二十九話 地下の妖精と魔眼と


 荒い息で路地裏を一人歩くシトラス。

 ライラと別れてから、しばらくの時間が流れていた。


 強化魔法はとうに切れていた。

 ペース配分を考えずに使ったため、再び使える程の余力も今の彼にはない。

 

 距離距離のおかげか、戦闘が終わったのか。

 背後から聞こえてきた破壊音はもう聞こえない。


 元々土地勘もないシトラス。

 でたらめに走って駆けた路地裏。

 何度も袋小路に入り、その度に何度も引き返すことを繰り返して、自分が今どこにいるのかもわからなかった。

 

 陽が落ち、より一層静まり返った路地裏に響くのは、自身の足音だけ。


 地下世界の気温は、地上の気温よりかなりマシではあるが、日没後も冷え込むことに変わりはない。


 しかし、ライラから借りている首から頭をすっぽり覆う布地のおかげで、寒さに怯えることはなかった。

 別れてなお、シトラスはライラに守られていた。






 しばらく歩いていると、視界の先に一人の少女を見つけて立ち止まる。


 十六歳となったシトラスよりずっと幼い容姿を持つ美少女。

 褐色の肌、切れ長の緋色の瞳、地面に届きそうなほど長い暗い赤紫ボルドーの髪。

 黒のワンピースだけを身に纏った軽装。

 他に何も身に纏っておらず、その足は素足である。


 地下世界を照らす月に照らされたその横顔。

 彼女のその瞳は、褐色の肌と暗い髪色と相まって、夜道では宙に浮ぶ宝石にも見える。


 思わず漏れる心の声。

「妖精さん……?」


 静かすぎる地下世界の夜に、ポツリと漏れ出したその声はよく響いた。

 

