二十六話 資格と条件と


 ポトム王国における勇者の歴史を、一通り説明し終えたアドニス。

 次に彼から発せられた言葉は、シトラスとミュールを脅かせるには十分であった。


「はぁ、私は今年度で勇者科を廃止にします」


 この日が勇者科の最初の授業である。

 担当の先生が専門課程を否定する発言に、二人は揃って顔を見合わせた。


 覇気のない言葉で言葉を続けるアドニスは、

「はぁ……。皆さんはご存じないと思いますが、学園では五年間履修結果のない科目は閉講されるという不文律があります。そして、最後に勇者科の履修を修めた生徒が去って、今年で五年目になります――つまり、今年誰もこの勇者科を履修し、修得した生徒が現れなければ、この科は今年度をもって閉講されることになります」


 ミュールは意図を理解できず、たまらず質問をぶつける、

「先生はいったい何を……?」


 しかし、その抽象的な問いにアドニスは答えることはなく、

「はぁ、付け加えると、私はあなた方に勇者科の履修単位を与える気はありません。もし、皆さまが卒業後の軍での立身出世を望んでいる場合は、これは大きな足枷になるでしょう……。はぁ、もし今からでも他の課程へ進路を変更したい方がいらっしゃれば申し出て下さい。推薦状をしたためますので……。はぁ……。いつでも結構です。……私に声をかけて下さい」


 もちろん授業初日に希望課程から移籍を望むシトラスではなく、シトラスについてきた三人はシトラスに従う。

 四人の顔を見回したアドニスだが、誰も声を上げないことに失望した様子で、力なくため息を吐いた。


「……なんでアドニス先生はそこまで勇者科を閉講させたんですか? 先生は勇者科の先生で、しかも元勇者? なんですよね?」

 というミュールの当然湧き上がる疑問に対してアドニスは、

「……元勇者、だからですよ……」


 四人の代表をするように、立て続けに質問をおこなうミュールに対して、シトラスは終始無言でアドニスを見つめていた。



 それからの勇者科の授業は、ひたすら自習であった。


 来る日も来る日も自習自習、そして自習。


 新学期の一ヶ月目は、アドニスの授業では剣どころか、ペンを持つことすらもなかった。

 シトラスたちは、ただひたすらに教室に座って、入学時に配られた教科書を毎日読む日々。

 アドニスは教壇の椅子の上で居眠りを繰り返すだけ。

 シトラスたちが教科書から学んだ魔法を、教室内で行使することについてはアドニスは何も言わず、ただただ一瞥をくれるだけであった。


 勇者科として一か月を終える頃。

 アドニスの態度を見かねたミュールが、一年生の時に担任を務めていたシェリルに直談判するも、

「ミスターチャン。授業方針は担当教師の裁量ですので、私が口出しできることではございません。……勇者科の噂は私も耳にしております。勇者科から私の専門課程に来られるのであれば、皆様を歓迎いたします」

