二十七話 弱点と課題と
話し合いの日より、勇者科の授業は当たり障りのない一般教養や、剣術、一年生に学んだ復習が中心となって進められた。
アドニスの元勇者という肩書は伊達ではなかった。
冴えない見た目に反して、剣術ではメアリーすら寄せ付けない。
魔法分野に関してもシトラス、ミュール、メアリー、ブルーの四人を同時に相手取って圧倒してみせた。
勇者に関する専門的な知識、技術こそ教えてはくれないものの、アドニスの下で四人はメキメキとその実力を伸ばしていった。
カーヴェア学園の二年生は、年が明けるまで大きな学園行事はない。
新学年から半年後の対抗魔戦が、最初の四大行事である。
これは対抗魔戦と魔闘大会の初戦突破を目指す四人にとっては、追い風であった。
カーヴェア学園では三年生から、専門課程において課外実習が始まる。
学外へのフィールドワークが始まると、四大行事に集中してばかりもいられなくなるからである。
シトラスたちが、来年から勇者科を選考するためには、対抗魔戦と魔闘会の二つの行事で全員が本選出場、かつ一回戦を突破する必要があった。
その目標を達成するには二つの壁。
一つは言わずもがな実力、そしてもう一つは魔闘会への出場権の獲得である。
魔闘会は、前年度の上位四名、学園の総合成績上位十名、教員の推薦による十四名の三十二名で行われる。
重複分や不足分は総合成績上位者から補填される。
つまり、シトラスたちは上級生を押しのけて教員推薦の枠を掴み取る必要があった。
◇
その日、アドニスは学園城内に割り当てられた自室で、勇者科の生徒のここまでの四人の成績をまとめていた。
外は既に闇の帳が降り、窓からは月の光が差し込んでいる。
机の上に設置された蝋燭台の蝋が、残りわずかとなっていた。
一通りまとめ終わった様子で、大きく伸びをする。
その後、もう一度机に向き合うと、四人の資料を机の上に並べて内容を比較する。
自身の受け持った生徒たちの成績を比較すると、
「うーん」
という小さな唸り声とともに手に持った羽根ペンで頭を掻いた。
ミュールは、雷属性の強化魔法を得意とし、雷を具現化させるほどの魔法の才も発露しつつあった。
スラム育ちの型にはまらない柔軟な思考と、それを再現できる身体能力。
何をやらせても器用にそつなくこなし、何より打たれ強い。
総合力という点では四人では一番であった。
メアリーも、ミュール同様に強化魔法を得意としているほか、火属性をもち、それらを恐ろしいまでに使いこなしていた。
やや気性に難があるものの、剣を持たせたら他の三人は敵ではない。
剣に関しては他の三人が束になってかかっても敵わないほどである。
ブルーは、魔法は強化魔法と土属性に風属性に適正があった。
魔法ではミュールとメアリーに比べると数段劣るものの、猫人族特有のその身体能力は他の三人を凌駕していた。
近接格闘を得意とし、単純な肉弾戦なら四人で一番であった。
五感に優れ、相手の術中にハマることの少ない点も高評価である。
そして、シトラス。
シトラスは――。
「はぁ、他の三人と比べると一人だけ明らかに格が落ちるんですよね……」
勇者科の閉鎖こそ望んでこそいるが、アドニスも一人の教職者。
自身の望みとは別として、ベルガモットとヴェレイラを交えて話し合った日以来、四人に対して、いずれの結果に終わろうとも後悔のないように、それまでの一ヶ月が嘘のように真摯に向き合っていた。
今もこうして、勤務時間外にもかかわらず、昨年彼らの担任を務めたシェリルから昨年度の情報をもらい、この二か月の授業で得た情報を加味して、四人の実力を整理し、成長に必要な情報を抽出していた。
「はぁ、なんだかなぁ……。他の三人は二年生とは思えない仕上がりで、この時点であれだけ実力があれば合格なんですが。彼らを連れてきたシトラスだけはかなり厳しいですね。いくら対抗魔戦まで三ヶ月あるとはいえ、たった三ヶ月では普通では飛躍的な大きな成長は見込めないでしょう」
一つ大きなため息を吐く。
いつからか、ため息を吐くことが癖になっていたアドニス。
かつての自分が今の自分を見たらどう思うか、と自嘲気味に笑う。
シトラスのようにアドニスもかつては勇者に憧れ、勇者を志し、その夢は叶った。
明るく前向きなシトラスに、かつての自分が心の中で声を上げる。
