俺達の物語

 不思議な話ではあるが、予感はしていた。

 このような結末に至る事はまるで1000年前から知っていたかのようで、だから何故か俺はその答えを聞いてもなお心の中は凪いだ湖面のように静かだった。

 それでも、その事実は間違いなく現実であり受け入れなくてはならないだろう。

 俺は、彼女に対して告白をしてそれからフラれた――拒絶された。

 それは、間違いなく事実なのだろう。


 つまるところ、俺は過去の自分に負けたって事だった。

 それはとても嬉しい事であり、同時に嫉妬してしまう。

 自分相手だとしても、テレサの心の中に一人の男がいて。

 だから俺は今、フラれてしまった。

 彼女に思われて好かれている男がいるという事実がとても悔しい。

 いやまあ、それは過去の俺なのだけど、だけど彼女は俺が「俺」だと気づいた上で、過去の「俺」がいるからと俺の思いには答えられないと言う答えを口にした。

 つまるところそれは、俺は「俺」の思い出に勝てなかったという事であり、逆に言うと今世の俺の事を全く知らないのだから付き合うもクソもないと言う事だ。


 それはそうで当たり前だし、納得出来る理由である。

 悔しい事には変わりないけれど。

 1000年という月日、彼女は俺の事を変わらず思ってくれたという事が、とても嬉しいけれども。


 とはいえ今の俺は過去の「俺」とは違う。

 パン屋を経営していないし、将来的になろうとも思っていない。

 将来については漠然な事しか考えていない、そんなどこにでもいるような普通の高校生。

 ただ、彼女との再会を夢見て今まで生きてきただけの男だ。

 これからどのような未来が待っているかは想像も出来ないけれど、だけどそこに彼女がいてくれればとても幸せだった。


 その上で、俺はフラれた訳だが。

 実は結構傷ついているが、それでも笑顔のままでいる。


「貴方は、高校生――なんですよね」

「うん、そうだよ」

「ならば、私は良いですから。もっと有意義な事に時間を費やすべきです。学校に行って、授業で無意味かもしれない知識を頭に詰め込み、ご飯を食べ、帰宅する。学友と恋愛話に花を咲かせるのも良いかもしれません……貴方は、未来ある若者なんですから」

「俺は、君の事を忘れられないよ」

「だとしても。私は過去の人間ですから、今を生きる貴方の隣を歩む資格はありません。だから、貴方は――幸せに、なってください」


 


 私は。

 貴方が幸せである事を夢見ていたのですから。

 ……確かに彼女とこうして再会出来ただけで俺は今、とても幸せだけれども。

 過去の想いを、過去の気持ちを、彼女に伝えて共に生きていきたい。

 だけど、それは結局フラれてしまったのだけれども。


「だから、貴方は。1000年の先に会えた貴方。私には好きな人がいます。私の心の中に住まう大切な人。それを大切にしてこれからも歩んでいきますから。私と貴方は異なる道を歩む事になるけど、私は貴方が幸せになる事を祈っていますよ?」


 そう言い。


 彼女は一度ふわりと笑い、それから踵を返して去ろうとする。

 風が吹き、目を開けられなくなりそうになる。

 そこで目を離せば、きっと彼女はこの場から消えてしまうだろう。

 そのように思った俺は咄嗟に彼女の手を、掴む。

 それが震えている事はすぐにわかった。


「は、離してください」

「君に心に決めた人がいるとしても。俺は君の事が好きなんだ――だから、例えまた1000年の月日を要する事になるとしても、君にこの想いを伝えるよ」

「わた、しは……」

「好きだ、テレサ。どうしようもないほど、君の事が、大好きなんだ」


 身体を震わせた彼女。


 ゆっくりと振り返った彼女は――涙をボロボロと溢していた。

 ワナワナと震える唇は笑みを作ろうとして、失敗する。


「ずるいです。私は過去の人間になろうとしているのに、貴方は私に今を生きろというのですね」

「ああ、俺と一緒に生きて欲しい」

「全く――」 


 彼女は。


「――」


 その言葉に俺は「分かった」と頷く。


 


