人神連理
ダメダメ。ダメダメ。駄目だよ駄目。
史織が辟易していることに気がついたのか、薫は話題を変えた。
「お昼食べよっか!ナポリタン買ってきたよ」
約束どおりだな、と史織は背筋を伸ばして薫の手元を見る。カッカと真っ赤なナポリタン。その鮮やかな赤を見て、自分がそれを好んでいたことを、ほんの薄っすら思い出した。自分はこれを親と姉と、食べたのだろうか。
美味しいものを食べたいという欲求が久々に湧き上がる。生命活動を維持するためだけではない、喜びのための食事。
薫が蓋を開け、プラスチックのフォークを取り出す。自分の弁当の蓋も開けると両手を合わせた。
「じゃ、いただきま〜す」
史織は恐る恐る赤々とした麺を口に含む。しょっぱい。美味しい。
ああ、ちゃんと美味しいんだ。
うんと美味しくて、嬉しい気持ちで胸が詰まって、涙が滲む。
私はまだ人間でいられる。
不思議とそんな感慨に浸る。
私はまだ、姉の前に、妹としていられる。
奇妙な考えだが、史織の置かれている状況を鑑みればそれほど突飛な思考でもない。史織はやはり、神の眷属である以前に人間でいたいと思っている。
夢中で口に運ぶが、長いこと録な食事をしていない身体だ。結局、史織はナポリタンを全部食べきれなかったが薫はそれを責めたりはしなかった。
昼食を終えると、薫は容器をレジ袋に詰めながら、近所で起きている怪事件についてポツポツと語る。
どうも、近所の保育園の昼寝の時間や夜に家で寝ている子どもたちが泣き叫びながら起きることが頻発し、親たちの悩みのタネになっていると。夢の中で『ぐだーき』だとか『あーきー』だとかが出てくるのだと口々に話すが、何が怖いのかまでは、子供ということもあり、うまく説明できないということだった。
「多分、子どものうちの誰かが見た怖い夢を言いふらして、影響を受けちゃったんだろうね」
冗談めかして笑う薫とは対照的に、史織はその響きにゾッとする。
ぐだーき。あーきー。
史織はよく似た響きを知っている。
子どもたちは『グラアキ』、もしくは『グラーキー』と言いたかったのではないか。
夢を介して精神と肉体を乗っ取る怪物。今まさに、子どもたちを歯牙にかけようとしているのではないかと。
それがあり得ない考察ではないことを知っている。
「なんか洒落怖みたいだよね。まさか地元でこんなことになるなんて」
姉はちょっとした珍事としか思っていない。史織は自分の抱える秘密の大きさを突きつけられ、明かしたところで気が触れたと思われるだけだと分かっていても、知り得ること全てをすっかり話せてしまったらどんなに心が軽くなるだろうと思った。
「あ、そうだ。これ見てよ~」
史織が話に食いつかないので、薫は別の話に切り替えた。前髪を留めていたヘアピンを外しながら
「これ自分で作ったの〜かわいくない?」
と、桜型の石のような飾りのついたヘアピンを史織に見せる。
「どう?レジンってやつ」
史織は先程の話のショックで気分が悪かったが、姉に余計な心配をかけさせまいとなんとか取り繕った。
「いいと思うよ。綺麗。お姉ちゃんっぽい」
表面はカットされた宝石のような多面系で、その奥に何か文字のようなものが入っていることに気がついた。
「なんの模様?」
「あ、これ、イニシャル入れたらおしゃれかなって、英語パーツ入れたの。なんか思ったようにならなくって……」
薫は恥ずかしそうに苦笑いを浮かべる。
「ね、シーちゃんもこういうのやってみない?手芸ってさ、外に出なくてもできるし、なんか創るのって良いって言うじゃん?」
「何が良いの?」
「んー……わーかんない!」
なにそれ。史織は笑いながら、いつの間にか先程の暗い気持ちを忘れて、姉との楽しいおしゃべりに花を咲かせた。
レーコはクローゼットの中で、ジリジリとした焦りとも怒りともつかない気持ちをどうしようかと決めあぐねていた。
史織が楽しそうなら、自分は嬉しいはずなのに、史織が姉と楽しげに話しているのがひどく悲しかった。
自分でもなんなのか分からなかったが、悪い感情だと思って、いくら否定しようとも所詮邪悪な存在に連なる者なんだと自己嫌悪し、暗闇の中で鬱屈する。
気を紛らわすように枕に顔を押し付けながら、レーコは一番嫌いな奴とのことを思い出す。
……死にたくないと言ったのはお前じゃないか。どうして何でも嫌がるんだ。
そんな言葉を掛けられたのがいつのことだかは分からないし、どうでもよかった。
……なんでお前は、自分が一人ぼっちだなんて拗ねるんだ。なんで、オレのことは見ないようにするんだ?
きっと奴は、見え透いていたのにワザワザ尋ねたのだろう。それとも、レーコ自身に分からないことは、奴にも理解できなかったのかもしれない。
レーコは、今の自分が嫌いな奴と重ねられることに気がついた。今の史織がかつてのレーコだった。
生きるために契約し神の眷属となった分際で、まだ人間でいたいと願い、そうあるように振る舞っている。
奴の存在がレーコの孤独を埋めないように、レーコの存在は史織の孤独を解消しない。
レーコは僅かに、自分を苦しめる化け物の心を理解しそうになって、必死にその思考をグチャグチャに乱す。
化け物の心を理解したら、本当に化け物じゃないか!
記憶の奥に仕舞い込んでいた痛々しく憎たらしい記憶をほじくり返して、自分と残虐な化け物とを隔絶する。
木の扉の向こう側で、屈託なく笑う声を聞きながら、レーコは声を殺して泣いていた。
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