第34話 これまでとそれからと

 訪ねてきたのはウォーレンの親御さんだったよ、とバーナードがコンラッドに告げた。「ああ」と、言葉少なくコンラッドは頷いてみせる。

 そのやりとりの後に、バーナードはいつもよりやや早口で話し始めた。


「『戦地での思い出を語れ』は大嫌いだけど、記録を参照したいと言われたのは、それならって感じで、俺もその心積もりはあったから……。それで、一緒に記録を見ているうちに、戦地で通信機器や録音装置を触っていたことも思い出したんだ。そのへんの開発事情には、わりと詳しいつもりだ」


「人数少なくなって、なんでもやってた頃だろ。救援こないのかって要請したのに、全部蹴られた件とか、あのへんだよな。あれはひどかった」


 打てば響くように合いの手を入れる、コンラッド。

 すぐに話題は「『歌姫』の歌声を録音してレコードに収めて、王宮に買い取らせれば良いのでは?」という核心に至った。


 バーナードから「歌姫として、人前で歌いたい気持ちはある?」と確認をされる。チェリーが「ひとの役に立ちたい気持ちはありますが、この先ずっと歌姫として振る舞いたいとは思いません。私は姉とは違う人間です」と正直に答えると、「わかった、君が無理をする必要はない」とバーナードは請け合って、続けた。


「『戦勝パーティーの場で、参加者に感動を与えた奇跡の歌声!』を、王宮側がタダ同然で各種行事で利用したいってのは、俺もコンラッドと意見は同じで、まったく同意できない。だけど、顔出し厳禁の歌姫のレコードを、王宮がチャリティーの一環として買い取って、希望先に配るのはありなんじゃないか?」


 なるほど、とコンラッドが頷く。


「蓄音機のある施設はいまは限られているが、それならってレストランやパブで導入の弾みにはなるかもな。それが客にウケるなら、同じことをしようって後に続く企業も歌い手もいるだろう。裾野が広がれば、芸術面での事業が勢いづく」


 二人の話を、チェリーは一言も口を挟まぬまま、聞き漏らさぬよう真剣に聞いていた。コンラッドがちらっと視線をくれて「ついてきてる?」と尋ねてくる。


「歌を録音して、王宮に買い取ってもらうのはわかりましたが、王宮は金欠なのでは?」


 その質問には、バーナードが即座に答えた。


「言うほど金欠ではないと思うけど、ひとまず買えるだけ作れば良い。無料で提供はしないが、良心的な価格を設定する。歌姫のレコードに関しては、王宮御用達でよそには卸さないということで、プレミアもつけられる。そのくらいの事業なら、出資の目処はつけられるから、うちの直営でやってやれないことはない」


「バーナードさんが、レコードの会社を作るという意味ですか?」


 ん? とチェリーが首を傾げて聞き返すと、横でコンラッドが笑い出した。


「こいつの考えてることなんか、すぐわかる。自分が一番欲しいんだろうよ、チェリーさんのレコードを」

「頭の中が見えているのか? その通りだ。余剰在庫になるくらい作って、全部手元に置いておきたい」

「それは事業とは言わねえな」


 冗談のように笑い飛ばしてから、二人の間で具体的な金銭の話題が飛び交う。バーナードが「近々きんきんで相続が発生するかもしれなくて……」と言ったところで、キッチンの裏口に現れ、途中から会話に耳を傾けていたヘンリエットが発言をした。


「リスター伯爵家から『当主は持ち直したので、すぐに来る必要はない』という電報が先ほど、追ってきました。そして、領地に来る用事があれば、次はノエルも連れてくるようにということです」


「それは、ノエルを引き取りたいという意味でしょうか?」


 驚いてチェリーが聞き返すと、ヘンリエットは気難しげな顔をして、息を吐き出した。


「可能性は高いですね。厳格な家風ですが、悪い家ではないですよ。ただ、ノエルはまだ小さいのですから、家族と引き離すのは良くありません。どうしてもと言うのなら、ご自身の認める家庭教師を手配してこちらまで派遣するようにと、父には伝えましょう」


 早くも、父親とやりあうつもりでいるらしい。チェリーは、父娘の関係を思ってハラハラとしてしまった。

 やりとりで何があったか察したらしいコンラッドが「どうなんだ? あてが外れたなら、俺が出資してもいいぞ?」とすかさずバーナードに声をかける。


「文化事業に投資するのは、俺も賛成だからな。音楽は言語もあまり関係ない。好評なら、というか間違いなく好評だろうから、周辺国に配って次の大戦の抑止力にするのも良い。『歌姫』の国に爆撃を降らすわけにはいかないとか、そういう……」

「それはそうだな。確実な抑止力になる」


 粛々と話を進めていく二人へ、チェリーはさすがに引き気味になりながら「あのー……」と呼びかけた。


「大変な、身内びいきといいますか、自己満足事業の気配が……。私のレコードを、他国に配る? 大丈夫なんでしょうか、それは。押し付けられた側が困りませんか?」 


 もっともな意見を言ったつもりであったのだが、コンラッドは「あの歌声なら大丈夫だ」と断言し、バーナードに至っては「もし万が一余るなら、俺が全部引き取る」とあまり意味のないことを力強く宣言していた。


 こうして、音楽会社事業の立ち上げがその場で決まり、後日王宮からの使者が本当にアストン家に来た際には、その線から譲らぬ交渉となった。


 「歌姫」は、王宮お抱えとして行事のたびに要請を受けることはない、それ以外の場でも人前で安く歌わない。それがレコードの価値を高めるという説得に、ついには王宮側も折れて同意をすることになる。無論、コンラッドの尽力が大きくものを言った形だ。宮廷内の彼の反対勢力からは「公爵自身が投資をしている事業だから、ずいぶんと肩入れしているらしいぞ」と反発も中傷も相当数あったとのことだが、コンラッド自身はどこを吹く風といったところ。「俺は権力者なのだから、この先の時代に必要と判断したことには遠慮なく手出しをするさ」と、うそぶいていた。



