時にグリッジは公然と流用される


 想定外の一撃を受け、諸々の予定が崩れ去った『愛悦を聾する蜺の珠エインガナ・オルク』ではあったが、だからと言って今更行動を変えることも出来ない。

 後半身が軽くなった事もあり、勢いのままにソワラへの突撃を慣行する虹霓竜。


 事ここに至っては、最早一刻の猶予もない。勢いのままにこの激流へと身を投げ出す他、虹霓竜に選択肢は残ってはいないのだ。半ば破れかぶれに荒れ狂い、せめて一人は喰らい殺さんとその巨大な顎をかっぴらく。


 まるで断頭台のギロチンの如き顎を、迎え撃つは剣客一人。


 守りを一手に引き受けていたクリフが攻勢に回った以上、各々ここからは独力で凌がねばならず、それは一身に敵愾心ヘイトを買ったソワラも変わらぬ事。

 たかが剣士、本業誓約召喚者ウォーロックには些かどころか荷が重いが、さりとてやらねばそのままぱくりと戴かれてしまうだけ。


 無論、横槍を入れようと思えば一行の面々であれば可能だろう。またそれを、虹霓竜の側も考えなかったと言ってしまえば嘘になる。


 而して、虹霓竜の側には今さら感漂う惨状であるだけでなく、警戒することに裂く労力も無い、という最大の問題点があり。

 それに対する一行も、最悪ここで落ちても帳尻が合う計算にはなっている為、積極的に手を出そうとは考えず。


 結果として、場末の酒場でも演じられない様な素っ頓狂な決闘が、ここで発生したのであった。



 それは、一拍にも満たない様な刹那の交錯。


 動きの速さで先んじたのは虹霓竜。ぐぱりと開いたその顎を、残像すらも掻き消すほどの速度で以って、火花が散るほどの咬合を見せる。

 瞬間、容易く柘榴の如く張り裂けるソワラの肉体。いくら何でも専業術者スペルキャスターの肉体に、竜種の噛み付きを防げるほどの耐久性など在りはしない。千々に斑に、虹霓竜の極彩色の身体を赤色で染め上げたソワラ、さしもの彼も手も足も出ず、早くも二度目の無駄死にか。


 等と、一行の面々が思っていたかは定かではないが、一つ解る事があるとすれば、それは。


 虹霓竜が、ソワラの身体を噛み砕いたその直後、夥しい量の血を、その咥内から吐き出したという事だけだ。


 

 確かに、動きの速さでは虹霓竜が優っていた。而して、の時点で先手を取っていたのはソワラの方。

 迫りくる顎を前にして、一寸たりとも己が心を揺らすことなく、唯々機械の如く正確にその手に持ったメイスを振り下ろしていたソワラ。その鎚頭に込められた呪文は唯一つ、衝突と同時に爆発を生み出す『爆縮握撃インプロ―ジョン』のみ。

 ただそれだけの一撃を、而して彼我の速度差や耐久力等を計算し、寸分違わず差し込むことで必殺の一撃にまで昇華させる、彼だけが行える超絶技巧。


 それは見た目だけはいとも容易く、虹霓竜の顎を破壊して見せたのである。


 尤も、流石に攻撃位置と速度差によって、攻撃後の身の安全までは保障しきれなかったのは流石竜種と讃えるべきか、はたまた、相手が違えばここからまだ生還出来得たソワラの技量に恐れ戦くべきなのか。

 どちらを優先するべきかは、流石に甲乙付けがたい所。

 

 

 何れにしても、この交錯の結果は相討ちと言えるのか。


 ソワラは落ちたがそれはそれとして虹霓竜も甚大なる被害を受けた事、況してこの先、残る二人の攻撃を受けて生き残れるのかどうか。

 先々の事まで含めてしまえば、先の結果は相討ちとは言い難い物であっただろう。


 そも、無傷で一人落とそうとしたその魂胆が、始めから間違っていたと云わざるを得ないのだ。

 虹霓竜自身、不死性と共に再生能力も有している。それを敵手だけが持ち得ていないと考えるのはいささか早計に過ぎるというもの、事実として一度は眼前で復活して見せたのだから警戒はして然るべき。


 尤も今回の一件に関しては、幾ら警戒していたところで防ぎようも無かったのも事実ではある。


 結果どうあれ、防ぎきれる程度に損害を抑える方策は、どうしようもなく破綻してしまった以上残った選択肢等何もなく、只甘んじて賭けの結果を受け入れるより他に無い。

 

 

 その諦めを感じ取った訳ではないが、次に動いたのはラルヴァンであった。


 尤もそれは、互いの動作速度の差でしか無く、動き出し自体が虹霓竜より遅かったという訳でもない。純然たる基礎能力値スペックの差が現れたに過ぎないのだが、それがここに来て大きく戦況へと影響を与えてきた。

 もし、ラルヴァンの動きのほうが早かったとしたら虹霓竜がここまで追い込まれていたかどうか。もしも先んじて鉄剣による一撃を受けていたとしたら、続く二人の攻撃を既の処で回避できていたかもしれない。


 とは言え、仮定の話などこの場でしても致し方ない事であるし、そんな余裕はどこにも無い。



 裂帛の踏み込みは壊れぬ筈の床に大きな亀裂を入れる程、『無窮錬』に依って瞬時に高められた筋力が制御出来ずに暴れているのだ。

 一歩を踏み込むごとに身体が耐えきれずに悲鳴を上げる。火力筋力に全振りされた強化の量が、ラルヴァンの耐えきれる上限を超えているが故の事。刹那の間に満身創痍となったラルヴァンではあるが、その眼差しが虹霓竜から逸れる事は無い。


