第65話 一見にして

 その部屋の壁際には豪華な燭台がいくつも並んでいるが、それらは滅多なことがなければ灯されることはない。そりゃ、無駄にコストを掛ける必要はないもんな。


 え、電気エネルギーはどうなのかって? ……わざわざ燃料を使い、光を用意する必要があるのは地下の方だろ。そっちが優先だ。電気エネルギーの生産効率についてはよく知らんけど。


 とにかく……≪ヴァリアー≫の地上一階、中央の空間をぶち抜いて作られたようなこの大広間は、他の手立てで明るさを確保しようとしたワケだ。


 その答えこそが、これだ。

 天井を指差す。


 全面ガラス張り。死にかけのトランプタワーの形をした屋根だ。要するに、めっちゃ平べったいってこと。べちゃっとしてんだよ。まァ、屋根の構造なんてどこも大体そうだろ。ある程度傾けとくもんなんだよ。降雪地帯ならさ。


 ――というようなことを、なんで俺が説明しなきゃなんねェんだ。


「なるほど」


 イスラは俺の苦労を知ってか知らずか事も無げにそう言うと、「案内してあげるよぅ」と提案した灰色ナース……アストリドに付いて、嬉しそうに大広間から出て行った。おい、せめて感謝の言葉くらい言えや。


 天井からはお洒落なレース状の垂れ幕が下がっており、そのため直射日光とは言えないが……それでも忌々しいほどには眩しい。室内でも傘を差したい気分だが、奇異な目で睨まれるだろうから我慢しよう。特にアシュリーに。


 大広間の奥に人影が三つ見える。俺の視力に掛かれば、もう全員把握できている。いや、できてるけどできてない。知らない奴が一人いる。


 アルフレートは大広間に足を踏み入れた俺たちに気付いた様子で、こちらを見て軽く頷いた。挨拶のつもりだろう。こちらも頷きを返してやる。


 それに対し、副局長アドラス。絶対お前も気づいてるだろ。一人一人の顔は判別できなくとも、大勢が入ってきたことはどう考えても分かるだろ。なんで一切こっちに興味を示さないんだ。話の途中だから腰を折るのも悪いっつゥ、対面している相手に対する配慮? や、紹介しなさいよ。俺たちに、その人をさ。


 つかつかと歩み寄って、アドラスに皮肉の一つでも言ってやろうかと思ったのだが……その、女。


 足音に気付いて振り返ったのであろう、その人物を見た瞬間。


 ――なんだこれ。


 何と言えばいいのか。

 何と言えばいい?

 何を思えばいいのかすらも……分からなくなった。


「副局長、お待たせしました。……そちらは?」


 俺が何も言えずにフリーズしたため、結局話しかけたのはレイスになった。俺の隣まで歩み出てきて、俺たち側の最前列に立つ。


「ほへぇ、美人だな」


 俺の肩口に顔を近づけたダクトがそう言ったのか。そうなのだろう。俺は振り返って確認することができない。視線をそれから離せなくなっていたから。


 ――黄金の、林檎。


 何故か頭に浮かんだのは、そんな表現。あんまり気持ち悪いこと考えたくないんだけど、いやそもそも自分にそんな詩的な表現ができるとか思ってないんだけど、とにかくそう思った。


 この世界を生み出した何者かがいるとするならば、それの寵愛を一手に引き受けた、依怙贔屓えこひいきされた存在。すれ違った人間が、思わず振り返ってしまうような。


 記憶の隅を刺激するような、不思議な感覚に思考がまとまらない……。


「彼女は、フェリス・マリアンネ様。ある国の、とある組織から来訪された使者です」


 紹介されると同時に、彼女は流麗に一礼してみせる。

 副局長の説明も、ただ耳を抜けていくだけだった。


 カラン、と何かが音を立てた。何だろう。


 ――その長くボリュームのある金髪がうねる様に伸びる様は、溌剌はつらつとした印象を与える。


 年齢は俺と同じか、少し上くらいだろうか。その瞳の中には宇宙が宿っている。元から人好きのいい笑みをたたえたようなその愛らしい顔は、少し悪戯っぽさも兼ね備えているか。総じて、感情が出やすそうだ。あ、ああああいあいい、愛らしいってなんだ!? ……あ、ちょっと正気に戻りかけてるな、俺。何考えてんだよ。


