第8話 二年前の記憶

「くぅん」


 物思いにふけったせいかバロンを撫でる手が止まっていた。

 ちょっと不満そうに、もっと撫でて欲しいぞと鼻づらで俺の手のひらをつつく。悪い悪いと軽く背中を叩いてから、再び毛並みにそって背中を撫でてやる。

 そういえば、あの時もバロンが俺の頬をつついていたな。

 急速にまた二年前の記憶が溢れてくる。


=====


 魔力暴走手前まで魔力を注ぎ込んで作った魔法でぶったぎった魔獣はこと切れたが、俺もまた意識はかろうじて残っていたがとてもじゃないが動けなかった。


 辺りは魔獣と俺の魔法が激突したせいだろう他に危険度の高い獣たちはいなかったが、さすがにここで気を失いでもしたら死にかねない状況だった。ただ気力体力魔力の全部を使い果たしていた俺は、どうしたらいいかと考えることも、何らか助けを求めるような次の手を打つことも、出来なかった。


 ああ、くそ。と思ったのは覚えている。そのまま体が大地に倒れたのも覚えている。


 こんな状態になってしまったこと自体には悔しさを覚えたが、魔獣を討伐出来たことは周辺への脅威を考えれば良い仕事をしたと思えた。

 そんな鈍い意識が浮かんで消えて、時折走馬灯のように昔の記憶も浮かんできて、これはマジでやばいかとうっすら思った頃、頬に湿り気の有る何かが触れた。


 最初はツンツン。その次はベロンッ。ハッハッハッという荒い息も頬に感じた。

 うっすらと目を開ければ黒い何かが視野に収まったが、何かはわからない。一瞬魔獣の類いかかと疑ったが、それならもう殺されているだろう。


「わん、わんっ!!」


 黒い何かがふっと視野から外れ、大きめの犬の鳴き声が聞こえた。どうやら俺のそばにいるのは犬らしい。と、人の手のようなものが俺の口元、続けて首筋に触れる感触にびくんと身体が反応した。


「息は有るね、見たところ大きな外傷はないようだし、この状況から考えるとよほど強い魔法を使ったようだね」


 突然傍らで低いけれど聞きやすい穏やかな男の声がした。

 腰の剣帯を鞘ごと外される感触にくぐもった声を上げるが、悔しいことに体が動かない。


「大丈夫、このままじゃ君を運べないから剣を収めるだけだよ」


 そう答えを渡された次には、筋肉疲労による硬直か右手に握ったまま外れずにいた剣が丁寧に指を開かれて外された。本当に言葉通りになるのか少し焦るが、身体はほぼ動かずに言葉を発することも難しい。


「お手柄だ、バロン」


「わんっ!」


 そこで我慢の限界が来たのか意識が一気に黒くなり、どっぷりとした深い黒い闇に全ては塗りつぶされた。


 次に気づいた時は、素朴な木で組まれた天井がぼんやりと見えた。すぐに意識がはっきりとはしなくて、ぼんやりとした視野を左右に向けた。


 晴天のおかげだろうきらきらとした日光が窓際に溢れているが、薄手のカーテンが程よく遮ってくれているので室内がよく見えるが眩しくは感じない。


 素朴な家具で整えられた、あまり広くはない部屋。そこで初めて自分がベッドの上に横たわっており、体の傷には包帯が巻かれていて、丁寧に手当てされていることに気づいた。ほんのりと包帯の下からは薬草の香りがしている。


「――っ」


 左腕をついて体を横に向けて、腕を支えにゆっくりと体を起こそうとするが軽い痛みが体のそこかしこに走る。思わず小さな声が上がった。


「わんっ」


 と、ベッドの下から犬の鳴き声がする。視線を向けると、小ぶりな中型犬ほどの黒犬がお座りをして俺を見上げていた。その傍らのサイドテーブルには、俺の剣が鞘に納められた状態で立てかけられていた。


 じっと剣を見ていると、犬はわずかに空いていたらしい部屋の扉へ体をするっと滑り込ませて、外へと出て行った。なんとなくその姿を見送ってから、さらに体を起こしてみる。


 あちこちに鈍い痛みはあるが動かないほどではない。ゆっくりとした動作ながら体は動く。両足を床に降ろしてみる。


 腕を伸ばせば剣まで届いた。きちんと鞘に収まっている。鞘も魔獣の血で汚れていたと思うのだが、すべてきれいに落ちていた。心身の疲れのせいか重く感じる鞘と握りに左右の手を添えて、緩い動作ながらも鞘から剣を抜く。


 ありがたいことに刀身の血糊も綺麗に拭われている。鞘が綺麗になっていたので大丈夫だとは思ったが、やはり自身の目で見ないことには落ち着かなかった。さすがに刃こぼれしている部分はあちこちにあるが、これは後で武器屋に持ち込めばいい。

 ゆっくりと鞘に戻しているところで、扉がノックされて返事より先に開かれた。

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