 おもむろにシトラスに向き直るミステリアスな少女。


 少女はシトラスを認識するとコテン、とその首を傾げた。

 シトラスも少女に合わせて、同じ方向に首を傾けた。


 ややあって少女が反対側にゆっくりと首を傾げる。

 シトラスも彼女に倣って、同じ方向に首を傾けた。


 二人とも鏡のように、再び同じ方角に首を傾げて見つめあう。


 そのまま首を傾けた姿勢でシトラスは名乗る。

「ぼくはシトラス。君は?」


 少女はそれに答えずに、その首を正面に戻した。


 ぺたぺたと素足でシトラスに歩み寄る。

 そのまま無言でシトラスの胸に手を乗せた。


 自身に興味を持っている様子の目の前の少女に、再び同じ言葉を口にする。

「ぼくはシトラス。君は?」


 少女はまたもその問いには答えない。

 どこか浮世離れした容姿と雰囲気をもつ美少女。


 路地裏に一陣の風が吹いた。


 体を小さく震わせる少女。

 彼女は地下の空を見上げ、透き通った笑みを見せた。


 シトラスはその震えを彼女の軽装のためだと思った。

 ライラの言いつけに反して、顔に巻いた布地を取る。

 自分が今までそうしていたように、彼女の首から頭に向けて巻きつける。


「暗くなって寒くなってきたからね。そんな恰好じゃ風邪を引いちゃうよ」


 シトラスの手つきはお世辞にも器用なものとは言い難く、少女の片目が布地に隠れてしまっていた。

 それにも気がつかず一生懸命に彼女の頭に布地を巻きつける。


 互いの息遣いが感じられるほどの距離。


 少女は何も言わず、何も抵抗しない。

 ただ残されたその片目の視界から、興味深そうにシトラスの顔を終始見上げている。


「できたッ。あ、ごめん。これじゃ見にくかったね。これで……よしッ。寒くない?」


 初めて反応を見せた少女はコクリと頷きながら、不思議そうにシトラスを見つめ続ける。


 シトラスは膝を少し折って、彼女に視線を合わせ、

「ご両親は?」

 彼女はますます不思議そうな顔を見せ、しばらく沈黙した後で再び首を傾げてみせた。


 彼女のその様子に胸を痛めたようで、膝を折ってその小さな手を取る。

「ごめんね。辛いこと聞いて。そうだ。よかったらぼくと行こうよ。……実のところ、ぼくも行くところはないんだけどね。ただ、友達を待っているんだ」


 シトラスの誘いに、彼女は初めてその口を開いた。

「……ともだち?」


 その声は夜空に透き通るような綺麗な声音。


 シトラスはライラの顔を思い出しながら、目の前の少女に微笑むと、

「うん。友達。いつも顔を隠している恥ずかしがり屋さんの友達。ぶっきらぼうだけど優しい友達なんだ。君には友達はいる?」


 少し間があった後で、ゆっくりと首を横に振った少女にシトラスは、

「じゃあ、ぼくが君にとって初めての友達だね。ぼくはシトラス。君は?」


 シトラスの三度目の自己紹介に少女は、

「……イクストゥーラ」


 シトラスは、イクストゥーラに優しく微笑んだ。

「いい名前だね。イクスって呼ぶね。ぼくのことも好きに呼んでいいよ」


 シトラスは立ち上がって、彼女の前に手を差し出す。


 彼女は差し出されたシトラスの手を見つめている。

 差し出した手への反応に困っている様子だったので、シトラスはゆっくりと右手で彼女の右手をとって、優しく握りしめた。

「よろしくねイクス」

 返ってくる言葉はなかった。


 彼女の闇夜に浮かぶ緋色の瞳は、相変わらず不思議そうなものを見るように、シトラスを見つめている。

 しかし、シトラスは握った彼女の右手から、柔らかく手の感触が返ってくるのを感じて、頬を緩めた。


 二人の繋がった手。シトラスは再び歩き出した。






 あてもなく歩く二人。

 シトラスが半歩先を歩き、イクストゥーラの手を引いている。


 しばらく歩いていた二人であったが、やがて疲れと空腹からその足が止まる。


 シトラスは、身に纏っているローブのポケットの中にお菓子が入っていることを思い出した。

 昨年、ブルーをセントラルの私闘リンチから助けたことを知った魔法生物学の教師――アイリーンが授業後にこっそりとシトラスに手渡していたお菓子であった。

 間食をあまり好まないシトラスは、貰ったお菓子には手をつけずにローブの内ポケットに入れっぱなしであったのだ。


 内ポケットから取り出したそれは、包装紙に包まれた、人差し指程の長さの棒状のお菓子。


 包装紙から取り出したそれを半分に折って、イクストゥーラに差し出す。

 

 差し出されたそれを受け取ると、イクストゥーラは不思議そうに見つめる。

 しかし、彼女を受け取ったそれの匂いを嗅いだり、夜空に透かしてみたりするだけで食べようとはしない。

 彼女はそれが何かわかっていない様子であった。

 シトラスは彼女にそれがお菓子であることを説明するが、彼も食べたことはないので、要領を得ない説明になる。


「見せた方が早いね」

 と言うと、シトラスは彼女に見せつけるように、一息に口に入れて咀嚼して、嚥下して見せた。


 それを見た彼女は、少し考える素振りを見せたが、棒状のお菓子の先端を少し齧る。

 そして、その味に少し驚いた様子を見せると、何回かに分けて、残りも頬張るのであった。


 嚥下し終わった彼女は初めて、不思議以外の感情を浮かべて見せた。

 それだけ彼女は、差し出されたお菓子を気に入ったようだ。


 シトラスはそれを見て、空腹以上にその心が満たされるのを感じた。






 間食を終えると、再び歩き出す二人。


 しばらく歩いていると、子ども寝転ぶにはちょうどいい大きさの木箱を見つけたので、二人はその上に腰かけることにした。


 シトラスの顔色には疲労の色が浮かんでいたが、イクストゥーラを安心させようと努めて笑顔を浮かべると、

「今日はここで寝ることになりそうだね」


 イクストゥーラの表情は出会った時から変わらない。


 相変わらず不思議そうな顔でシトラスを見つめる以外は何の反応も見せない。

 間食のお菓子で驚いた表情を見せたぐらいである


 彼女の手を引いて、木箱の上に横になる。


 湿った木箱の弾力は、地面に寝るよりかは幾分かの体への負担を和らげる。

 寝るときに、何かを地面に敷いて体の負担を和らげる。

 これはミュールと過ごしたロックアイスのスラムで、ミュールの兄貴分であったシロッコから学んだ雑学であった。


 シトラスはイクストゥーラに腕枕をしながら抱きしめて、少しでも彼女の負担を和らげるように努めるとその目を閉じる。


 腕の中のイクストゥーラの長い髪を安心させるように繰り返し撫でながら、

「おやすみイクス。明日はきっといい日になる。今日よりずっと言い日になる」

 そう自分にも言い聞かすシトラスは、疲れからいつの間にか深い眠りに落ちていくのであった。




 


