二十八話 修行と地下都市と


 魔力視の魔眼の使い方に悩んでいたシトラス。


 アドニスの助言を得たことで、水を得た魚の如く、強化魔法に全振りで鍛錬に励むことにした。


 それは何かに取り憑かれたように病的なまでに。


 いついかなる時も――授業を受けている時も、トイレで用を足している時ですら――強化魔法を行使する徹底ぶりである。


 元より魔力量の少ないシトラスは、魔力切れを何度も起こした。


 魔力切れは、ひどい二日酔いのような前後不覚となる体調不良を引き起こす。

 その状態は魔力がなくなればなくなるほど酷くなる。

 倦怠感から始まるそれは、次第に眩暈、吐き気といった症状を引き起こす。

 魔力切れの直前には、頭痛、痙攣が術者を蝕み、最終的に魔力がなくなれば意識を失う。

 

 シトラスは日に何度も嘔吐し、何度も気を失った。


 その度に周囲を心配させた。

 静止の声を振り切って、そのような生活を一ヶ月も続けた。


 それでも目に見えた効果は見られなかった。


 強化魔法生活が一ヶ月が経過する頃には体重は落ち、その頬も少しこけた。

 その金橙色の眼だけが爛々と輝いていた。


 それからもただ愚直に、ただひたむきに強化魔法を磨き続き続けた。


 二ヵ月が経ってなお、日に何度も嘔吐し、何度も気を失っていた。

 体が慣れてきて、強化魔法の使うことができる時間が延びれば延びるほど、使用時間を増やしたので、その症状が改善することはなかった。


 シトラスの試みを目にした生徒は、彼をクレイジーと称した。

 ミュールとブルーの二人もたびたびシトラスに無茶を止めるように進言したが、二人の声にさえシトラスは耳を傾けなかった。


 シトラスにとって幸いなことは、二人がそれならばと、シトラスの体調不良を陰に日向に支えるようになったことである。

 対して、メアリーとアドニスは、シトラスの身を削るような無茶苦茶な行為に対して、何か口を挟むことはなかった。

 ただ黙って傍で彼を見守り続けた。


 カーヴェア学園は年末年始の冬季休暇を迎えた。


 多くの生徒が羽根を伸ばす中でも、シトラスは強化魔法の鍛錬には狂ったように励み続けた。


 ついに見かねたミュールが、アドニスの口からシトラスに無茶を止めるように依頼するも、

「はぁ、私にはそれはできません。今の彼を止めるということは、彼の夢を止めると言っても過言ではないでしょう。昨年度に対抗魔戦本選に出場したミュールこそ、本心ではわかっているはず。本選に出場するのは、王国中の才媛の中の上澄み。人並みの努力では、人並み以上のに相手に追いつくことは一生できないのです」