 それから彼女とは長く長く語り合いたい事が多くあったが、しかし悲しい事に俺には学校という日常がある。

 テレサ曰く「無駄になるかもしれない知識を詰め込む場所」。

 そうしてそのようなどうでも良い日常を過ごす事を彼女が求めている事を、俺は知っている。

 少なくとも、自らの所為でそれらを送れなくなってしまう事を彼女は求めていないだろう。


「大丈夫ですよ」


 彼女は言う。


「私は知っての通り長命種。今はこの近くのアパートで生活をしています。便宜上は大学院に所属していますが、毎日のほとんどが日曜日状態です。貴方が帰宅するまで待つくらいの事は、流石の私も出来ますよ」

「大学院、って?」

「お給料も出るし住居も提供してくれるし、長命種にとっては利用し得なんですよ。定期的に人文学の研究室で当時の文化を聴取される仕事――仕事と言って良いかは分かりませんけど。ですけどその程度の負担で安定した衣食住を得られるので助かっています」

「確かにそれは長命種にしか出来ないし、それに貴重な情報サンプルを得られる手段だから大切にされるだろうな」

「とはいえ、女性しか所属していないとはいえみんな変人なのであまり仲良くは――いえ、それよりも。早く学校に向かった方が良いのでは?」

「ん、ああそうだな……それじゃあ、テレサ」

「ええ、待ってます――1000年待ったんですもの、今から数時間待つ事くらい楽勝です」

「……早めに戻るよ」


 胸を張って答える彼女があまりにも愛おしくて、だから学校が終わったら早く帰ってこようと心に誓う。


 


 幸い、今日は五時間授業だったので学校が終わり彼女の元へと戻れたのは3時頃だった。

 再開した場所で、しかしどうやらその場でただぼーっと突っ立っていた訳ではないらしく、その手には現代人らしくコーヒーショップで買って来たらしい飲み物があった。

 両手に一つずつ持っており、そしてその片方をこちらに差し出してくる。


「チョコレートフラペチーノ、いちごフレーバーシロップチョコレートチップココアパウダー、アイス少な目、濃い目、甘めです」

「……なんて?」

「ふふ、今度一緒に行った時に教えてあげます」


 なんか、彼女も彼女で現代人らしくなっているなーと感慨深く思った。

 そして彼女から貰った飲み物はメタクソ甘ったるくて一口目は驚きの余り吹き出しそうになった。

 これを平気な顔をして飲める彼女とは一体……

 とはいえ二口目からは(脳がバグったのか)普通に飲めるようになった。

 彼女が口にした呪文の一部に「アイス少な目」という言葉があった事からも分かっていたが、この飲み物には氷があまり入っておらず、だからキンキンに冷え切っている訳ではなかったので結構飲みやすい。


 それから俺達はひとまずその飲み物をその場で飲み干し、それを片付けた後に見つめ合った。



「それじゃあ」

「えっと、その」

「……こういう言葉は割とありきたりだからあまり言いたくないけど、さ」


 俺は、だけど言わなくてはならないからと告げる。


「ちょっとだけ、テレサ。俺に時間をくれないかな?」

「……もう、今更そんな事を私に聞かないでくださいよ」


 少しだけ拗ねたように唇を尖らせ、彼女は言う。


「それで、王子様は私をどのようなところに連れて行ってくれるんですか?」

「ああ、お姫様。昔から貴方と再会したら行きたいと思っていたところがあったんだ」


 この街、俺が住んでいるこの土地には魅力的なものが――まあ、ないと言えば嘘になるけど、とはいえ都会と比べれば遊べるような場所も少ないし、観光地としても微妙である。

 都会というのは中途半端、しかし田舎とも言い難い。

 そんな微妙な街である。

 良い感じに言うのならば、両方の良いところ取りをしている。

 そして、そんな土地に何か魅力的なところがあるのかというと、やはりその「良いとこ取り」をしているところなのだろう。


 都会程ではないけどいろいろと便利なお店が沢山あるし、駅前とかは人も多く歩いているだけで面白いものを見つけられる。

 そしてそこから離れれば数分で自然豊かな景色を眺める事が出来た。

 

「なんていうか、懐かしい感じがしますよね」


 彼女は言う。

 