 翌日、陽が街を照らすより先にシトラスは目を覚ました。


 寝ぼけまなこの視線の先には、緋色の瞳。

 イクストゥーラが不思議そうにシトラスを見つめていた。


 金橙色の瞳と緋色の瞳の視線が重なる。

「おはようイクス。あんまりよく寝られなかったかな。でも、もうちょっとの辛抱だから。ライラが、ぼくの友達がぼくを見つけてくれるまでの辛抱だからね」


 安心させるように彼女の頭を一撫でする。


 二人は木箱から降りて再び歩き出す。


 地下世界の街を朝陽が照らし出す頃になると、シトラスの体が限界を迎えていた。

 食料以上に学園城を出発してから、水分を摂取できていないことが問題であった。

 それでいて絶えず、動き回ったことで体に疲労が蓄積していた。


 シトラスの喉は乾ききっており、体力の低下が著しい。

 今では隣を歩くイクストゥーラよりその歩みは重い。

 

 建物の隙間から朝陽が差し込んだタイミングで、ついにシトラスは地面にその膝をついた。

「はぁはぁ、あ、あれ……。ちょっと、待ってね。はぁはぁ……」


 イクストゥーラは膝をついたシトラスを不思議そうに見下ろす。

 この不思議な少女はシトラス同様に飲まず食わずで、さらに素足で歩き通しているにもかかわらず、けろっとしていた。


 シトラスは、立ち止まっても自身の意識が回復していくどころか、遠のいていくことを自覚した。

「はぁはぁ、イクス。ぼくは、ここまでかも、しれない」


 かすれていく視界、目を開けているのも辛くなってきた。


 残されたのは聴力だけ。


 その耳に、頭上から透き通るような声が聞こえた。

「……最期の望みは?」

 

 シトラスはまとまらない思考で一生懸命に考える。


 そして、最後の力を振り絞って答えた。

「世界、平和」


 その後の記憶はない。



 シトラスはまどろむ意識の中にいた。


 遠くで声が聞こえる。

「――ッ! ――トッ!」


 声が近づいてくる。


「――トッ! シトッ!」


 ――否。

 声がシトラスに近づいているのではない。

 シトラスの意識が現実に近づいたのだ。


 意識がゆっくりと覚醒する。


 薄っすらと瞳を開けた先の視界に飛び込んできたのは、涙目のライラの素顔。

「――ライ……ラ? ……ッ! ここはッ!?」


 シトラスは勢いよく身を起こした。

 危うくライラの鼻柱に額をぶつけかけるが、猫人族の持ち前の優れた反射神経を活かして、これを顔を引くことで回避する。


 シトラスは、慌てた様子で周囲を見渡し、イクストゥーラの姿を探す。

 しかし、室内にはシトラスとライラの二人の姿しか見えない。


 シトラスはベッドの隣で、シトラスの様子を伺っていたライラの肩を握り、

「イクストゥーラは? 不思議な雰囲気をもった緋色の眼の女の子見なかった? ライラと同じ肌の色をした」

 と問うも、

「イクストゥーラ? 見ての通りあたしたちの他にこの部屋に人はないが? あたしも今この部屋に来たばかりだから、あたしが来る前はちょっとわからないけど……」


 誰のことかわからない様子のライラに、シトラスは一つ息を吐いた。

「そう……。元気にしているといいけど。……ねぇ、ここはいったいどこ? ぼくはどうやってここに? それにライラも……」


 シトラスのお腹の虫が鳴った。


「まずはこれを食べるといい」


 ライラはそう言うと、懐から小指の第一関節ほどの大きさの球体を二つ取り出し、シトラスに差し出した。


 それが何かと尋ねると、

「飢渇丸と水喝丸。飢えと渇きを一時的に癒してくれる。噛まずに飲み込んだ。飢渇丸は一粒で一日、水喝眼は三粒あれば一日は凌げる優れモノだ。満足感がないのが玉に瑕だけどな」