 と直接的には力になれないと言われてしまった。


 閉塞した状況の打破に、シトラスは自身の最終兵器を使うことにした。


 ミュールとメアリーと共にイスト魔法俱楽部に訪れていた。


 四門の一角、東のフィンランディア家の次期当主――アンリエッタが部長を務める魔法俱楽部――イストに所属する三人。

 イストの拠点である塔の二階、幹部のみが立ち入ることが許された会議室へと足を運んでいた。


 部屋の最奥の座席に座るのは、シトラスにとって頼れる姉。

 金橙髪に一房の赤色を残した浅葱眼の美少女――ベルガモット・ロックアイス。

 そして、その隣には人並み外れた巨躯を持つ年上の幼馴染。

 橙髪琥珀眼の美少女――ヴェレイラ・ガボートマン。


 シトラスは砕けた口調で、

「助けて姉えもーん」

 冗談めかして甘えた声を出した。


「なんだよ姉えもん、って……」

 それに静かにツッコミを入れるミュールに、

「んー語感?」

 とだけ言ってシトラスははにかむ。


 シトラスが甘えた相手こそ、学園史上最強との呼び名も高い俊英、ベルガモット。

 彼女はシトラスの二歳年上の実姉である。

 入学以来、数々の伝説を現在進行形で残し続けている彼女は、実質的にアンリエッタに変わってイストのトップであった。


 諸事情により学園の夏季休暇にほとんど会えなかった最愛の弟が自分に甘えにきた。

 それだけでベルガモットのやる気は静かに燃え上がった。


「いいだろう、シトの願いだ。私の弟の時間を無下に扱うなど、許されるべきことではない」

「私も手伝うね、シト?」


 そして、シトラスの後ろに回り込んで、彼を包み込むように抱きしめるのは、人並外れた大きな体をもつヴェレイラ。

 彼女の橙色の髪がシトラスの顔をくすぐる。

 彼女はシトラスの幼馴染の一人である。

 ベルガモットとは同い年にして親友でもある彼女は、北の出身ながら、一身上の都合で東のクラブに身を置く、ベルガモットに次ぐ実力者である。


 二人の胸に輝くブローチの輝石は学園最高位の赤。

 赤色は学園の最上位七名にのみ許され、七席と呼ばれて学園では別格の存在であった。



 その翌日のこと。

 ベルガモットとヴェレイラは、朝一番の授業の前に勇者科の教室にいた。


 シトラスたちの座る最前列の座席。

 その机に腰かけるベルガモットと、その座席の前で膝を抱えて地面に座るヴェレイラ。

 並外れた彼女の巨体は、通常の席ではおさまりが悪い。


 シトラスとミュールを加えた四人は、授業前に談笑していた。

 メアリーは鋭い視線で、会話には入らずに目の前の二人の上級生を睨んでいる。

 対して、ブルーは顔を伏せて、彼女らと視線が合わないように息を殺していた。


 ブルーにとっては、久しぶりに見かけた上級生の二人は、昨年度に一度ご飯を共にしたときより、更に怪物度が上がっていた。

 それはこれが授業でなければ、また、シトラスが絡んでいなければ、一目散に逃げ出したいほどであった。


 教室に予鈴の音が響くと、時計を確認する上級生二人。

 その後の本鈴が鳴っても、教室には現れない担当教師アドニスに二人は揃って眉をしかめた。


 腕を組んで机に腰かけるベルガモットは、組んだ腕の示指で自分の腕を繰り返し叩く。

「……遅い」

「遅いねー」


 やがて、いつも通り遅れて教室に入ってきたアドニスは、初日以来の相変わらず気だるそうな様子であった。


 しかし、そのアドニスであっても、教室内のヴェレイラとベルガモットの姿を視認すると、その足を止めて、いつも気だるげなその眼を大きく見開いた。

風の王シルフィード不動の巨人デイダラボッチ

 アドニスの口から、ポツリと二人の二つ名が零れる。


「お前が私のシトを担当するアドニス、とやらか」

「……はぁ、七席のお二人が何用で……?」

 ごくりと喉を鳴らして、唾を呑み込んだアドニス。


「私の弟に授業をしろ」

 不遜な態度で生徒ながら、教師に命令を下すベルガモット。

 それに対する、アドニスの答えは――

「……」

 ――沈黙であった。



 時計の針が時を刻む音だけが教室に流れる。



 アドニスは唇を湿らすように、一度唇を口内に巻き込んだ。

 それからゆっくりとその口を開く、

「……はぁ、私は、これが、貴女の弟君にとって、正しい――ッ!!」


 アドニスはその言葉を言い切ることができなかった。


 突如その場でアドニスの体が縦に一回転したかと思うと、そのまま背中から地面に落ちた。

 したたかに背中を打ち付けたアドニスは、一時的な軽い呼吸困難に陥り、酸素を求めて口を繰り返し開閉させる。


 それを行ったであろうベルガモットは、相変わらず机に座ったままの姿勢を崩さない。

 ただ冷たい視線を教壇でうずくまるアドニスに送り、