 次にミュールが向かったのは、イスト魔法俱楽部の魔法塔。


 しかし、普段はシトラスに過保護なベルガモットやヴェレイラもアドニスと同じ考えで、

「今のシトは夢への分水嶺にいる。血反吐を吐いて夢への切符を手にするか、夢を諦めて地に根を下ろすか」

「もちろん私たちなら物理的にシトを止めることはできるよ。けれど、それだとシトの夢まで止まってしまう。ミュール、貴方はシトの後悔する顔が見たいの?」


 年が明けると、翌月に控えた対抗魔戦の話題で盛り上がり始めるカーヴェア学園。

 勇者科存続ための、勇者科の最初の試練はすぐそこまで迫っていた。







 年明けのある日のこと。


 シトラスはふらふらとした足取りで、中庭にその足を運んでいた。

 ここに足を運ぶのは夏季休暇が明けてから初めてで、随分と久しぶりであった。


 迷いなく中庭を横切って歩くシトラスは、一本の巨木の前で来るとその足を止める。


 おもむろに顔を持ち上げて、樹上の木陰に向かって声をかけた。

「やぁ」


 見上げてその反応を待つが、返ってるものはなにもない。


 シトラスは優しくその名前を呼んだ、

「ライラ」


 葉風が吹いた。

 中庭に響く葉擦れの音。


 樹上から勢いよく一つの影が飛び降りてきた。

 その影はおよそ人族には真似ができない柔らかさをもって、はるか樹上から自由落下で着地した。


 すらっとした長い手足。

 肌の露出が目元以外一切ない外装。

 男性用の制服の上に、ローブを羽織っている。

 首から頭をすっぽり覆う巻きつけられた布地から唯一その目元だけが伺える。

 その目元が教えてくれることは、彼女が大きな銀色の瞳と黒髪、そして褐色の肌の持ち主であるということ。


 制服は女性徒では珍しくズボンを着用していた。

 それでいて女性とわかる体の凹凸。

 ローブの下のタイトな服装のシルエットは男性にはない腰のくびれと、胸部と臀部の丸みを主張している。

 胸輝く黄色のブローチの輝石の色は、橙色の色みを帯びていた。


 彼女と出会うのは、決まって校舎の陰にある中庭。


 二人の視線が交差する。


 風に流される髪を抑えて、シトラスが口火を切る。

「進級おめでとう、今年でライラも卒業だね」


 ぎこちなく言葉を返すライラの表情は硬く、

「あぁ……そうだな。シトの方こそ進級おめでとう。最近もまた無茶苦茶してるらしいじゃねーか。夏休みで頭のおかしくなった二年生がいる、って最近噂だぞ……。噂だよな? ほんとに何もないよな? まさか中央の奴らに何かやられたのかッ!? それなら――」