 そうだ、その調子でいつもの俺に戻ろうぜ。後生だから。


「とある、組織……?」


 カーリーの声がする。

 とある組織、使者。その情報だけでは、全く何も想像がつかない。俺もだ。


 すらりとした肢体――この表現キモいな――を包むのは、瞳と同じ紫紺のゆったりとした羽織。しかし、そこまで動きづらそうではない。下の方はズボンみたいになってるし……現代アレンジってやつか? 古風、というイメージが強い羽織という言葉の枠組みから大きく逸れるようなそれが、活発そうな彼女の雰囲気にまた合っているというか。……やめだやめ、これ以上この女のことを褒めるのはやめよう。


 なんか、俺が俺じゃないみたいだ……。


「――ぃギッ!?」


 突然の衝撃に、思わず背筋が良くなっちまった。身体が跳ねた。

 うああ、くそ! 周りの視線が痛い!


 どうやら俺と同じことを思ったのか、高さ的に恐らくリバイアが、俺の腰のあたりをつねったようだ。


「……いつまで見惚れてるんですかレンドウさん!?」


 小声での叱責。


「み、見惚れてねェし!」


 ようやく身体を捻って、小さく振り返ることに成功する。

 見れば、リバイアは頬をぷくーっと膨らませて、何やら複雑そうな様子だ。

 何だよ、今なんかお前が怒る要素あったか……?


「アシュリー、どうか落ち着いて聞いてください」


 そこで、アドラスがそう前置きした。本題に入る前に、心の準備をさせようというのだ。それは解るんだけど、わざわざアシュリーを名指しで指定するところが、さ。


「また暴走するとか、マジ勘弁な」


 アルまでそう続けてしまうものだから、


「……あぁ。……まあ。そこまで言われたら、分かりますよ」


 後ろ頭をガリガリ掻きながら、アシュリーが返した。

 俺にも分かったぞ。


 このフェリス・マリアンネとかいう女は――。


「フェ、リス……」


 フラフラと。


 前方へ歩み出たのは、ジェノ。向かう先は、少年が今しがた言ったように、金髪の女性、フェリス・マリアンネ。


 さっきのカランって音は、ジェノがカバンか何かを落とした音だったのか。随分と固ェ音立てたもんだな。つか、両手を繋ぎ合わせるように拘束されてるのにその手でカバン持つってどういう状況だよ。いざ転んだときに手をつけないじゃないか。よく言うだろ? 両手は空けとけって。鼻を打ったらどうするんだ。ったく、親から習わなかったのかよ。


 ……そんなことより、彼女は腕を広げると……自分の目の前で力なく立ち止まった少年を抱き寄せた。


「頑張ったね……ヴェルゼ」


 羨ましい……じゃなくって!


 ――この女、魔王軍からの使者だ……!!


 ……そういうこと、だろ?


「これが魔族の魅力か。魔性って言えばいいのかぁ? うぅむ、これに惹かれるのは仕方ないよなぁ?」とか何とかダクトがボソボソ言っているが、誰も反応しない。いや、アルが「花畑どもめ」と小さく呟いてた。よかったなダクト。反応してもらえてさ。……オイ、“ども”ってなんだどもって。まさか俺を含めてんじゃないだろうな。