「お前の正しさなぞどうでもいい。もう一度だけ言う、私の弟に授業をしろ」

 教卓を支えに、震える足でゆっくりと立ち上がったアドニスは、ベルガモットを睨めつけると、

「……な、なにも知らない小娘が……。では一つ問う! 貴女はその弟君を愛しておられないのか――ッ!?」


 アドニスは再び言葉を言い切ることなく、急にその場から吹き飛んだかと思うと、今度は黒板に背中を打ち付けて苦悶の声を漏らす。


 与えられたその衝撃に、口の端から唾が飛び散る。


 崩れ落ちたアドニスは、犬のように四つん這いになり、吐き出された酸素を求めて、舌を出してあえぎ始める。


「身の程知らずが、私のシトへの愛を疑うだと……? 万死に値する」

 アドニスの言葉に、ベルガモットは彼が入室してから初めてその姿勢を変えた。


 彼女は右手を壇上で咳き込むアドニスに掲げるが、

「ベルやりすぎだよ。シトが怖がっている」

 立ち上がったヴェレイラが、その手をそっと掴んで下ろした。


 シトラスは怖がっているというより、姉の凶行にさすがに引いていた。

 ミュールとブルーにいたっては、ドン引きである。


 シトラスは席を立ち上がると、壇上でいまだ倒れ伏すアドニスに駆け寄った。


 弟の背中に向かって自己答弁に走る姉を放っておいて、彼女も壇上へとその大きな歩幅で詰め寄る。


 シトラスと共に、いまだ地面に伏すアドニスが立ち上がることに手を貸した。


 咳き込むアドニスの背中をさするシトラスを視界に収めつつ、ヴェレイラは、

「アドニス先生、ですよね? なんで勇者科を閉講されたいのでしょうか? 私たちはただ大切な家族にまともに授業をつけて欲しい、と言っているだけですが?」


 息も絶え絶えな様子でヴェレイラの質問に答えるアドニスは、

「ハァハァ……。不動の巨人デイダラボッチ。ハァ……。簡単なことだ。私は、この先に起こる悲劇を、一つでも多く、防ぎたい」

「……悲劇?」

「そうだ。私はこれ以上勇者を――悲劇を生み出さないために、そのために、そのためだけにッ! 勇者科の教師になったのだからッ!」


 アドニスの発言は、ひどく矛盾を孕んだ発言であった。

 シトラスの背後で、ベルガモットが不思議そうに眉をひそめる。

 

 ヴェレイラも不思議そうに質問を続けた。

「貴方は元勇者だとシトから聞いています。そんな貴方が、勇者を生み出さないために、勇者を生み出すことを目的とした勇者科の教師に……? おかしくないですか……?」


 矛盾。


 勇者を育てることを目的とした専門課程で、勇者を育てないことを目的とする元勇者だという教師。


 ヴェレイラの言葉に対して、突如目を剝いたアドニスは唾を飛ばしながら叫び出す。

「おかしいのはこの国だッ! いや、おかしくなってしまったッ! 王と勇者によって!」

「アドニス先生。あなたはいったい何を……?」


 その叫び声は、もはや一人の男の慟哭であった。


 アドニスはシトラスの手を振り払い、両手を天に掲げるように突き出す。

「私は知っている! 私はこの目で見てきたッ。この耳に残してきたッ。この肌に刻んできたッ。この国の闇をッ、深淵を……ッ!」

「な、なにを……?」

 背中をさすり続けたミュールだが、アドニスの錯乱した様子に狼狽えて、その背から手を離した。


 ぎょろりとアドニスのその黄色の眼だけが動いて、天井を見上げた。



「――勇者など生み出すべきではなかった」



 振り絞るように、呪詛のようにその言葉を吐き捨てると、アドニスは白目を剥いて気を失った。

 ヴェレイラは慌てて、糸の切れた人形のように崩れ落ちるその体を抱きとめるのであった。

 

 




 しばらくして起き上がったアドニスだが、その後の話し合いでも、彼はかたくなに勇者科の閉講に拘った。

 しかし、先ほどとは違い感情を高ぶらせることはなく、それまでの気だるそうげなアドニスに戻っていた。


「せめて理由をもう少し話して頂けませんか?」

 とヴェレイラが尋ねると、

「はぁ、それもちろん……。私としても話したいのはやまやまなんですが、はぁ……」


 アドニスは続けて何かを喋ろうと口を開ける。

 その口はパクパクと開閉するだけで、その口から言葉が発せられることはなかった。

 その不思議な光景をみて、シトラスは入学式でネクタルが新入生に対して行使した魔法を思い出していた。

 

 ベルガモットもアドニスの様子に心当たりがあるのか、いささか不快そうな口ぶりで、

「それは契約魔法か?」

 首を縦に振ったアドニスは、

「はぁ、お察しの通りです。効果は単純なものです。契約内容に守秘義務があり、私は守秘内容に触れる言葉を口外することはできません。はぁ……。これさえなければ、もっと直接的な手段も取れたのですが……」