 夏季休暇中の地下都市で、シトラスに刃を向けたライラ。

 護衛を務めていた護衛対象と揉めたシトラスに対して、護衛官としての立場があったのだ。


 彼女はその事実を非常に後ろめたく思っていた。


「――大丈夫だよ。ありがとうライラ。心配してくれて、そしてこの前も」


 魔力は感情と密接に関係している。

 かつてハロルシアンの勧めで読破した『魔力マナの人体に及ぼす影響』にも、魔力と感情の結びつきについては、一つの章を丸々使った実験とその結果が詳しく記されていた。


「……なんのことだ」


 正確な感情は本人にしかわからない。

 しかし、魔力の視えるシトラスにとって、それが嘘かどうか、本意かどうかを見破ることは、さほど難しいことではなかった。


「夏季休暇にブルーをいじめた上級生たちと戦った時、助けてくれたんでしょう。だから、ありがとう。ライラがいなかったら、ブルーを守れなかったかもしれない」


 シトラスの言葉に顔を背けて、小さく言葉を漏らすライラ。

「あたしはなんもしてねーよ……」


 シトラスは顔を背けたライラに対して、

「……何もせずにいてくれたんでしょう?」

「……ッ!! 気づい、ていたのか……?」

 見透かされていた事実に驚きに、思わずライラが顔を見上げる。

 彼女の見上げた先に見えるのは、真っ直ぐな視線で彼女を見つめる金橙色の澄んだ瞳。


 その瞳が優しく細められ、

「……やっぱりそうだったんだね」

 シトラスは嬉しそうに笑った。


「おまッ!? カマかけやがったのかッ!?」

 動揺からか彼女の魔力が揺らいでいることが、魔眼を通じて見ることができたシトラスはいっそう笑う。

「うん。でも気づいていたのも本当だよ。信じてもらえるかわからないけど……。ぼくはどうやら人の魔力が視ることができるみたないんだ」


 シトラスの言葉に、ライラは今度は違った意味で驚く。

 彼女の銀の瞳が大きく開いた。


「人の魔力を、視る……? お前それは――」

 何か言葉を続けようとした様子のライラであったが、言葉を切ると頭を振って、

「――いやッ、今はいい。いいか、よく聞けシト。このことはこれ以上誰にも話すな」


 シトラスの両肩に自身の手を置き、力強くシトラスの瞳を見つめるライラ。

「え? う、うん」


「特に中央の奴らはダメだ」

 わかったな、と肩を揺らすライラにシトラスは、

「うん……でもなんで?」


 ライラの言う"中央の奴ら"とは中央派閥の魔法倶楽部――セントラル。

 夏季休暇に護衛も務めていた自身の所属する俱楽部から、シトラスを遠ざけようとしていた。


「……シト、お前自分の力をどこまで聞いている?」


 シトラスはアドニスから聞いた魔眼の考察と、力の使い方をライラに伝えると、

「――あぁ、アドニス先生の言うとおりだ。シトのそれは魔眼かもしれない。そのあたりは魔法協会にいけば正確にわかるんだがな」 


「魔法協会って、あの魔法使いを決めたり、悪い魔法使いを捕まえている組織の? ……そう言えば、アドニス先生も魔法協会なら魔眼の使い方を知っているかもしれない、って言ってたけど」


「あぁ、シトの言うとおり、協会は悪い魔法使いを捕まえたり、魔物を研究したり、大陸中の魔法に関する知識をかき集めている集団で、大陸の各国に支部があるんだ。もちろん王城の地下都市エッタにもある」


 魔法協会。大陸をまたにかけた一大組織。

 魔法協会の活動は他にも、魔法に関する書物の刊行、保存などがあり、シトラスが過去に読んだ『魔力マナの人体に及ぼす影響』も魔法協会から刊行されていた書物であった。


「そうだったんだ。じゃあエッタに行けばいいんだね」


 シトラスはこの後の予定を即座に決定した。                           

 そして、それを察したライラ。


「まてまてまて。シト、何か勘違いしているかもしれないが、学園の生徒だからって地下都市には好き勝手に行けないんだ。あそこは学園の夏季休暇の間だけ特別に学園の生徒に解放されているんだ」


