女性から聞いた話をかいつまんで話すと、その病室の主。ん、病室の主って病人のことでいいのか? それとも院長? いや、まあとにかくアンナはそう訊いてきた。
肩口を越えた程度で切り揃えられたやわらかい赤毛に、灰色の瞳。子供っぽさを残しつつも、成熟した時の美しさを容易に想像させる、俗にいう美少女ってやつだな。今は患者衣の着用を義務付けられ、ベッドで寝てばかりの生活を余儀なくさせられている彼女にもまた、俺は引け目を感じているのだろうか。それこそが、俺がここに通い詰める理由だというのだろうか。
だとすれば……同情されるのなんて御免だ、と思われていそうで。
人生の先輩として、こう……ビシッと「そんなことない!」と言えるだけの根拠を提示してやりたいところだけれど、クソバカ無知野郎のレンドウにはそれができないのがもどかしい。いや、「迷惑だからもう来ないでください」とは、この女の子は言わないだろうけどさ。
「いや、頭から信じたわけじゃないぞ? でも、副局長は信用に足るって判断したっぽいし、俺も話を聞いてるうちに嘘だとは思えなくなってきたっつゥか……」
とにかく、この少女に寂しい思いをさせたくないという気持ちに嘘偽りはない。どうして寂しい思いをさせたくないのか、って部分は置いといて。
「あ、分かりましたよ。その人、すんごい美人だったんでしょ。だからレンドウさん、その人が本当のこと言ってるって思い込んじゃうんだ」
「俺ってそんな単純な人間に見えてんのか!?」
思わず叫ぶと、アンナはあははと笑い声をあげた。
しかし、ううむ。確かにあれはおかしかった。かなりの長時間、心奪われ――いやいやいやいや。心までは奪われてないって! ……俺の視線を掴んで離さなかったあの女。
俺は一目惚れなどという現象を信じていない。多分……自分がそれに陥るまでは、絶対に信じることは無いだろう。だったらさっきのがそうだったんじゃねェのかとも思うが――いやいや、それでも違う……ハズ。
だとすれば、精神干渉。あの女の持つ何らかの“魔法”によって俺の意識が奪われかけたのだと言ってくれた方が、まだ信じられるぜ。
「見えますよー。だって、レンドウさん。今日もこうして私に会いに来てくれてるじゃないですか」
……と、お前それ素で言ってんのか。
一瞬ぽかんとしちまったぞ。
「美少女を自覚しているとは、末恐ろしいなお前……」
「いや、うーんと……調子に乗りすぎましたかね。でも、私が自分をブスだーって言ってたら、それはそれでアレじゃないですか?」
……確かにそれだとアレだな。
そういうタイプだったなら、俺も仲良くしたいとは思わなかっただろう。
「世の中の女性たちの恨みを買う……買い叩かれるだろうな。これダブルミーニングな」
「物理的にも叩かれるんですね……というか、よくダブルミーニングなんてエイ語、よく知ってましたね」
褒められたので、得意げな顔をしてやる。外見のせいで勤勉な印象を持たれにくい自覚はあるが、これでも図書館で新たな知識を得続けているんだ。
「……まあ、とにかくそういうことだから。一週間後、俺は魔王城に向けて出発することになったっぽい」
そう告げた時のアンナの顔を見て、俺は胸がズキリと痛むのを感じた。
「……そう、ですか」
俺が話し終われば、次はアンナが喋る番だ。いつもそうだった。
ターン制バトルってやつ? ……戦いなのかよ。
自分の国の常識がアラロマフ・ドールと違い過ぎてびっくりするとか、≪ヴァリアー≫の遺跡部分は理解不能なくらい凄まじい技術で作られてるっぽいこととか、一緒にお風呂に入った誰々のプロポーションが凄いとか(散々動揺させられた結果、大して情報は得られなかった。べ、別に欲しくなかったってヴぁ!)。色んな話をしてきた気がするけど。
切なげに視線を落とした彼女が口にしたのは、早すぎる別れ話だった。
カサ、と音を立てて取り出したるは……どうやら手紙のようだった。
ふーっ、と息をつくと。