しかし、足りない。
今の彼では勇者となるだけの資格がなかった。
「はぁ、勇者を志す者が勇者になる資格をもたず、勇者を志さぬ者がその資格をもつ、か……。このままだとシトラスが原因となって、勇者科も終わり、ですか……」
王の要求を叶えられるだけの実力。
それこそが唯一勇者に求められる資格。
このままいけばアドニスの願いが叶う。
されどその表情は浮かばれず、
「はぁ、私の積年の望みが叶うといえ、はぁ、後味が悪いですね……」
窓から見上げた先にある月。
月は何も言わず、ただ世界を優しく照らすだけであった。
◆
残暑も去り、冬が顔を顔を覗かせる季節。
休日の校庭で剣の鍛錬に励む四人。
「ほい、シト」
シトラスの左手に立つミュールが、シトラスに濡れたタオルを投げつけた。
「わぷッ!?」
シトラスはそれに反応できずに、タオルは顔に貼り付く。
シトラスは緩慢な動作で顔に貼り付いたタオルを手に取って、そのまま顔を拭った。
どこか元気ないシトラスにミュールを怪訝に思い声を掛ける。
「なんだ、ぼっーとして……疲れてるのか?」
「ううん。ちょっと考えごと。……ミュールはさ、正直どう思う? ぼくが本選に出場して初戦突破できると思ってる?」
珍しくどこか自信なさげなシトラス。
「何を不安になってるんだ。まだ三ヶ月もあるんじゃ……いや、正直に言おう。……かなり厳しいと思う。特に魔闘会。シトが中距離攻撃を持たないのは――致命的だと思う」
シトラスの不安を和らげようと、話を合わせたミュールであったが、シトラスの真剣な表情を前に、お世辞抜きの意見を述べた。
シトラスの魔法についてはギリギリ強化魔法が使える程度。
魔法については、それを得意とする他の生徒たちと随分差をつけられつつあった。
「そうなんだよね。ぼくもそこが悩みどころなんだよね」
眉根を寄せるシトラス。
「アドニス先生に聞いてみたらどうだ? 先生ならシトの魔力が視えることも含めて何かいい助言くれるかもしれない」
「うん。そうだね。元勇者の先生なら何か知ってるかも……。ありがとう、聞いてみるよ」
翌日の授業の休憩時間。
勇者科の教室の教壇の椅子に座るアドニスに、シトラスは自身の視えている世界を説明した。
アドニスの視線は興味深そうにシトラスの瞳を見つめながら、
「――はぁ、魔力が視えている?」
「はい。なんかこう色がついて、ぶわぁ、っと……」
少し黙り込んだアドニスであったが、シトラスの説明に何か心当たりがある様子で、
「……はぁ、もしかすると、魔眼に目覚めたのかもしれませんねぇ……」
シトラスが小首を傾げる。
「魔眼?」
最前列に座る三人も、先ほどから興味深そうに、教壇の二人の会話に耳をそばだてている。
自身の心当たりを説明するアドニスは、
「はぁ、はい。魔眼、と一口に言っても色々種類があるのですが、その中の識別眼、光彩眼あたりは魔力の流れを見ることができたはずです」
二人の話を堂々と盗み聞きしていたミュールは、『魔眼』という単語に反応する。
座席から立ち上がって教壇に上ると、アドニスに詰め寄った。
「すげぇじゃん、シト。俺も欲しいな、魔眼。どうやったらその魔眼を使えるようになるんですか?」
期待を込めた眼差しを送るミュールに、アドニスは残念そうに首を振って、
「はぁ、それは私にはなんとも……。魔法協会がその方法を長年探しているようです。噂に聞いた話ですが、過去に協会の関係者で魔眼を与えられた者がいるとかいないとか」
魔法協会とは、パイエオン教と並ぶ大陸の二大組織。
医学に関する最先端組織であるパイエオン教。
魔法に関する最先端組織である魔法協会。
魔法協会の主な活動としては、魔法使いの実力の物差しである魔法位階の授与や高位魔法の開発といった研究機関のような活動と、魔法犯罪者の逮捕、討伐と言ったある種の国際警察の活動が有名である。
「はぁ、それにしても魔眼ですか。私にはシトラスの見ている世界はわかりませんが、もしそうであるなら、その力は魔法社会ではとても大きな優位な点になりますね」
シトラスは本題へと入る。
「うん、相手が魔法を撃ってくるタイミングとか、飛んでくる魔法が視えるから、それを避けるのはそんなに難しくない。アドニス先生、これを何か攻撃に活かせないかな……?」