「どうして魔王軍の人間がここにいるんだ。使者? 何故悠長に会話なんてしている。副局長。……歩く辞書」


 バカ共はほっといて、とばかりにアシュリーが矢継ぎ早に質問する。

 もういいよ、俺もバカってことでさ。


 それでいいから、お前も落ち着けって。

 別なベクトルで危険人物になるなよ。


 そんなアシュリーを見て、アドラスは右手を上げて……中指でメガネを押し上げつつ、口を開く。


「そうですね……どこから話したものでしょうか。彼女は昨日のうちに既に到着していたのですが、混乱を避けたかったので……。私達の方で話の擦り合わせを行ってから、皆さんにお伝えしようと考えたんです」


 副局長はこの場にいる全員に向けて喋っている。そのため視線はあっちの人物、こっちの人物と割と忙しなく動くわけだけど、「混乱を避けたかったので……」の部分ではアシュリーの方を向いてるってことは、へへん。やっぱお前も俺と同じかそれ以上に問題児認定されてるゥ~。


 ……アホか。どこで張り合ってんだよ。脳内で自分を軽く叩いて、集中。気持ちを切り替えろ。副局長の話に集中しよう。この見目麗しい女性……コホン。この女の事は忘れろ。


 ……話の主題となっている人物の方を全く見ずに、副局長を見続けるってのも、それはそれで変じゃねェか……?


 何か調子のおかしい自分に呆れつつ、俺は長めの瞬きを繰り返した。



 * * *



「私たち――あなた方の仰る魔王軍――には現在、人間と手を取り合って生きていく方法を模索する“穏健派”と、人間を討ち滅ぼし、イェス大陸を自分たちの支配下に置こうとする“過激派”がいます」


 ジェノのことをヴェルゼとか呼んでいたっけな、この女……フェリス・マリアンネ。少年をあやすのをやめて、今は両手でジェスチャーを交えながらお国の事情を解説なさっている。


 が、話が話だけに、途中で色々と訊かずにはいられない。一応、最初に「分からないことがあればその都度質問してください。出来る限り答えます」と言われてたし、いいっしょ。


「えっと。訊きたいことが……」


 おずおずと、自信無さげに手を掲げてみる。フェリスは俺の方を見ると、はいどうぞ、と即座に許可をくれた。ついでに、「あ、せっかくですから、貴方のお名前もお聞かせください」とも。


 え、そんなに俺の名前が知りたいのかい、お嬢さ――――死んどけ俺! さっきから延々と気持ちワリィことばかり考えやがって! 発情期でも無いくせに!


 自分で自分の頬をつねりたいところだが、いかんせん周りに人がいすぎる。

 どんな方向に首を傾けたとしても、頬をつねる手は隠しようがないだろうから、断念。


「俺は≪グロニクル≫って言います。よろしくです」


 そう、俺が慣れない敬語を使いながら名乗ったとき、フェリスの目が僅かに見開かれたように感じたんだが……どういう意味だろう。こいつ敬語言い慣れて無いな……とか一瞬で看破されちまったのか!?


「……今仰っていた穏健派、っつゥのにあなたが所属してるのは解ります。……なら、魔王率いる過激派が先走って攻撃を仕掛けてきたのが、先月のってことでしょうか?」


 アレ、などと縮めて言うには大きすぎた事件。同じヒトの形をした生き物同士が血みどろの争いを繰り広げた、凄惨を極めすぎた事件。


 ――俺がこの手を汚した事件。


 別に、怒りを溜めたいワケじゃない。

 誰かに自分の凶行の責任を押し付けたいワケじゃない。


 ――ただ、どうしてあんな事件が起きたのか。それをハッキリさせたかったのだ。


 フェリスは頷いて、それから首を振った。


「答えさせていただきます。しかし、まず一つ訂正させてください。魔王様は……魔王ルヴェリスは――、」


 そこで彼女は、一旦言葉を切った。それは……次の言葉を告げた時、周りから浴びせられるであろう言葉に耐える為か。心構えが必要な程の事柄なのか。


 そして、意を決したように、周りを見渡しながら言う。


「……過激派ではないのです。≪セントレムリア十字騎士団じゅうじきしだん≫を統べる穏健派であり、博愛の王。それが魔王ルヴェリスの……真実なのです」

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