「実は、本国から帰ってくるように言われてて。この怪我のこともバレちゃってるみたいで。五日後には馬車に乗せて運ばれちゃうみたいなんです。……まったくもう。皆には言わないでって言っておいたんですけど!」
皆、とは同じようにデルからやってきた技術者たちのことだろう。
いつもこいつの身を案じている、姉貴分の顔が浮かんだ。
「まあ、皆の人気者であるアンナが怪我したなんて、隠してた方があいつらの今後が危ういんじゃねェの」
言うと、アンナは「確かにっすね」と同意。
ほんとに自信満々だな。
「……これで、私とレンドウさんの奇妙な関係も終わっちゃうんですね」
「そう、だな」
にしてもお前、窓の外を見るにしては、首の角度おかしくね? えらく頑張って首回してんな。もしかして……今のセリフに照れてんのか。顔を見られたくないのか。だったら言わなきゃいいのに。
「アンナ……どこか行きたいとことか、あるか?」
言うと、アンナは少し掠れたような笑い声をあげた。
心配になるが、別に無理しているワケじゃあないみたいだ。
「この身体じゃまだ無理ですよー。でも……」
こちらに向き直って、笑顔を作る。
「お誘いありがとうございますー」
俺は何も言えなくなって、黙って頷いた。
黙したまま、壁に掛けられた時計の音だけが時の流れを教えてくる。
今、この時は二度と戻らない。そんな当たり前がのしかかってくる。もう、時間がないんだ。俺と彼女がいられる残り少ない時間を、黙して消費するべきなのだろうか。そうは思っても、何を喋ったらいいのか、思いつかなくて。
結局、沈黙を切り裂いてくれるのは、やはり眼前の少女で。
「レンドウさん……人間のこと、好きになれそうですか?」
「……はぁ? なんだよ、藪から棒に……って」
人間……と、今アンナはそう言ったのか。
それは……つまり、そういうことか?
「あれ、俺……吸……血鬼だって……言った……っけ?」
吸血鬼、という言葉を発するとき、眼前の少女の表情が変化するのが怖かった。
自らの種族名をすらすらと言うことすらできないのか、このヘタレンドウ。
しかし、アンナは。
「あは、分かりますよー。皆の噂の的ですもん!」
そんな俺の負の感情ごと、笑い飛ばした。
「そっか……。そうだったのか」
まぁ、アンナとは今までそういう話をする機会がなかっただけで……彼女の姉貴分たちにはとっくに知られてたみたいだしな。
「で、で? どうなんです?」
興味津々に身を乗り出してくるアンナ。乗り出せる範囲が大したことないのが、また痛ましい。
そうだな。ここに来てから、早いものでもう四ヶ月。
ここでしかできない、色んな経験をした気がする。
この世界を知らない方がよかった、知りたくなかったなんてこれっぽっちも思わない。ここで得た喜びも悲しみも、全てが今の俺を形作ってくれている。そう、負の側面すらも。たとえそれが強がりでしかないとしても、そう思えてる。
きっと、それは俺一人では得られなかったもので、だからこそ。
この国に来て、出会ってきた人物を思い浮かべる。それは……敵だったはずが味方になった人物だったり、俺を傷つけないように立ち回ってくれた人だったり、あるいは憎しみをぶつけられた相手だったりする。
誰一人として全く同じやつはいなくて、まだ心から信頼できるワケじゃないやつもいて。
――それでも。
「……ああ、少なくともお前のことは、好きになれた気がするよ」
思わず漏れたのは、そんな本心。
「……………………」
「…………?」
なんだ、なんで何も言わないんだ。と不思議に思って、気づく。アンナの笑みが、先ほどまでの相手を安心させるものから、意地の悪いものへと変貌を遂げていることに!
「――いやっ! 違うからな? 言っとくけど変な意味じゃなっ……から、勘違いすんなよ!?」
「いやだなぁ~、照れる必要なんてないのに~! あらあらまあまあレンドウさん、デレ期全開来てるじゃないですかー!」
「来てない開いてない、照れてねェッ!!」
ああもう、なんであんなこと口走っちまったんだ。
アンナだけに!!