アドニスはどこかきょとんとした顔を見せ、
「はぁ、攻撃に、ですか……」
「うん。ぼくが対抗魔戦や魔闘会で勝つには、攻めの武器が足りないと思うんだ。相手の魔力が視えても攻撃できなきゃ勝てないし……」
顎に手を当てて少し考え込んだアドニスは、
「はぁ、……そうですね。はぁ、一度私と手合わせしましょうか。これまでに授業で行った剣術や魔法比べ、と言った個別具体的な手合わせではなく、いまシトラスができるすべてを使った模擬戦を」
元勇者と本気の手合わせである。
勇者に憧れるシトラスが喜ばないわけはなく、
「え? いいのッ!?」
それを見ていたミュールやブルーも名乗りを上げる。
「えー、ずりぃ。先生。シトが終わったら俺もいい?」
「あっ、私も……」
最後にメアリーも「私も」と言わんばかりに、座席に座りながら頷いている。
アドニスはメアリーに対しては物凄く渋面を作って、
「メアリーはちょっと……」
剣術の模擬戦では、いつも一人だけ殺意の濃度が桁違いなメアリー。
面構えが違う。
彼女との模擬戦では度々、家族を殺された復讐を受ける犯罪者の立場にでもなった気分になる。
「何よ」
文句あるの、と言わんばかりのメアリーにアドニスは、
「私が終わり、と言ったら止めてくれますか?」
ふんッ、と肯定とも否定ともとれる反応を見せたメアリーに、アドニスは少し不安になった。
校庭に木刀を手に向き合う二人、アドニスとシトラス。
少し離れたところにはミュールたち三人の姿もある。
「それでは、私が『止め』と言うまでにしましょうか。シトラスは私を殺す気で来てもらって大丈夫です」
はじめ、というアドニスの号令で模擬戦が始まった。
号令とともにシトラスは木刀を両手で握り、腰を落として構えを取った。
シトラスはじりじりと距離を詰める。
アドニスは木刀を左手で握っているだけで、手にした木刀を構えることもしない。
その切っ先はいまだに下を向いている。
アドニスは無手である右手をシトラスに掲げた。
「<
すると、シトラスの頭ほどの大きさの火の玉が、アドニスの右手に瞬く間に形成され、シトラスへと襲い掛かる。
それを難なく避けるシトラスに対して、
「はぁ、いい反応ですね。魔力が視えているというのも頷けます。――では、こういうのはどうでしょう? <火球>」
次にアドニスは右手で体の前で弧を描くようにして、再度同じ魔法を唱えた。
「うわっ!?」
先ほどと異なり、慌ててその場から飛び退くシトラス。
アドニスが体の前で描いた弧の軌跡に五つの火球が現れたかと思うと、シトラスが退いた場所へと次々と飛来した。
「はぁ、いい判断です。どうやらその力、本当のようですね。ですが、逃げているだけでは勝負になりませんよ?」
アドニスの言葉に、シトラスは足に魔力を流す。
強化魔法で推進力を得た足を使って、一気にアドニスとの距離を詰めにかかる。
シトラスは両手で握りしめた剣を振りかざすが、
「はぁ、まだまだ強化魔法の精度が荒いですね。それに剣術の授業でもお伝えしたかと思いますが、剣の軌道が素直すぎます。それに予備動作も大きい」
アドニスの左手一本で振り払われた一撃は、シトラスの体ごと吹き飛ばした。
吹き飛ばされたシトラスは、剣を落とさないように握りしめるので精一杯であった。
痺れる腕に力を込め、再び距離を詰めるべく一歩踏み出したところで、
「はぁ、やめ、です」
二人はまだ一合しか交わしていない。
シトラスはこれには消化不良のようで、
「……もう?」
しかし、頭を振って応えるアドニスは、
「はぁ、十分です。はぁ、貴方の弱点と課題も見えましたので」
「教えてッ!!」
弱点と課題、というアドニスの言葉に、シトラスは不満げな表情から一転してその顔を輝かせる。
アドニスは右手を自身の顔の近くまで持ち上げた。
右手の人差し指を一本だけ立てると、
「はぁ、まず、強化魔法の精度です」
アドニスは左手に握った木刀を持ち上げて、シトラスの顔の右のこめかみにあてがった。
それを戸惑いながらも、シトラスは反射的に差し出した右手で受け止めた。
「アドニス先生なにを……?」
「はぁ、実践では、いま私の木刀を受け止めたくらいの反応速度で、強化魔法を練り上げる必要があります。ほとんど無意識のレベルです。はぁ、これがまず一つ」