 差し出されて二つの粒を言われた通り、交互に二つの粒を丸呑みにすると、喉の渇きや空腹感が薄れていくのを感じた。


 驚くシトラスにライラは、

「即効性があって、もう少し時間が経てば、腹が減ってたことも忘れるよ」


 飢えを凌いだシトラスには聞きたいことは色々あった。

 再び興奮気味に身を乗り出したシトラスに、ライラは一つ頷いた。


「何から話せばいいか――」

「――我が話そう」


 開け放たれた部屋の入口から声が聞こえた。


 その声に反応したライラは、ベッドの脇ですぐに床に片膝を立てて顔を伏せ、臣従の礼を見せた。


 入室したきたのは、外見年齢が二十代半ばの青年。

 左腕全体に刺青、左側頭部を極端に刈り上げた黒髪。やや左寄りに結われたおさげ。

 身に纏った麻の一枚布で作られた衣服、

 キトンは右肩のみ留められており、その特徴的な青年の体の左側をいっそう強調していた。


 突然のライラの反応に戸惑っているシトラスに対して、

「目覚めたか、王に愛された少年よ。ここはエッタ唯一の神殿。人はここを神殿宮と呼ぶ」


 きょとんとした表情を見せるシトラス。

「王? 神殿宮?」

 シトラスの言葉には反応せず、シトラスの横たわるベッドに向かってくる青年だが、

「ええい、お主の傍は風が鬱陶しくて叶わんわ」

 シトラスに近づくに連れて来訪者の青年は顔を顰める。

 青年は手で宙を払う素振りを繰り返しながら、ベッドの横に立ってシトラスを見下ろした。


 シトラスは青年が何を言っているか理解できず、再び疑問を呈す。

「風?」

 今度は目の前の青年もこれに答える。

「お主はあの風の王シルフィードの弟であろう。不遜にも王の名を冠するあの怪物の。我は地下世界の法であるリオン兄弟が弟リオン・ライト」


 リオンの体の特徴的な体の模様は、シトラスに昨年の夏季休暇中の出来事を思い出せた。

「あのときのッ!」


 対して、リオンは記憶にない様子で首を傾げる。

「はて? 我はお主とは面識があったかの?」


 シトラスは振り返って、ライラに視線を送り、問いかける。

「ねぇ、ライラ。そうだよね?」

 しかし、リオンが姿を現して以来、彼女はリオンの反対側のベッドの脇で、膝をついたまま頭を下げ、無言を貫いている。


 ライラの様子に気がついたリオンは鷹揚に頷くと、

「よいよい。豹族の女子よ。ここは非公式の場ぞ。立ち上がり、我の面前での発言を許す」


 リオンの言葉に、ライラはおもむろにその首を上げ、その場から立ち上がると、

「あ、ありがとう、ござい、ます。……このシトラスの言うとおり、閣下とシトラスには面識がございます。ただし、それは一方的なものかと存じますが、覚えていらっしゃるかはわかりませんが、夏季休暇にセントラルが暴れたときの、その被害者でございます」


 ライラの説明で、リオンは何かを思い出したように数度首を縦に動かすと、

「あぁ、あのときの……。なんだ、今日は赤毛のじゃじゃ馬娘は来ておらんのか?」


 夏季休暇のセントラルが揉めごとを起こしたあの日。

 あの日、あの場で唯一最後まで戦意を維持し、リオンにも牙を向いたメアリーを彼は高く評価していた。


 二人が同時に首を振るのを見たリオンは少し残念そうな顔を見せるも話を続ける。

「そうか、それ残念だ。どうも話が逸れてきておるな。我がここに来た理由はほれ」


 手にした一枚のカードを、指で弾いてライラの胸元に飛ばす。


 ライラは素早く飛来したそれを受け取ると、それが何かを確認した。

「ッ! これは……魔眼の鑑定士の推薦状!」

 信じられないという表情のライラに、

「これが必要なのであろう」

 ライラは慌てて感謝の言葉を必死に述べる。

「あ、ありがとうございます」


 ライラの感謝に鷹揚に頷いたリオンは、

「それが終われば早々に立ち去るがよい。今回の件は特例として見逃すが、次はない。地下世界に学生は夏季休暇以外では訪れぬように。兄者がお怒りだ」


 それだけ言うと踵を返すリオンであったが、シトラスがその後ろ姿に声をかけた。

「イクストゥーラって女の子を見てない? たぶんぼくと一緒にいたと思うけれど」


 リオンは振り返らずにシトラスに伝える。

「……安心しろ。彼女なら違う部屋で寝ている。……会っていくか?」

「よかった……。ううん、寝ているなら邪魔したくない。ただ優しくしてあげてね!」


 リオンは振り返ることなく、そのほとんどが刺青で覆われた右手を持ち上げて肯定すると、歩みを再開して部屋から出ていった。


 リオンの姿が見えなくなるのを待って、大きな息を吐いたライラであったが、

「シト。やっぱお前は何かもってんな。これはリオン様からの鑑定士の紹介状だ。しかも特級の。シトには起きて早々で悪いがすぐに行こう。今から行けば今日中に学園に帰れる。この部屋に来る前に臨時の通行証も二枚頂いたから、日没前に双子城の連絡橋に行かないと」