「この街を歩いていると、不思議と貴方と初めて出会ったあの街の事を思い出します」

「そうか?」

「ええ、建物とか自然とかは全然違うのですけど、だけど雰囲気がこう、似ている感じがします」


 そのように言いつつ、彼女の方を見てみると何故か手と腕が宙ぶらりんになっていた。

 前に出たかと思ったら後ろに引っ込んだり。

 そしてその意図を理解した俺はいじらしくて、そして同時に嬉しいなと思いつつ――


「――っ」


 彼女と腕を組んでみる事にした。

 それに対し彼女はまず驚いたように目を丸くし、それからこちらの方をじっと見つめ、それから「ふふ」と眼を細めながらはにかんだ。

 

「腕、組みたかったんですか?」

「ああ。悪かったかな」

「別に、大丈夫ですよ。私も、えと、腕を組みたかった気分でしたから」

「なんだよそれ」


 俺は彼女の不思議な言い方に少しだけおかしくなって笑ってしまい、彼女はそれを見て「なんですか?」と今度は拗ねたような顔をする。


「す、素直になって気持ちを言ってみただけですよ、笑わなくても良いじゃないですか……」

「バカにした訳じゃないよ、嬉しかったんだ。俺としては、そんな風に気持ちを言ってくれた方が、嬉しい」

「そうですか。じゃあ――」


 彼女はじっと前の方を見て言う。


「ちょっとだけ、私に付き合ってくれませんか?」

「勿論」


 そう言って彼女が俺を連れて来たのは、驚いた事に駅前にあるゲームセンターだった。

 正直テレサとゲームセンターとの間にどのような縁があるのかまるで想像がつかず、最初そこに足を踏み入れた時は頭の中が「はてな」でいっぱいになった。

 しかしそこで彼女が懐から小銭を取り出してクレーンゲームをプレイし始めると、本当に彼女はこのゲームセンターに用があったんだと理解するに至った。


「意外、だな」

「確かに私らしくないとは思いますよ。ゲームセンターだって私、足を踏み入れるの初めてですし」

「そうなんだ。えっと、じゃあどうして今日はここに来たんだ?」

「そんなの……言わせないでくださいよ」


 じっとこちらを見つめた後、「そうですね」と言葉を付け足す。


「それじゃあ、このクレーンゲームでぬいぐるみを取れたら教えてあげます」

「良いのか?」

「あっ、お金大丈夫ですか? 1000円くらいならば私が出します」

「いや、大丈夫だよ。ワンコインで獲るから」

「え」


 俺はじっとクレーンゲームを見つめ、少しだけにやりと笑う。

 笑いながらも、頭の中は真剣にフル回転させた。


「ああ、ワンコインで獲ってみせる」


 が、まあ。

 俺もゲームセンターに入る事は初めてだったし、だからクレーンゲームをプレイするのは初めてだった。

 そんな奴がいきなりクレーンゲームでぬいぐるみを取れるなんてミラクルが送り筈もなく、気づけば俺の1000円札を両替えする事によって手に入れた100円玉10枚は手の中から消え去っていたのだった。


「いやその」

「悪い、テレサ。後もう少しで取れると思うんだ」

「……いえ、教えるんで諦めてください。おこづかいも有限でしょう?」


 彼女は呆れたように言う。


「ちょっと、憧れてたんですよ私。こういうようなありきたりで子供みたいなお店に行って、それで遊ぶ事を」

「確かに、言われてみると俺もテレサに連れてこられなかったらゲームセンターに足を踏み入れるなんて事はしなかったな」


 その横を通り過ぎる事は何度もあった。

 その上で俺とは無縁の世界だと思っていた。

 ゲームセンターというのは近くて遠い、そんな不思議な場所だったし、だからきっと今後も俺はそこに入る事はないんだろうなーと何となく考えていたが、まさかここに来て足を踏み入れ、そして遊ぶ事になるとは。