「ふーん。ライラって地下都市に詳しいんだね」

「まぁな。私は地下都市で生まれ育ったんだ。……ってシト、今なに考えてる?」


 へーそうなんだ、と上機嫌に微笑んだシトラスは続けて、

「ちょっとさ、ぼくに協力してくれない?」

 甘えるように身を寄せて、ライラを見上げるシトラス。


「……嫌な予感がする。おい、わかってるのか? 王城への無断登城は違法だぞ。捕まれば学園の生徒だろうが逮捕だ。学園の外の出来事だ。学園は助けてくれないぞ?」


「そうだね。じゃあ捕まらないように今度も助けてくれる?」


 目の前の悪魔のささやきに、ゆっくりと唾を飲み込むライラ。

「……もしあたしが断ったら?」


 肩をすくめておどけてみせるシトラス。

「どうもしないよ。ただちょっと捕まる可能性が高くなるだけ」


「……。はぁ……。わかった。ただし、条件付きだ。」

 ライラは、自身の手を取って喜んでいるシトラスを見る。

 彼女には目の前に立つ自分より頭一つ小さいシトラスを見捨てるということができなかった。


 今すぐ行こうと息巻くシトラスを宥めて、ライラは日を改めるように言う。


 シトラスに協力するにあたってライラがシトラスに突きつけた条件は三つ。

 実行する日付と、当日は彼女の指示に従うこと。あとはシトラスとライラの二人だけで忍び込むこと。


 シトラスは寮に帰った後で、普段行動を共にするミュールとメアリーにだけ、このことを打ち明けた。

 ただし、同伴者が他派閥に所属するライラであることはぼかして。

 当日留守番であることを渋るミュールとメアリーであったが、最終的になんとか二人には留守番を頼むことに成功した。



 ライラの指定した当日。

 二人は学園城と王城の双子城を繋ぐ連絡橋の屋根の上を、中腰の姿勢で歩いていた。


 いつも通り露出のほとんどないライラ。

 この日のシトラスは彼女同様に、大きな布地を首から頭に駆けてぐるぐるに巻いて、目元だけを露出させていた。


 シトラスがその顔に身に着けた布地はライラの私物で、嗅ぐと彼女の匂いがして少し落ち着いた。


 それを素直に本人に伝えると、彼女は唯一露出している目元の上下の布地を両手で掴み、握りしめて自身の視界を閉じた。

 感想はいらない、と顔に巻いた布地の中から蚊の消え入りそうな声と共に。


 先を歩くライラは後ろを振り返ると、

「――ここまでのおさらいだ。私たちがこの連絡橋の上を歩いている時の三つのルールは?」


 シトラスはライラの問いに頷くと、

「足音を立てない。ライラ以外の声が聞こえてきたら立ち止まる。飛竜を見たら立ち止まって伏せる」

「そうだ。特に王都の空中の警邏を行っている哨戒班。飼いならされた飛竜と、その背に跨る騎士でペアを組んでいるこいつらに見つかるとややこしい」


 シトラスが頭上に広がる空を目を凝らして見渡す。

 遠目に空を泳ぐように移動する数体の存在を確認することができた。


 幸いにして、慎重に足を進めた二人は哨戒班や、橋の上を通る人々にも気づかれずに橋を渡り切る。  

 

 橋を渡り切った先で聞こえてくる男性の話し声。


 二人が橋の上から慎重に橋を覗き込む。

 王城側の橋の入口を挟むようにして立つ二人の警邏の姿が見えた。


 ゆっくりと頭を引っ込めた二人は、顔を寄せ合せあった。


 ライラが問い掛ける。

「強化魔法は継続してどのくらい使える?」 

「足だけだと五分くらい、全身だと三十秒くらいかな」


 シトラスの数字に少し考える素振りをみせたライラは、

「……よし、ならあたしがお前を担いでいく。……けど、その、いいか?」


 シトラスの機嫌を伺うように見る彼女に、彼女が何を気にしているかがわからず、逆に聞き返す。

「え? いいか、ってなにが?」


「や、その、猫人のあたしが、その……。人族の貴族であるお前を抱きしめる形になるけど……」

 それだけ言い切ると、シトラスの反応を恐れてか、彼に背中を向ける。


 ポトム王国は人族中心国家。

 シトラスを見ていると忘れそうになるが、人族以外の亜人に対する差別は王国中に蔓延っている。

 それが彼女が常にその容姿を隠している理由の一つでもある。


 シトラスは背を向けたライラの背中を優しく見つめると、

「ねぇ、ライラ」

 彼女の手を取った。

「なん――」

 振り返ったライラをシトラスは正面から優しく抱きしめた。


「――ぼくがそんなこと気にすると思うの?」


 シトラスはそのまま彼女の頭頂部に顔を寄せる。

 布地の下、猫耳があるで場所に優しく囁くように言葉紡いだ。

 覆われた布地の下、シトラスは悪戯な笑みを浮かべて。


 ゾクゾクと身体を震わせたライラは、ほんの一瞬だけその体を緊張させた。

 すぐに脱力してその体を彼女より小さなシトラスの体に委ねた。


 抱き寄せられたまましばらく固まって動かないライラ。

「あれ? おーい、ライラ?」


 シトラスは荒い息を吐き始めたライラを引き離す。

 訝しげに彼女の目を見つめる。


 その視線の先では、

「フゥフゥフゥッ、スゥゥゥーー、フゥゥゥーー……な、何でもない。じ、じゃあ、あたしがお前を抱くからッ、シトはあたしに身を任せてッ」

 息を殺したまま、興奮気味にシトラスを食い入るように見つめるライラ。

「うん? よろしくね」



 やる気を漲らしたライラの活躍もあって、警邏に捕まることなく無事にエッタに辿り着いたシトラス。


 これがシトラスにとっては二度目の地下都市エッタ


 夏季休暇期間中と異なり、学園の生徒がいない今のエッタこそ、地下都市の本当の姿が広がっていた。

 