 急かすライラに背を押され、ベッドから飛び出たシトラスとライラはこうして神殿宮を後にした。


 二人は雲一つない青空の下、再び魔法協会支部に訪れる。


 同じ受付嬢が浮かべる同じ笑み。

「魔法協会エッタ支部ギルドへようこそ。本日はどのようなご用件でしょうか?」



 受付嬢に案内された支部ギルドの一室。


 時間は昼を少し過ぎた頃。


 部屋には机と二つの椅子。

 机の上には支部ギルドが用意したのだろうか、口のつけられていない紅茶と、厚みのある装飾の施された本。


 窓際の椅子には既に先客の姿。

 先客は口を開かず、案内した受付嬢が、その人物こそが二人の目的の特級鑑定士だと二人に告げた。

 体全体をゆったりとしたローブに深く覆われた鑑定士は、その性別すらもわからない。唯一見えるその口元は随分と若々しみえる。


 受付嬢は鑑定士に挨拶を述べ、二人の紹介を済ませると部屋から退出した。


 部屋に残されたのは、シトラスとライラ、そして無言を貫く特級鑑定士。

 鑑定士は白の手袋に包まれた指で、シトラスに座るように指示をする。


 シトラスに続き、足を進めたライラだが、それは鑑定士の手の動きにより遮られた。

「……あたしはここで立っていろ、と?」


 鑑定士の頭のローブが縦に揺れた。


 それを見たライラは仕方なそうに肩を竦める。

 壁に添うように立って、シトラスと鑑定士を見守ることにした。


 シトラスが椅子に座ると、鑑定士は手招きをする。

 その顔を、机を挟んで座る鑑定士の顔に近づけように。


 今から何が起こるのか興味津々な様子で、シトラスは指示に従い、机に身を乗り出すように顔を差し出す。

「こう?」


 チラリと見える視界の隅、シトラスは机に置かれている装飾の施された本が、魔力を帯びていることに気がついた。


 気になったシトラスであったが、鑑定士から差し伸べられた二つの手が、顔を左右から挟むように捉えた。


 シトラスは視線をローブの奥の鑑定士に向ける。

 不思議なことに二人がこれだけ至近距離であるのに、シトラスから鑑定士のその顔は口元以外、一切見えない。

 

 鑑定士はシトラスを捉えた両手の中から、親指を使って下まぶたを優しく下方に引っ張り、その両眼が見えやすい状態を作った。


 シトラスも空気を読んで、精一杯目を見開く。

 シトラスは固定された視界の中で、鑑定士が何かしらの魔法を使い始めたのがぼんやりとわかった。


 少しすると、鑑定士の手から解放されたシトラス。


≪いくつか質問をする≫


 頭に直接響くような声に驚くシトラス。

「うわッ!」


 それは男性とも女性とも、若いとも老いたものとも分からない声。


 その不思議な声に驚くシトラスに、同じく声が聞こえていたライラは、シトラスを落ち着かせるように、

「大丈夫だシト。これは<念波>と呼ばれる一般魔法だ。魔力を使って使用者の意思を届けているんだ」


 鑑定士はシトラスが落ち着くのを待って、次々と質問を問いかけた。

 ≪形はあるか?≫、≪色はついているか?≫、≪人以外にも見えるか?≫、≪視えるようになったのはいつからか?≫、≪視えるようになった心当たりは?≫、≪体への影響は?≫などなど多岐に渡った。


 その一つ一つを素早く、時に思い出すように考えながら、シトラス答えていく。


 窓から差し込む光がオレンジ色に染まった頃。

≪これが最後の質問だ。それは常に視えているのか? 意識したときに視えているのか?≫


 シトラスは過去を振り返って、少し黙り込むと、

「……常に視えている気がするけど、集中するとそれがもっとよく視えるよ」


 金の瞳を闇の奥に見たような気がした。


≪なるほど、確かにその眼は魔眼だ。その魔眼の名は、魔力視の魔眼。魔眼の格は下級といったところだ≫


 万物に宿る魔力を視る魔眼――魔力視の魔眼。

 それが、知らずシトラスが手にしていた新しい力の正体であった。



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