 そういう意味でも、テレサに感謝しなくてはならないかもしれない。


「ありがとうな」

「なんですか、それ?」


 くすくすと笑うテレサ。


「別に、私は貴方に付き合って貰っただけですよ? クレーンゲームにしても、本当はただこのぬいぐるみが気になってたから取れたら良いなーって思っただけですし」

「実は凄く欲しかったりしないのか?」

「大丈夫ですよ、このぬいぐるみが流行りのゲームのキャラクターって事は知ってますけど、私実はそのゲームについて詳しい訳ではないんです」

「それじゃあ、これから俺と一緒に知っていこう」

「そう、ですね」


 目を閉じ、それから目を開けてからじっとこちらを見つめて来たテレサは少し甘えたような口調で言う。


「これから、貴方にいろいろな事を教えてもらいたいです。一緒に……いろいろな事をしてみたい、な?」

「ああ、いろいろな事をしていこう――早速、このゲームセンターでいろいろな事を体験してみよう」


 それから俺達は有言実行と言わんばかりにそのゲームセンターで遊んだ。

 勿論お金は有限だから遊ぶのには限りがあった。

 でも、なんだかんだ気づけば一時間が経過していて、その頃には俺達は身を寄せ合ってけらけら笑うようになっていた。

 

「見てください! レースゲームで1位を取りました!」

「あのお菓子の山、どうやって崩せば良いんでしょう……?」

「ああっ、コインが全部なくなっちゃいました!」


 彼女のそのような生き生きとした表情は見た事がなかった。

 そして俺もまた、今までないくらいまでにはしゃぎ、笑い、彼女と一緒に遊んだ。

 

 最後。


「写真、取りません?」


 写真機。

 スマホの時代にこれを利用する人間がいるかどうかは微妙だが、しかしこうして機械が残っているという事は需要があるって事だろう。

 


『まずは、普通に笑って~』


「……普通に笑ってってどういう、わわっ」


『一緒に、ピース!』


「い、いえーい!」


『はーとまーく♡』


「ええっ!?」


『最後に、一杯甘えちゃおうっ』


「あ、甘える? えっと――」


 ちゅっ。


「え」

「こ、こっち見ないでください」


 そんな事、言われても……

 俺とテレサは顔を真っ赤にして写真機から出て、それから外でペンを手に取り加工をしてみる事にした。


「……なんか、別人みたいですね。目がデカすぎる」

「そういうもんじゃないのか?」

「いや、流石にやり過ぎですのでデフォルトで行きます」

「文字とか書くか?」

「え、えー? そ、それじゃあ」


 ハートマークを描いて、印刷する事にした。

 そして出て来た写真をにこにこと笑いながらじっと見つめているテレサ。

 その姿を見て、この場所に連れてきてくれたのはテレサだったけど、それでもやっぱり来てみて良かったなと改めて思った。

 

 それから俺達はまず近くにあるハンバーガーショップに立ち入り、そこで小さなハンバーガーと、アイスシェイクを購入する。

 ハンバーガーはまず店内で食べ、そしてそれを食べ終えた後アイスシェイク片手に店を出て、その時に俺は彼女に言う。


「それじゃあ、これから――俺の家に来てくれないか?」

「え……」


 少し驚いたように目を見開き、それから頬を赤らめて「うん」と頷いてくれた。


「きっと、そうなるんだろうなーとは思ってましたから」

「時間、大丈夫か?」

「時間の事は、大丈夫です。今日はそうなるって、思ってましたから」


 そうなるって、どこまでの事を考えているのかとは思ったが、とはいえそれはデリカシーのない質問だと思ったのでここでは聞かないでおく事にした。

 それからアイスシェイクを一緒に飲みながら歩くこと数分、飲み物がちょうどなくなりそうになった頃に俺達はその場所に辿り着く。


「ここが、俺の今の家だよ」

「ここが……」


 と、家の屋根から玄関までをじっと観察するテレサ。

 とはいえ、よくあるようなあり触れたモダン風の家だ。

 大きさに関してはそこそこ大きいとは思うけど、だけど特別豪邸って訳でもない。

 とりあえずポストの中を見て何も入っていない事を確認し、玄関の鍵をスマホで解除する。

 開いた扉を片手で押し開き、しかしその前に背後から「あら、帰って来たのね」と声を掛けられる事となった。

 振り返ると、そこにいたのは俺の母親。

 ……母さんは俺を見、そして隣にいるテレサを見て首を傾げる。


「可愛らしい女の子だけど、その子って……?」

「……ああ」


 俺は頷き、答える。 


「俺の、妻になってくれると思う人だよ」

「ちょ、ちょっ!」


 慌てふためくテレサ、その姿を「ふむ」とじっくり観察する母さん。


「まあ、とりあえず家に入ってから話をしましょう。立ち話で済ませられるほど短い話では、ないのでしょう?」


 