 夏季休暇期間、誰もが笑みを浮かべていた地下都市。

 それは学園生徒が非道を働いても消えることなかった。


 しかし、今はどうだろう。人々は誰も笑みを浮かべることなく、ただもくもくと働いている。


 ライラの先導で裏路地を歩く二人。 


 路地裏には人影がなく、木材や木箱が整頓された状態で鎮座しているだけである。

 埃や汚れはあるもの故郷のロックアイス領や、王国東部の最大都市であるポランドであっても、こうした裏路地には少なからず人が住み着いていたり、ゴミが散らかっていたものである。


 シトラスが興味深そうに口を開く、

「地下都市って全体的に綺麗だよね。ぼくの領地だとこういう裏路地でも色んな人が生活していたけど……」

 それを聞いたライラは眉を顰めて吐き捨てるように、

「綺麗なものか……。汚いものには蓋をして、自分たちにとって都合のいいものだけを残しているだけだ。この地下都市では……貧しいことすら罪なんだ」


 その言葉には怒りがあった。


 シトラスは先を小走りで歩くライラの魔力が、彼女の体から溢れだすのを感じた。


 その感情が揺れている。

「なにそれ、じゃあ貧しい人たちはどこへ――」


 ――貧しい人たちはどこへ行くのか。


 しかし、シトラスがその質問を言い切ることはなかった。

 ライラは振り返って、その発言を遮った。


 目的の場所が近いようだ。


 布地で覆われた自身の口元に人差しをあてて、

「――しっ。静かに。その話は後だ。協会の支部はこっちだ」


 裏路地から大通りへの小路を足早に歩く。

 

 ライラは少し歩調を落として、シトラスに用心を促す。

「いいか。今の時期は基本的に学生の滞在が許されていない。何があっても、誰に何を言われても、その顔の布はとるなよ。最悪ばれたら学園に帰れなくなるぞ。例えシトが地上の貴族であっても、学園の俱楽部生であっても。この地下都市は地下都市のルールで回っているんだ」


 真剣な眼差しのライラにシトラスはコクリと頷く。


 小路を抜けた先、二人の視界に飛び込んできたのは、周囲の建物よりひと際立派な建物。


 シトラスが声を漏らす、

「ここが魔法協会……」

 

 ライラは教会を目にして立ち止まったシトラスの手を引いて室内に入る。

 二人の踏み入れた室内は多くの人で賑わっていた。


 人族もいれば、亜人の姿も多い。

 複数人で固まっている者もいれば、一人で佇んでいる者もいる。

 彼らに共通していることは、ほとんどの者が活動的な服装をしているということだ。


 興味深そうに室内を見渡すシトラス。

 

 館内には大勢の人がいるが、中でも壁一面を占める巨大な掲示板の前に多くの人が身を寄せ合っている。

 彼らが向かい合っている掲示板には、数えきれないほどの用紙が張り出されているのが遠目に見えた。


 ライラはシトラスに顔を寄せると、目を凝らしながら首を動かして掲示板を見ようとするシトラスに釘を刺す。

「シト、あまりキョロキョロするな」


 それでも好奇心を抑えきれないシトラスに、ライラは小さくため息を吐く。

 その手を強く引いて、カウンターに足を運んだ。


 カウンターには何人もの受付の職員が立っていた。

 受付の職員には男性もいれば女性もいる。

 その種族も様々であった。


 ライラはちょうど人が捌けて、空きができたカウンターに足を運んだ。

 半身になってカウンターに肘を乗せる。


 カウンターを挟んで立つ人族の女性が、抜群の営業スマイルで声を掛ける。

「魔法協会エッタ支部ギルドへようこそ。本日はどのようなご用件でしょうか?」


 ライラが周囲を一瞥した後に、受付嬢に顔を寄せる。

「魔眼の鑑定をしてもらいたいんだが、鑑定士を紹介してくれないか?」


 受付嬢もライラに合わせて、ライラに顔を寄せる。

「かしこまりました。ただいま手の空いている鑑定士ですと――」


 二人が顔を寄せ合っていると、受付嬢の立つカウンターの内側で動きがあった。

 彼女の脇から、白のドレスシャツに黒のスタックスパンツとベストを着た男性職員が、ライラの対応をしている受付嬢に耳打ちをする。


 ライラに一言断ってそれに耳を傾けた受付嬢は、

「――はい。はい、承知しました。こほん、お待たせしてすみません。……おめでとうございます! ちょうど手の空いている鑑定士がおりますので、ご案内いたしますね。こちらなんと特級鑑定士の方です! お二人もご運がお強いですねッ!」