 * * *



「お祖父様が持ち直したといっても、いつどうなるかわからないご年齢なのは間違いないから、喪に服す前に結婚式をしておこう」


 実際的な考え方のバーナードがチェリーにそう切り出したのは、夜会の夜から数えて三日後。

 ノエルもキャロライナも熱が下がり、チェリーの部屋から自分の部屋へと戻っていった日の夜のことであった。

 月が出ているからと、食後に二人で裏庭を散歩していたところで、実り始めたかぼちゃを踏まぬよう注意深く歩きながら、チェリーを振り返って言ってきたのだ。


「結婚式、するんですか? 私とバーナードさんは、もうかなり以前から夫婦という触れ込みではないですか?」


 きょとんとしてチェリーが聞き返すと、バーナードはにっこりとした満面の笑みでこたえた。


「身内だけの小さなものにはなるけど、こういうのはきちんとしておいた方が良い。君は、今後公的な場では歌わないことを宣言したわけだが、家族だけの席なら良いんじゃないか。ノエルを伯爵家の籍に入れる手続きをするにあたり、君も『本当のお母さん』について少しずつ話すつもりなんだろう?」


「綺麗なドレス姿で、ノエルに歌ってあげたら、という意味ですか?」


「一番見たいのは俺だよ、そのドレス姿を。ノエルの前に」


 少しだけ悲しげに主張されたものの、チェリーの頭の中はすでに、ホームパーティーはいかにすべきかで忙しい。


「コンラッドさんは呼びますよね? 忙しくて無理ですか?」

「あいつは俺が『俺の祝い事だから来い』といえば、どんなに忙しくても百万本のバラの花束を抱えて来るタイプだ。間違いない」

「花瓶……」


 大体売り払ってしまっているけど、百万本のバラには対応できるかな? と不安がよぎる。だが、気の利くコンラッドのこと、花束をあらかじめ花瓶につめて持ってきてくれる方に賭けておこう、と思った。それにしても百万本は、多い。

 チェリーは、さらに踏み込んで尋ねた。


「アンドリューズはいよいよ、しめますか?」

「かわいそうだから、もう少し生かしておこう。俺は、毎朝あいつの顔を見るのが最近の趣味なんだ」

「いつの間にそんな友情を」


 チェリーが知らない間に、ずいぶん仲良くなっていたらしい。

 いつかはパイにすることになるのだけど……とチェリーは胸の中で呟いていたが、アンドリューズは結局のところ、それから先ものんびりと生き続けて、ときどき脱走して屋敷の中を走り回って過ごし、天寿を全うすることになる。


「ところで。アンドリューズとジュネヴィーヴの間にも、卵が産まれ雛がかえっているわけだが」

「かわいいですよね! 成長早いから、すぐに若鶏として活躍の機会がきますよ!」


 食卓で。

 腕をふるいますよ、とチェリーが意気込みを伝えたところ、バーナードは大変遺憾であるという顔つきになってしまった。


(まあ……。ひよこたちが可愛いのはわかりますけど、チキンはチキンですよ?)


 心の中だけでほんのり反論していると、バーナードに真面目くさった顔で見つめられた。


「いまのは俺が悪かった。鶏の繁殖から雰囲気を作ろうとしたのが、無理筋だった」

「雰囲気を作る、ですか? それ、なんの話をしています?」


 ここは真面目な場面らしいと、チェリーも真剣に聞き返す。

 バーナードは腕を伸ばすと、やにわにチェリーを軽々と抱き上げた。


「もし、結婚式の後でと言われたらそれまで待つつもりはある。そういった区切りが必要かもしれないと、それ込みで式の提案をしているんだ」


 白々と輝く月を背に、顔をのぞきこんでくる。

 見つめ返しているうちに、段々と事態を把握して、チェリーは頬に血を上らせた。


「つまり、寝室を一緒にという意味の話をしていますか?」

「もう一声欲しい。君の場合、全部はっきり言っておかないと『部屋は同じです』と、ソファとベッドに離れて寝ることになりそうだから」


 完全に退路を断つ用意周到さで尋ねられ、チェリーは硬直しながらも「わかりました……。もうかなり以前から夫婦なわけですから、一ヶ月待ってとは言いません。今日からでも」とかすれ声で答えた。

 バーナードはほっと息を吐き出し、「それじゃ、戻るか」と歩き出す。チェリーを抱えたまま。


「えっ、えっ、大丈夫ですよ! おろしてください! 歩きます!」

「いや、離さない。絶対に離さない。初めて会ったとき、君に逃げ出されたこと、俺は忘れていないからな」

「もう逃げませんよ、逃げる理由ないですから!」


 ふと、二人でわあわあ言い合っていた声が途切れた。

 チェリーを抱きしめて、その唇を奪ってから、バーナードがにこっと間近な位置で微笑む。耳元で、俺の好物はチェリーパイだな、と呟いた。

 瞬間的に、チェリーはバーナードの腕の中で暴れて、地に足をつけた。


「だからそういうのは、もういいですから! さっさと忘れてください!」

「チェリー、声はもう少しおさえて。君の声はよく響くし、いまはもうみんな寝ている時間」


 バーナードに言われて、チェリーはぐぐぐ、と言葉を飲み込む。

 それから「早く行きましょう」と声をひそめて言うと、バーナードの手に手を伸ばした。


 月明かりの中で、バーナードはやわらかく微笑み、チェリーの手を握り返した。

 

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