「それは勇者になった影響ですか?」

 というヴェレイラの質問に対しては、

「……」

「なるほど。今のは言葉がなくてもわかった」

 沈黙で答えるアドニスをベルガモットは鼻で笑う。


 ある種の諦観の表情を浮かべながらアドニスは、

「はぁ、この国には闇が多いんです……。私もあなたたちのように純粋に勇者に憧れた口ですので……」


 ――後輩には同じ思いをして欲しくないんです。


 言外に含まれた言葉を察したミュールは、バツが悪そうに視線を下げると、

「いや、まぁ俺たちも純粋ってわけじゃあ……。こいつの付き添いみたいなもので……」


 ミュールの言葉に反応して、アドニスは初めて力強い視線でミュールを捉えた。

「ならいっそう止めておいたほうがいいでしょう。借りものの気持ちでなれるほど、勇者は甘くはありませんから」


 その後の会話も平行線を辿り、一度お昼休みを挟んだのちに話は再開された。


 話は次第にお互いに妥協点を探す方向にシフトした。

 勇者科を無条件で廃止するのではなく、条件付でと。

 その条件を勇者科の生徒が達成できなければ、閉講やむなしと言った具合である。


 アドニスは渋い顔を見せたものの、これを了承。


 それが認められると、次は条件の落としどころである。

 それならばと、魔闘会の優勝、対抗魔戦の優勝、魔法試験の総合成績一位などを要求するアドニス

 その要求に対し、私たちがいる時点で行事での優勝は不可能であり、もしもその条件を譲らない場合、八百長が発生する事態となるがいいか? というベルガモットの回答に、アドニスは自身の発言をすぐさま撤回する。


 アドニスは自身の経験、信念からあくまで勇者科を廃止したいだけで、前途ある若者の未来を奪いたいわけではないのだ。


 話を深めていく中で、次第に双方の妥協点が見えてくる。

 アドニスが勇者科の誰かが魔闘会の上位四名と言えば、ベルガモットは魔闘会と対抗魔戦の本選へ全員出場と返す。


「はぁ、全員が対抗魔戦と魔闘会の本選の一回戦突破。ただし、対抗魔戦は勇者科の四人の中でチームを組むこと。その代わりに、魔法試験では不可なし、というだけでいいです。はぁ、これが私の譲歩できる下限です。これが達成されれば、来年の話をしましょう」


 アドニスの最終提案にベルガモットは少し逡巡する。

 その類まれなる頭脳はその条件が十分達成可能であることを導き出した。


「……いいだろう。学園の歴史で見ると二年生であれば、いずれかの本選に出るだけでも快挙なのだがな」


 アドニスはベルガモットとヴェレイラへ苦笑いを浮かべると、

「貴女たちが言うと、説得力がありませんね」


 上級生の二人は、これに何も言わずただ肩を竦めるのであった。


 ベルガモットがシトラスへ振り返ると、

「――ということで、シト。そしてお前たちは、全員が今年の対抗魔戦で魔闘会の本選に出場して、一回戦を勝ち抜く必要がある。話は聞いていたとは思うが、一人でもこの目標を達成できないと全員の今学期の専門課程の成績は不可となり、今年度で勇者科は廃止となる」


「シト大丈夫か? 特に魔闘会。お前の実力じゃ、あたッ!?」


 心配そうにシトラスの様子をミュールは窺う。

 ミュールは次の瞬間、突然その首を仰け反らせると、額の中央部を両手で抑えた。


 シトラスの目にはミュールが首を仰け反らせる直前で、一瞬何かがミュールに向かって横切っていったのが見えた。

 その発信源に視線を見ると、体から魔力オーラをまき散らすベルガモットの姿。


 一年生のときに、シトラスは頭部に受けた衝撃により、ある日から人の魔力をオーラとして視認できるようになった。

 その彼の目には湧水のようにベルガモットから溢れでるオーラが、教室を覆い尽くすのが見えた。


 シトラスのように魔力が見えているわけではないが、教室を覆うまでの濃密な魔力に、ブルーは顔を真っ青にして口を抑える。

 彼女は乙女の尊厳を死守していた。


 不快そうに声を発したのはベルガモット、

「シトに生意気言うな。……もしも、万が一にでも、お前がシトの足を引っ張ったら……わかっているだろうな?」


 その指は少し離れて立つミュールに対して、デコピンを放った形を取っていた。

 空気を弾いて、遠隔デコピンをしたようである。

 ミュールの額を見ると一点、中央部分が赤くなっていた。


 それを涙目でさすりながらミュールは、

「わかっているよ……」

 と力なく言葉を返した。


 ベルガモットから漏れだす魔力に、ガタガタと身体を震わすブルーには、一瞥をくれただけで何も言わない。

 その様子から彼女には今の脅しで十分だと判断したのだろう。


 終始無言のメアリーであったが、いつの間にかその端正な顔を凶暴に歪め、笑っていた。


「……お前はやりすぎないようにしろ」


 学園行事には関わりが薄く、興味もあまりないため何も知らないアドニスを除くと、この教室内でメアリーの実力を疑う者は誰もいなかった。


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