ひとしきり笑い倒して、傷口ががが!! とか言い出したアンナをハラハラしながら落ち着かせてると、病室は再び静けさを取り戻す。お前、ここが誰かとの相部屋だったら苦情殺到だぞ。いや、油断するのは早い。隣の部屋から苦情が来てたことを後で知っちゃうパターンかもしれねェ。
「記憶を失って、故郷も失ったあなたは……もう、この場所を失っちゃダメですよ」
いや、故郷を失ったって……言い方悪いな。里の仲間はちゃんと生きてるぞ……と思いつつ、しかしまぁ……その通りかとも思う。
「どんだけ俺の個人情報ダダ漏れなんだよってハナシだが……」
なんなの、どこから洩れてんの。記憶喪失でナイーブでステゴロ好きでラノベ愛好家な“ヴァリアーの紅き鬼”ってか? これから初めて会った人にも、そういうイメージで見られんのか。
なんか死にたくなってくるな……。
勿論、冗談だが。
「自分の居場所に、今度こそしがみつき続けてください」
何か、思うところがあるのだろうか。真剣な様子のアンナに、俺も本心から、きちんと頷き返すことにする。
「……肝に銘じておくよ。そうだ、前から気になってたんだが……」
「なんですか?」
「お前、その年で≪ヴァリアー≫に派遣されてるってことは――いや、見習いだってことは知ってるけど――やっぱ、優秀なんだよな。年上から目を掛けてもらってるっつーか」
「はあ。まあ、そうですね」
えっへんと胸を張って見せるアンナ。「うわあ」そのまま自重を支えきれなくなったように後ろに倒れ込む。勿論、俺がそれを黙ってみているということは、怪我などしようがないということだ。アンナはふわふわの枕に抱き留められただけだ。
「優秀ってことは、自分で生き方を選べないってことでもあるよな……」
この世界、自分で自分の生き方を決めさせてもらえる人間は少ない。それが他人にはできない仕事をこなせる能力を持って生まれたというなら、尚更だ。
お前のその生き方は、自分で望んだものなのか?
俺が訊きたかったのは、それだった。
「あー、そうきましたか。ふーっ……」
アンナは観念した、と言う風に目を瞑って、深く息を吐いた。
そうして、語り始める。
「実は、結構鬱なんですよね。周りの都合に振り回されてばかりというか。あ、今は別によかったんですけど。というのも……最初は、技術者になるのはあんまりだったんです。でも、親が親で、家を継がせるためだっていって、私に工具を握らせてて」
幼いながら、レンチを握った少女が、大人の真似をしてそれを振りかざしている姿を思い浮かべる。なんで振りかざしちゃうかな。俺の頭の中身は大抵野蛮で、なんとかしたいと思っている。
「そんな日々が続いて、いつからか技術者になるんだって割り切ってて、自分でも意外だったんですけど……両親から受け継いだ才能なのか、結構何でも上手くできちゃって。気が付いたら好きになってきちゃってて」
あるある。人と同じような努力量でもずっと先を行ける、自分の才能を感じる瞬間って、それを好きになる瞬間でもあるんだよな。分かる気がする。俺も一際大きく発現する、自分の
「そういう意味では、望んだ道と言ってもよかったんですけどね……」
「……なんだよ、ハッピーには終わってくれねェのか」
アンナは目を開けて、俺を方を見ると。
へへ、と乾ききった……笑いになってない笑いを浮かべた。
「今度は、せっかく好きになれた技術職を失いそうなんですよ。この可愛いツラのせいで、なんかどこぞの貴族に見初められちゃったらしくて。この手紙にも……」
アンナは忌々しそうに、雑に封をし直した封筒をテーブルの上に放った。本国からの手紙か。
「さっさと戻ってきて、いい加減に結婚をするようにって書いてあるんですよ……」
はあ、結婚ねェ。てかツラて。
本来ならそれは、もっと明るい
「……って結婚? え、誰と誰の」
「あのー、話聞いてましたー? 私とその貴族の人とですよー」
「お前結婚する……んの!? 確か、まだ十五歳だろ!?」
そこでアンナは、ああもしかして……と思いついたような顔をした。
「レンドウさん、吸血鬼基準で考えてないですか? 人間にとっては割とフツーですよ、十代での結婚」
「え、ああ……そう、なのか……?」
吸血鬼の寿命は一般的に八十超えくらいだ。そうか、人間はその半分くらいだったか。四十から五十年程度の歳月で失われる命。なら、確かにさっさと結婚しておかないと、色んな意味で婚期逃しちまうか。
寿命的な意味もあるだろうが……この戦乱の時代、誰しもが寿命で死ねるワケじゃないもんな。
「……まー、そんな顔しないでくださいよ」
どんな顔してるんだろう、俺。
「私、さっきも言いましたけど。結構その環境に適応できるというか、しちゃうというか、そういうとこあるんですよね。いざ結婚してその貴族家に入ったら、そこでの生活もなんだかんだ好きになれるんじゃないかな~……なんて思うんです」
……本人がそれで納得してるんなら、もう俺に言えることはないだろう?