 


  ▽


 


 


「――なる、ほど」


 俺の話、そしてテレサの話を聞いたのちに母さんは改めて頷いて見せた。

 その様子を見、テレサは「その、お母様」と恐る恐る尋ねて見せたが、それに対して母さんは「お?」とどこか期待通りの反応を貰ったと言わんばかりに目をきらりと輝かせた。


「それはつまり、このセリフを言うべきなのかしら」

「え、その」

「貴方にお母様と呼ばれる筋合いはないわ!」

「ええっ!」


 がーん。

 ショックを受けたテレサが涙目になりこちらを見てくる。


「ど、どうしよ……!」

「いや、ただのテンプレートというか、ジョークだから安心して良いよ」

「私としては貴方が昔から言っていた子がこんなにもカワイイ女の子だなんて知らなかったから、割とショックよ」

「む、昔から?」


 首を傾げるテレサに対し、母さんは「子供の時からずっと言ってたのよ」と言う。


「自分は転生者で、俺には好きな女の子がいるんだーって、昔から言ってたの。惚気てたとも言うわね」

「お、お母様はそれを、信じたのですか?」

「私の息子は冗談は言うけど嘘はあまり言わない子だもの。それに、自分の好悪については絶対に嘘は吐かない。だからきっといずれその女の子を連れてこの家にやって来るって事は、それこそこの子が産まれた時から覚悟をしていたわ」

「そ、そうなんですね……」

「そんな事より!」


 母さんはにやりと笑い、それから如何にも芝居じみた感じに「あら~、そう言えば買い物し損ねたものがあったわ~」と言って席を立つ。

 それから荷物をぱっぱと纏めて部屋から出て行こうとし、その前に「にやり」と笑った母さんは俺に向かって言う。


「3時間は帰ってこないわ。その間に決めなさい」


 いらない気遣いだと思った。

 とはいえ有難かった。


「え、ええ……!?」


 そしてテレサは案の定あわあわしていた。

 ていうか彼女にも聞こえる清涼で言うなよと思った。


「そ、そんな! え、えとお母様。私は――」

「良いの良いの、貴方の具体的な人柄とかはまだ分からないけど、少なくとも悪い子じゃないってのは分かったし、それに知っていたから」

「で、でも」

「だから、テレサさん。これは私の、その子の母としてのお願いであり。そして一人の女としてのお願いよ」


 母さんはそれから少しだけ真面目そうな表情をし、一度こちらに戻って来る。

 テレサの方に顔を近づけ、何かを言う。

 それに対し、顔を真っ赤にしたテレサは「は、はい!」とがくがく頷いて見せた。

 一体何を言い聞かせていたんだろう?

 気になるけど、藪蛇そうだったのでこれもまた聞かないでおく事にした。

 

「じゃ、行ってくるわねー」


 元気に家を出ていく母さん、本当にエネルギッシュだなと思うと同時にこれからきっとテレサの事で話す事が山積みだろうなとも思った。

 とはいえ、大丈夫だきっと。

 その時にはきっと、俺の隣には――


「それじゃあ」

「え、えと」


 二人きりになり、モジモジとするテレサに俺は告げる。


「……とりあえず、俺の部屋に行こうか」

「う、ぅん」


 小さく頷いた彼女は、何かを期待しているかのようだった。

 その期待の正体が俺の想像通りだったならば嬉しいな、そのようにも思った。


 そわそわとしながら俺の部屋に入った彼女は物珍しげに部屋の中を観察する。

 きっと緊張を和らげるためなのだろうが、しかしあるところでピクリと体を強ばらせる。

 彼女の視線の先にあるものを確認し、そして首を傾げた。

 そこにあったものは俺と幼馴染との記念写真であり特別なものが写っているわけではなかったが、しかし彼女は何が気になったのだろう。

 少し考え、合点がいった俺は彼女に先手を打って説明をする事にした。


「それは、幼馴染との記念写真だよ。お隣さんで、夢道桜子って言うんだけど」

「なる、ほ、ど……仲が良いのですか?」

「君が想像しているような関係ではないよ。確かに俺と彼女は幼馴染として仲は良いとは思う。よく昔は一緒に遊んでいたし、彼女が俺の事を好きだった時もあったかもしれない」