初級者は魔力で強化する前に、強化させる場所へと意識を集中させる傾向が強い。
授業や試験であれば問題ないが、実践ではその意識を割く間が致命傷になりえる。
アドニスは次に中指を立て、
「はぁ、次に強化魔法の範囲です。今の模擬戦で貴方は足に強化魔法を使っていましたが、強化魔法一つで魔法使いに戦いを挑むのであれば、それを全身のいたるところに自由に使えるようにする必要があります。理想は瞬時に全身を強化することです」
練り込んだ魔力次第では、素の木刀程度は蚊ほどの痛みも感じなくなるでしょう、と。
アドニスが言うとおり、現在のシトラスは足なら足、腕なら腕と部分ごとにしか強化魔法は使えない。
また強化部位の切り替えにほんのわずかなタイムラグがあった。
次の瞬間、アドニスの体から湧き出る
魔力が視えるというシトラスに、アドニスが全身強化を実演してみせたのだ。
目の前に立つシトラスの目を見開いた様子から、自身の意図をくみ取ったことを悟ると、
「はぁ、勇者科の閉鎖を望む私の言葉を信じるかどうかはシトラスに任せますが、対抗魔戦まで残り三ヶ月。もし私が貴方ならこの二つに集中するでしょう」
食い入るようにアドニスの魔力の流れを凝視するシトラス。
「精度に範囲……」
瞬きすら惜しんで、十代半ばの少年が中年のおじさんを嘗め回すように見つめる姿は、傍目から見ると奇妙な光景であった。
幸い見学者の三人。
ミュールとメアリーは強化魔法した聴覚で、ブルーは獣人特有の優れた聴覚で二人の会話を聞いていたため、誤解を招くようなことはなかった。
「はぁ、貴方は魔力が視えるのでしょう? なら、なぜ貴方は自分の魔力を視ないのです? 貴方は模擬戦前の教室の会話で、貴方の魔眼について話すとき、他人の魔力についてしか触れませんでした。なぜでしょう? 魔力が視ることができるということは、自身の魔力の循環を視覚で正しく認識できるということ。魔法を扱う上で、これほど大きな利点はありません」
言われてみるとシトラスは、他人のオーラを気にするばかりで、自分の魔力を気にしてこなかった。
灯台下暗し。
言われてみれば当たり前の話であった。
それはシトラスにとって盲点であった。
自分がなすべきことが視えた気がした。
何か気づきを得た様子のシトラスを前に、満足げに頷くアドニス。
「はぁ、さて――」
振り返った先では、今か今かと模擬戦に飢えた三人の生徒の姿。
「――もう一仕事ですかね」
苦笑いを零すと、ミュール、ブルー、メアリーの順番で模擬戦を行う。
そして数十分後、
「ちょっ、ちょっ、メアリーッ! 約束ッ! 約束ッ! 終わり、って言ったら終わりですよッ!」
「聞こえないッ!!」
獰猛な笑顔を浮かべて肉薄するメアリーに対して、
「それは、聞こえてる人が、言う言葉じゃ、ないでしょうにッ!!」
アドニスはメアリーを蹴り飛ばして、距離を取る。
彼女に対しては、女性を足蹴に、などと言っている場合ではない。
メアリーとの距離を稼いだアドニスはすかさず、視線を周囲に這わして探す。
この小さな
勇者を引退してから、こんなに焦ったことがあっただろうか。
アドニスは必死に声を張った。
「シトラスッ! シトラスッ!」
しかし、肝心のシトラスはアドニスからの助言通り、自身の魔力の循環を確認するのに忙しかった
また、巻き込まれない様に模擬戦を置こうなう二人から距離を取っていたことから、アドニスの呼び声にまったく気がつく様子がない。
アドニスが現在のメアリーに遅れを取ることはない。
しかし、メアリーはあまりにも殺意が高すぎて、他の生徒と比べて、無傷での無力化が極めて難しい。
何がここまで彼女を殺意の衝動に突き動かすのか。
教師としては面倒だから、という理由で生徒を無暗に傷つけるわけにはいかない。
模擬戦はメアリーが満足するまで続いた。
結局、この日のアドニスは、彼女との模擬戦を日が暮れるまで続けることになるのであった。
誰よりもボロボロになりながらも、満足げな顔を浮かべたメアリー。
無傷だがげっそりとした表情のアドニス。
もう二度と彼女とは模擬戦はしない、とアドニスは心に固く誓うのであった。
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