第9話 居心地の良い場所
「お、もう起き上がれるとはすごいね」
片手にカップが載ったお盆を、逆の手には丸椅子を持った30歳半ばぐらいの男性だった。足元には先ほどベッドサイドにいた黒犬が付いているので、多分、この黒犬が男性を連れてきてくれたのだろう。
彼はそのまま室内へと進んでサイドテーブルにお盆を置き、丸椅子をベッドサイドに設置する。
「体調はどうだい?
まだ痛みはあるだろうし気分も悪いかもしれないけれど、まずは水をどうぞ」
その声は俺が倒れた時に聞いた声と同じ声だとすぐに気づいた。
水が入ったカップを渡される。そこで初めてのどが渇いていることを意識した。
受け取ってすぐに飲み干したくなったが、まだ体調がどんな状態なのか把握しきれていないので、まずはゆっくり少なめに一口含んで飲み込まずに様子を見る。数を3まで数えて拒否するような感触はないので、そのまま飲み込んで息を吐く。
幸い内蔵などにひどい影響はないようだ、嚥下で咽喉が痛む様子もない。
「それだけ落ち着いた様子なら、ひとまず大丈夫そうだね」
俺が慎重に体を確認しながら水を飲んだ様子を見て安心したようだ。人懐こさを感じる笑みでうんうんと頷いている様は俺より年上なのにどこか愛嬌がある。
「さて、色々と話をしないといけないかなと思うんだけど。
まず、俺はアルベルト、この“踊る小鹿亭”の主だ」
丸椅子に腰を下ろし、俺の顔を見て言葉をつなぐ。
「君はシュバルツの森の外れで倒れていたんだよ。見つけたのはバロンのお手柄」
その言葉に合わせてベッドに両前足をのせた黒犬がバロンだ。お手柄だったでしょ?と言いたげな表情が少し人間臭くて初対面なのに親しみを感じる犬だった。
「そうか、ありがとうバロン」
軽く頭を下げる仕草に合わせて、バロンが上半身を伸ばすようにして俺のおでこに自分のおでこをこっつんと付けた。
少し硬い獣の毛が額に触れてもぞもぞとしたせいでか少しのくすぐったさような違和感を覚えたが、すぐにアルベルトがバロンの身体を俺から引き離して床に降ろす。
「こら、彼は怪我人だ。少し大人しくしなさい。
そうだ、フィルとロゼリアに彼用のスープを用意するよう伝えてきてくれるかい?」
「わふっ」
尻尾を一度大きく振って、すぐさま早足で部屋を出ていく。まるで人の言葉がわかっているような動きだ。
「アルベルト、貴方にも感謝を。
俺はレオンハルト、ネルフェリア竜王国のギルドに所属する冒険者だ」
そのあとは時折水を含みながら討伐依頼のことなどをかいつまんで話し、しばらくはここでゆっくり休んだほうがいいというアルベルトの勧めに従って再び眠りに落ちた。
正直、あまりにも体力も魔力も削ぎ落されていて、死にかけていたと思う。
そう表現するぐらいひどい状態だったがアルベルト夫妻と一人娘だというフィランゼが根気よく食事や睡眠などに気を配ってくれたおかげもあり、数日でベッドの上に起き上がれる程度には魔力バランスが回復した。
正直、魔力暴走しかけるほどに魔力バランスを崩したら、こんなに早く落ち着くことは珍しい。自分でもかなり驚いている。
俺は小さい頃から体のサイズより魔力量が多くてバランスを崩しやすかったのだが、今までこんなに早く穏やかに落ち着いた記憶はない。
しかし体力もかなり消耗していたし、大きな傷はなかったとはいえそれなりの怪我はしていたので、すぐに体調が戻る訳ではなかった。それでもアルベルト家族が献身的に面倒を見てくれたおかげで魔力バランスが安定し始め、体力も無駄に使うことが無くなり、一か月ほどで部屋の中を動けるまでに回復した。
さらに半月ほどで剣を振るい中級程度の魔法を扱っても問題ないほどに回復し、肩慣らしにバロンを連れて近隣の獣(晩飯のおかずともいう)を仕留めたり、薪割りや畑仕事なども難なく出来るようになり、この宿での生活をかなり満喫して過ごしていた。
正直、依頼主からの伝令さえこなければ、ずっとそのまま過ごしたいと思うほどに居心地の良い暮らしをしていた。
=====
思い出がゆらりと揺れてふうっと薄まって、今この時に意識が戻る。
結局二年前の討伐案件は、俺の報告内容と現地調査の後にA級案件ではなくS級案件に昇格されたぐらいだ。おかげでこの案件の報酬はかなり増額されたことは喜ばしかったが、S級案件を一人で処理した冒険者がいると評判となってしまい、あちらこちらから様々な面倒ごとが持ち込まれてしまうようになった。
苦い思い出に繋がってしまった気分を流し込もうと酒を口にするが、あまり気乗りしない。飲んでも気晴らしにならないなら、寝る方がいいな。
ベッドに行くか。そう思ったところで、膝上の重みと小さな寝息に気付く。撫でられて心地よかったのか、いつの間にかバロンが寝ている。
「まったく、お前は変わらないな」
うっすらと苦みも有るが、それでも気持ちが穏やかになる感触を覚えながらバロンを抱き上げ、足元のラグの上に寝かせてやる。
一瞬目を開けたようにも思うが、そのままころんと寝返りを打って丸まる。
「おやすみ」
そう告げて、俺もベッドにもぐりこんだ。
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