「……うん、こんなところで、レンドウさんの質問の解答になってました?」
「ああ、充分だ」
…………。
「レンドウさん」
「なんだ?」
アンナの顔には、決意が宿っていた。きっと、この話をずっとしたくて……でも、いつするべきか、ずっと迷っていたのだ。
「……イオナちゃんの話、してもいいですか?」
そいつの話をすることで、俺が傷つくんじゃないかって、危惧してくれていたのだろう。
「しちゃ駄目なハズねェだろが。俺は聞かなきゃならねェ。聞くさ。……聞きたいんだ」
それは、俺の中に
この世界に確かに生きていた、イオナという人間を……それを構成していた
「はい……」
そうして俺は、アンナから彼女の妹の話を聞いた。
* * *
――その少女もまた、自らの望むままには生きられない運命だった。
幼少の頃より誰かに成り代わり、スパイとして生きていくことを定められた少女。そんな彼女に下された指令。次のターゲットは、同年代の少女だった。
友好国からやってきた一団の中にいたその少女を……薬物を用いて、周りにいた仲間共々床に伏せさせたスパイ。
彼女に命令を与えた男は、いつも通り多くを語ることは無かった。だが、その目的は一貫して、≪ヴァリアー≫の発展を妨害することにあった。
エイシッドと名乗るその男に命じられるがまま、スパイは自動車を破壊しようとした。しかしその不審な動きは既に≪ヴァリアー≫の幹部集団≪
≪ヴァリアー≫内に潜むその謎の勢力について、七全議会は前々から対策を講じていたのだ。
結局、一網打尽とはいかなかったが……少なくとも口封じの為にスパイを殺そうとした者たちは、ヴァレンティーナ――ヒガサのことだ――と、彼女が呼び集めた四番隊により捕縛される結果となった。
それから、それとなく護られながらの生活が続いて、スパイが組織から狙われることが無いようだということを、≪ヴァリアー≫側が確信して。
彼女の処遇が決定された。自らの生き方を反省すること。言い渡されたのは、それだけだった。
スパイは驚き、喚き散らした。何故。どうしてなのか、と。
それに対して、副局長アドラスは答えた。
――君に姿を借りられていた少女からの、たっての望みだと。
面識は無かったはずだ。自分の概要を、風に乗って流れたような上っ面だけを聞いて、同情できるかすら疑わしい。
スパイはそれを確かめるべく、本人を問い詰めた。自らが擬態した姿をする、
――お前は何を考えているんだ。善人ぶりやがって。いいことをしてやったつもりか。自分の立場を乗っ取られておいて。私はお前のふりをして、あることないこと喋っていたんだ。恨んでいないはずがない、そうだろう!?
烈火のごとく怒り、罰を欲したスパイに……しかし相対する少女は場違いな笑みを浮かべて、言った。
いやあ、ずっと妹が欲しかったんだよねー、と。
あ、姉が絶対の権力を握るような姉妹じゃなくって、友達みたいに語り合えるようなさぁ。
とも。
そうして、スパイの全身から力が抜けて、いつからか泣き崩れていた自分に気付いた頃、少女たちはお互いを抱きしめ合っていたのだという。
スパイは延々と、ごめん、ごめんなさい、と謝り続け。
機術士見習いもまた……いいよ、もういいよ、と赦し続けたのだと……。
* * *
「そう、だったのか」
「……………………」
アンナはただ、頷いた。
――イオナ。
成形する前は、本当はどんな顔をしていたのだろう。
もっと……もっと時間があったはずだ。彼女の人生、きっといままでずっと鬱屈としていたそれに、ようやく光が差し込んだところだった。
生まれて初めてできた姉……なんて表現もおかしいかもしれないが、いつも一緒にいた彼女たちが、短い時間の中でただの友人を超えた信頼関係を気付けていたことは言うまでもない。
それが、そんな輝かしい未来が、どうしてここで閉ざされなければなかなかった。それを許した、こんな時代のせいか。彼女にそんな生き方を強要した、エイシッドなる男のせいか。魔王軍の兵士を動かしたという、軍師ニルドリルとやらせいか。彼女の最期の原因となった魔人、あのカニ野郎……ジェットのせいか。
それにしても、エイシッド……? 聞き覚えのある名前だ。確か、そうだ。平等院から聞いた話だ。ミンクスを
他人の人生をなんだと思っていやがる。
――お前みたいなクソ野郎のせいで。
…………。
再びの沈黙がその場に降りようとしていた。俺は何でもいいから、少なくとも彼女が暗くならないような話をしようと口を開きかけた。その時だった。病室のドアがノックされたのは。