 ぎくりと身を震わせる彼女に「でも」と続ける。


「俺はずっと君の事が好きだったし、それは彼女にも伝えていた……まあ、転生云々の事は信じていなかったかもだけど」

「そう、ですか」


 少しホッとした様子を見せ、それから慌てて「べ、別に私は貴方に好きな人がいても別に良いんですけどねっ」と手を振ってみせた。


「わ、私は所詮過去の人間ですし、だから貴方に好きな人が出来ていたとしても、うう、おかしくはないですから……」

「ごめん、心配させるつもりはなかった。俺も、1000年の間に君に好きな人が出来ていたらと思った事は何度もあるし、だから気持ちは理解できるよ」

「私の気持ちを舐めないでください、これでも身持ちは固いつもりです。ずっとずっと、ずーっと貴方の事が、好きですから」

「そ、そうか」

「……な、なんか恥ずかしい事言ってますね私━━と、とにかく私は貴方一筋って事です! わ、分かったかっ」


 顔を真っ赤にして言う彼女に俺も頬が赤くなっていくのを感じつつ「お、おお」と頷いた。

 同時に、1000年と言う月日の間、彼女を一人にさせてしまっていた事がとても申し訳なく感じてくる。

 輪廻転生と言うのは、死に生まれ変わるものだという認識をしている。

 それならばなぜ俺はあの時に死に、そしてすぐに生まれ変わらなかったのだろうか?

 それとも輪廻転生というのは時間という概念に囚われない現象だという事なのか、どちらにせよ世界と、そしてそれを作った神様は意外と鬼畜だなという感想を抱いてしまう。

 それでも、彼女と再会させてくれた事だけは感謝するべきだろう。


 そして彼女は「本当に、怖かったんです」と俯いて白状してくる。


「貴方が転生したとして、私と再び会う時には既に好きな人が出来ていたらって。私の事なんて忘れて、忘れたい過去の思い出にされていたらと思うと」


 そんな事はない。

 俺はずっと昔から、君の事が好きだったのだから。

 その思いを捨てた事も、裏切った事も一度としてない。


「……べ、別にそれでも貴方が幸せなら良いのですが」

「俺は、テレサ。君とこうして再会出来なかったら、何もかもがどうでも良くなってしまうくらいだったよ」


 俺は、君の事が好きだから。


「どれだけ言葉を重ねても足りないくらいに。きっと積み重ねてきた時間は君の方が多いだろう、だから想いの重みもきっと君の方が重いのも当然だと思う」

「わ、私を重い人間みたいに言わないでくださいっ」

「だけど、俺だって君の事が好きなんだ━━もう、君を一人にしたくない。これからずっと君と生きていきたいんだ」

「ま、まるでプロポーズですね」

「プロポーズって言ったら、どうする?」

「そうですね……」


 


 彼女は。


 


 まるで答えは1000年前から決めていたかのように。


 


 にこりとはにかみながら、答えた。


 


 


 


 


 


 


 


 


「鈴谷真人くん、貴方の人生を私にください」


 そしてその答えもまた、16年前から既に決めてあった。


「俺の人生を、貴方に捧げたい」


 テレサは微笑み、涙を浮かべる。

 俺はゆっくりと彼女の身体に近づいて、それから遠慮がちにその身を抱きしめた。

 びくりと身体を硬直させ、抱きしめ返してくれる彼女。

 ――そうやって、俺の事を拒絶してくれない事実。 


 ただそれだけで俺は、この人生がとても幸福なものであったと、そのように信じる事が出来たのだった。

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