 受付嬢の言葉にライラはその目を見開いた。


 事態をよくわかっていないが、受付嬢の『おめでとうございます』の言葉に喜ぶシトラスだが、

「やった。じゃあ――」

「――逃げるぞシト」


 え? と呟くシトラスの返事を待たずに、ライラは彼を横抱きに抱えた。

 そのままカウンターに背を向けて、爆ぜるように走り出した。


 慌てて教会を飛び出したライラに、彼女の腕の中のシトラスが、

「何をそんなに慌ててるの? 特級が何か知らないけど、言葉の響き的に凄い人がすぐに見てくれるんでしょう? ぼくはいい話だと思ったけど」


 魔法で強化した体で、ライラは人混みを割いて走り抜ける。

 シトラスを抱えたまま、時に壁を蹴り、宙に身を翻しながら地上の王都キーフへの昇降口へ向かう。

 

「あまりにも都合が良すぎるッ。季節外れにも関わらず、私たちが初めて訪れたタイミングで、特級鑑定士がたまたま支部に訪れていて、たまたまその手が空いていて、何の後ろ盾も、名乗りすらあげていない私たちのために時間を割くだと? 胡散臭すぎるだろッ」


 人目を気にせず、凄まじい勢いで街中を駆け抜けるライラだが、街を抜ける直前でその足が止まる――否、止められる。

 ライラは全身に力を込めて地面を蹴ろうと試みるが、その体はそれ以上前には進まない。

 それどころか気を抜くと、体が後ろに持っていかれそうなるになる。


「ぐっ……、これはッ!?」


 次第に強くなる見えざる力に、ついには彼女のその体は宙に浮く。


 今度は横方から与えられた見えざる力が加わった。

 シトラスを抱えたまま、ライラの体は通りの問屋の軒先に勢いよく飛び込んだ。

 

 体を魔法で強化したライラと、彼女に抱え込まれるように守られたシトラスに怪我はない。

 ただその衝撃に彼女の腕の中でシトラスは目を丸くした。


 ライラは何もなかったように破壊がまき散らされた軒先から立ち上がると、シトラスをそっと抱えた腕から下ろした。


 周囲にいた人たちは、蜘蛛の子を散らすように慌ててその場から立ち去っていく。


 学園の夏季休暇期間中の地下都市とは大違いである。

 夏季休暇期間中の地下都市は学園の生徒たちが問題や騒動を起こしても、笑顔を絶やさず、何かに縛られるかのようにその場から逃げ出すことが決してなかった。


 ライラはシトラスに提案する。

「シト、いったんここは別れよう。あたしが時間を稼ぐ。……大丈夫だから。そんなに心配そうな顔をするな。地下都市はあたしの庭みたいなものだ。シトがいない方が自由に動けるってもんだ。いいか、あたしと離れても、その顔に巻いた布は絶対に無くすなよ。あたしの匂いが染みついたその布切れが、あたしとおまえをまた引き合わせる」


 心配そうにライラを見るシトラスを安心させるように一度軽く抱きしめると、その背中をそっと押した。


 シトラスを問屋の脇の路地へと促す。


 余裕そうな態度を崩さないライラにシトラスは、

「うん、わかった。気をつけてね!」


 ライラに促さるまま、脇に見えた路地裏に駆けこんだ。

 強化魔法を使い、脇目もふらず路地裏を駆ける。


 その背中を追いかけるように、激しい破壊音が連続して響き渡った。


 

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