 その眼差しだけでも射殺せそうな圧を纏ったそのままに、雷光の如く剣閃が瞬く。


 『加速アクセル』の呪文に、戦士系職能クラスで習得可能な技能スキル『怒涛のアクション』。

 そこに軽戦士フェンサーとして限界まで成長したことによる主動作三回攻撃を合わせると共に、剣聖として得た補助動作での追加攻撃が二回分。


 締めて都合十一連撃、一切の加減も容赦もないそれは、正に人型の嵐の如く。

 

 ざくりざくりと、鱗が骨が肉が血が飛び散り、まるで屠畜場か何かの如く、辺り一面に血と臓物のどぎつい香りが立ち込める。


 その一瞬で、致命傷と言えない傷を探す方が難しい程、虹霓竜の身体は見るも無残な様相を呈していた。


 嵐に巻き込まれた家屋か、引き波に攫われた小舟か。


 先刻までの勇壮なる佇まいは最早欠片も見受けられず、不死性を持つが故に棺桶にその身を横たえている様な状態であっても未だに息の根までは止まってはいないだけで、神格を以てしても消滅は時間の問題かと思われる程。



 而して、虹霓竜は死なずの怪物。如何な致命の一撃であれど不死性を持っている以上、どのような一撃であれどもその命に届きはしない。


 嘗ての神話の再現の如く、水へとその姿を変えて難を逃れるも良し。或いは霧となって漂うか、はたまた雨水へと変じるか。何れにせよ、大海を起源に持つかの虹蛇に尋常の手段をもっての討滅など叶う事では無いのだ。

 


 そう、手段であっては届かないだけだ。

 尋常ならざる代物であれば、神殺しとて容易に成し得る。



 ところで、話は変わるが『人形遊びドールハウス』の呪文は術者であっても解呪は出来ない程に強固である。

 容易くは破れぬからこその拘束呪文、内外からの干渉には極めて堅固なこの牢獄は、一方的な干渉のその殆どを言下の内に遮断する。


 そう、その、だ。


 世の中、幾らでも規則の穴を突く者は居るし、穴の無い規則など作り様がない物だ。

 内外からの干渉を相互に遮断可能なこの呪文、中から中へ、外から外への干渉は、その一切に関して呪文の効果に抵触することは無い。それ故に内部での戦闘行動は可能だし、外部でも戦闘が行えているのだ。



 では、その内と外、何を以って判断しているのか。



 またまた話は切り替わるが、此処が電脳世界内の情報構造体に再構築された異世界である以上、現実からこちらに接続アクセスするには何らかの電子機器が必要となる。

 それらの通信機器の等級グレード如何で、或いは本家本元、統合管制塔群セントラルタワーへ経由する通信基地局ポータルの台数如何で基幹世界観ニュークリウスに動作が反映されるまでの時間が決まってくる訳であるが。


 が、しかし。話したいのはではない。


 いくら通信技術が向上したとて、基本的な原理原則迄そう大きく変わりはしない。況してや物がの産物。採用している方式など、カビが生え揃い手垢で地層が出来得る程には古めかしい代物だ。

 流石に通信遅延ラグなどこの時代には死語となって久しいが、さりとてその手のが途絶えぬ程度には問題もある。


 旧時代には散見された情報の誤認式もそのうちの一つ。


 嘗ての世界では、同一の中継点を経由している別々の情報機器に対してその情報を受信元が誤認して受け取る、という事もあったそうで。


 無論、現在そのような事が起きることなど万に一つもあり得ない事、情報が生死に直結する現代で、そのような取り違えは個人どころか都市の運営にすら多大な影響を与えかねない。故に、情報の正確性、とりわけ伝達に関しては何重もの安全基準が用意されているのだ。


 それを考えれば、例え同室で親兄弟と同時に基幹世界観ニュークリウスに接続していた所で、データの取り違えなど起こりはしない。



 本当に?



 ……もしも、もしもの話だ。


 二人分の接続が同時に為されていたとして、荒廃世界現実側からの情報発信座標がコンマゼロ以下まで一致していて、基幹世界観側の情報受信座標が同じくコンマ零以下まで一致していたとしたら、その二人の情報は誤認識されてしまうのか。



 おそらくだが、そうはならないだろう。

 


 個人に紐づけられた情報を基に象られた受肉体アバターなのだから、その個人識別パーソナル情報が別物である限りはどれ程情報の伝達座標を重ねたところで、個人個人の認識を誤ることなど在り得はしない。



 そう、別物であれば、だ。



 例え話だ。荒廃世界で生まれた一人の赤子、出生と同時に与えられた個人識別情報が在ったとしよう。更にその情報に、後から養育の為に人工知能生命体が紐づけられたと仮定しよう。

 その赤子が成長し基幹世界観への接続権を獲得したとして、更にはその赤子に紐づけられた人工知能生命体が同じように基幹世界観への接続権を獲得したと仮定して。


 そのが同時に接続していたならば、受信側の基幹世界観側は、それをどのように判別しているというのだろうか。


 そも、現実においては法的に人格権を保有していない一機構が、基幹世界観において公然と排斥されている鬼族ロウナスの類が、どれほどのに認識されているのだろうか。


 

 で、あるならば。



 今しもアルケの身の内から染み出る様にして飛来した一本の矢も、理屈としては説明できないことも無い訳で。


 そして、神格が保有する不死性を担保として、ギリギリのところで存在を保っていた『愛悦を聾する蜺の珠エインガナ・オルク』が再度の魔弓の一撃を受けて、敢え無くその不死性を剥奪されたが故に最期の悪足掻きすらも封じられて地に臥したのは、致し方のない事でもあったのである。


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