なんだと。まさか、もう? 反射的に、壁に掛けられた時計を見る。なんてこった。午後六時を回ってしまっている。それが何を意味するかと言えば……。
こちらの返答も待たずにスライドするドア。その向こう側に立っていて、にゅっと室内に頭を突っ込んできたのは、灰色の救命士制服、アストリド。いや、制服が頭を突っ込んでくるっておかしいだろ。ちゃんと人間だ。
「はぁ~い、面会時間の終了を告げる悪魔的看護師登場でーす!」
「もうちょっと……待ってくんねェか?」
頭おかしいテンションのアストリドに、俺は即座に言葉を放っていた。
それに対して目をパチクリさせたアストリド。
うーん、と何事かを思案する様子を見せた彼女だが、別に俺を狙って意地悪をするような人間ではない。
「じゃあ、他の病室を先に見て回ってから、最後にまた来るからねぇ。これが最後の少女との邂逅なのだったーってなるかもしれないレンドウ君への、わたしからのプ・レ・ゼ・ン・ト☆」
「いちいち区切って喋んな。歳考えろよ」
二十歳超えてんだろお前。
思わず手加減抜きの悪態をついてしまったが、アストリドはさして気にした様子もなく「はいは~い」とドアを閉めて隣の病室へと向かった。女性は年齢の話をされると怒ることが多いと聞くが。
……延長を申し出ておいて、俺にはアンナに切り出すための話題が浮かばない。情けない限りだ。アストリドの言う通り、これがアンナとの最後の時間になるのかもしれない。だったら、最後は笑顔で終わらなきゃ。笑顔で終わりたい。それなのに。
「いつか……」
そんな俺に救いの手を差し伸べるかのように。彼女は語りだす。
「いつか……私が設計した自動車で、サンスタード帝国まで行きましょう」
「え……?」
アンナはうん、うん、と……自らに言い聞かせるように、何度も頷いていた。
「距離なんて関係ないです! 一日で到着してみせますよ!」
「……早すぎないか?」
その軽快な語り口に……俺もつられるように、口角が上がり始める。
それが、ただの虚勢に過ぎないとしても。
「マジマジも大マジです。自動車は馬と違って、燃料さえあれば疲れませんからね! 自動車は疲れない、ミスをしない、です! ……あ、あと、」
彼女は気分が乗ってきたのか、心底楽しそうに。
「反逆もしないので安心してもらっていいですよ」
そう、最後にウインクしながら付け足した。
思わず、俺も作りものじゃなく笑ってしまった。
「なんだそれ」
「あはは、最近読んだ本の影響で……」
言いながら、アンナはベッド脇、テーブルに積まれた本の山を指し示した。ああ、これ本だったのかよ! なんか奇怪な塔のオブジェかと思ってたわ。や、積まれ過ぎだろ。三十冊くらいないか。てか崩れかけてねェか。
「お前、相当暇だったと見えるな。……いや待て、サンスタード帝国って一番魔人への迫害が強いとこだろ! そんなところに吸血鬼が行けるハズねェわ」
「でも、そうした世の中を変えようとしてるんでしょう、≪ヴァリアー≫が。だから、いつかきっと、一緒に行けますよっ」
「いや、≪ヴァリアー≫の上層部がそう考えてるかは知らねェけどな? 少なくとも、レイスはそう考えてるけど」
「じゃあ、レイスさんが局長になった未来でってことで?」
「あいつが……魔人が人間の組織の局長って……く、ははっ……あいつは人を顎で使えるタイプじゃないだろ!」
「あははっ、十年後でもレイスさんとレンドウさんは、糸まみれで頑張ってそうですねっ」
……そうだな。俺たちみたいなのは誰かに命令されて、不死身に近い身体を活かして特攻してるのが一番似合う気がするよ。
「――それでも、もう
……それから、アストリドが戻ってくるまで……俺たちはずっと、笑い続けていた。きっと、アンナも本心から笑ってくれていたように思う。
少女の人生に、俺なんかが彩りが添えられたなら、それ以上の事はない。
契られた約束を、いつまでも胸に……忘れずにいようと思った。
――いつか絶対にデルに行って、アンナと再会するんだ。それでジドウシャに乗って、色んな国を見て回ろう。サンスタード帝国。きっとこことは比べ物にならないほどに発展した国なんだろう。
「うん。……未来が楽しみだぜ」
俺たちは、楽しいと感じる瞬間の為に生きている。
幸せになるために生きている。
答えなんて一生出ないかもしれないし、これからも失敗を繰り返していくのかもしれない。
それでも俺は、生きてきてよかったと思えるこの“人生”を、これからも続けていくんだ――。
【第4章】 了
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