一つの転換点
「――全世界への配信? それに【諧謔】の道化師ってどういうこと?」
立ち上がってニグ様から突然提案された内容の意味を訊ねてみると、ニグ様から小さくため息のようなものが聞こえてきた。
《……全世界への配信については、一般的な『D-LIVE』のようなコンテンツは使いません。全世界のありとあらゆる媒体を通して行うものです。どうやら今の人間種社会において、配信というコンテンツは注目度も高いようですからね。長々と説明するのであれば、いつものように私が声を届けるよりも伝わりやすいでしょう》
「なるほど、そういうことね。いいんじゃないかしら。言葉で伝わってくるだけの情報なんかよりも、視覚的にも訴求できる動画というコンテンツの方が効果は高いでしょうね」
「そういうものなんだ」
まあ、分からなくはないかな。
口で説明するだけ、文字で羅列するだけっていうのは、どうにも伝わりにくい。
視覚的に分かるような図解だったりっていうものが多い方が、何がどうなったのかは分かりやすいね。
《はい。そこで元々、あなたの『ダンジョンの魔王』と呼ばれている姿で〝黄昏の調停者〟としての役目の一つとして進行を行っていただこうと考えていましたが……。颯によって生み出された、クローン設定という奇妙な方向に話が飛んでしまったため、あなたの顔をあまり表に出さない方が良いと判断したのです》
「……ア、ハイ」
《まったく……。今のままではどこかで必ず矛盾し、綻びを生んでしまいます。だからもう少ししっかりと設定を練り、物事を考えて動きなさいと言っているのですよ? ラト、颯はこういう子ですから、今後設定についてはあなたが必ずチェックしてあげてください》
「ふふふ、ニグ。あなた、まだ人間種っていうものがどういうものか、理解が足りていないわね」
《どういう意味でしょう?》
「あなたのそれは、ただの甘やかしよ、ニグ。この子は自覚がないのだから、ハッキリと言わなきゃ分からないものよ。颯、確かにニグの言う通り、変な設定をいきなり生やしたりすれば破綻する事だって有り得るわ。だから、颯――」
「ん?」
「――いい加減そろそろ
「――ッ」
予想していなかったそんな言葉に、はっと息を呑んだ僕を見て、ラトは僅かに苦笑するような笑みを浮かべてみせた。
「あなたの気持ちが分からない訳ではないわ。私たちは上位存在。本気になれば人間種なんてどうにでもできる。どうとでもなってしまうわ。だから、あなたは真剣になれないの。いえ、本気になれない、と言うべきかしらね。だって、本気になったら終わってしまうと分かっているのだもの」
それは……うん、確かにその通りかもしれない。
確かに、ここ最近は少し適当過ぎるというか、雑になっていた。
修行で潜み続ける生活を送って、ようやく表舞台に出ていったと思ったら、『ダンジョンの魔王』なんてものになって。
結果として、僕は人間という枠から外れ、さらに力を手に入れてしまった。
多分、心のどこかでヤケクソというか、隠し通すとかそういう箍が外れていた部分が少なからずあったのは、否定できない。
――いざとなったら、消せばいいや。
大きな力を手に入れてしまったからこそ、そんな投げやりな感情が、設定に対する拘りの甘さが確かにあった。
「そうなってしまっては、何もかもが退屈で、単調なものになってしまうわ。だから、〝縛り〟を設けるのよ」
「〝縛り〟っていうと、ゲームでいう〝縛りプレイ〟とか、そういうの?」
「えぇ、そうよ。そうやって制限をかけているからこそ楽しめるの。あなたが強さを求めていた頃のように、夢中になれるぐらいに」
「強さを求めていた頃のように……」
「そうよ。だから、いつまでも燃え尽きたような気分でいないで、いい加減に目を覚ましなさい」
強さを求めていた。
ダンジョンで、誰にも、何にも負けない強さを。
あの頃は多分、毎日、僕はずっと内側で燃え続けていた。
そうして、『なんかミステリアスでクソ強いし、見た目の割にやたらと達観していて年齢不詳な、どこか人を食ったような謎のショタキャラ』という夢に向かって走り続けてきた。
でも、僕は多分、深淵を踏破して、修行を終えて。
あの瞬間にどこかで燃え尽きてしまっていたような、そんな気がする。
目的ではなく過程が楽しくて、それが過ぎ去ったことが、どこか物悲しいような、そんな気分になっていたのは確かだった。
だから、どうしても真剣になれなかったし、気持ちがふらふらとしていた。
物事に対して〝どうでもいい〟と、どこかで俯瞰して見ているような、そんな自分でいたのかも――いいや、そういう自分でいたのだ。
そんな僕を、ラトは見透かしていて、だから今、
そんな僕の表情を見て、ラトは満足気に微笑んだ。
「どうやらやっと自分自身のことを理解できたみたいね」
「うん」
「結構。なら、これからは
「え?」
「私たちが本気を出したら、ひどいワンサイドゲームとなってしまう。だからこそ、私たちの方からゲームを、盤上をコントロールしてあげればいいのよ。たとえば、こちらで完璧に用意した計画であっても、わざと相手に気付かせるだけの隙を、ヒントを散りばめてあげるの。そこに辿り着けるのか、それとも途中で迷い、足を止め、引き返すのか。そういう駆け引きを楽しむとかね。そういう風に、制限をつけて、条件を決めてあげて、同じ土俵の上に立ってあげればいいのよ」
「舐めプしろってこと?」
「バカね、手を抜いて遊ぶ訳じゃないわ。こちらもそのルールの中で、全力で、
「……それが、真剣に遊ぶってことなんだね」
「えぇ、そうよ。それに比べて、あなたが今までやっていたのは、遊びにも届かないただの児戯。言っている意味は分かるわね?」
ニグ様にも一度は釘を刺されていたけれど、あの時は自分で何が原因なのか理解しきれていなかった。
でも、ラトの言葉のおかげでよく分かった。
自分の頬をパチンと両手で叩いて、意識をしっかりと切り替える。
「――ありがとう、ラト。もう大丈夫、目が覚めた。ここからは『なんかミステリアスでクソ強いし、見た目の割にやたらと達観していて年齢不詳な、どこか人を食ったような謎のショタキャラ』に向けて、とことん徹底していくよ」
「ふふ、いい顔になったわね」
「あとで設定と〝縛り〟について色々と固めたいから、時間もらえるかな?」
「ふふ、えぇ、もちろん」
《……ありがとうございます、ラト》
「いいのよ。この子は力だけならパートナーに相応しいけれど、まだまだ子供だもの。色々と挑戦して、失敗して、学べばいいわ。そうしてゆくゆくは立派に混沌を――」
《――ラト?》
「あらやだ、冗談よ。おほほほほ」
え、こわ。
ニグ様がラトの名前を呼んだ瞬間、この前からあちこちうろうろしている仔山羊たちが、合図でもされたかのように一斉にこっちを見て動かなくなったんだけど。
というかあの仔山羊たち、あれ、
見た目黒い仔山羊ではあるのに、領域を通して仔山羊たちを認知した時、なんか巨木の、というか枯れ木のようにしわくちゃな枝が絡まりあっていて、何故かその太いものには身体の部分に口が生えてたりとか、割とシャレにならないクリーチャーな存在だってすぐに分かったんだよね。めっちゃデッカイ化物って感じで。
まあ、まんまその見た目でいられるよりマシかな。
秘密結社のメンバーを連れて来たりした時にその姿を見せたら、一瞬で恐怖で気絶とかしたり、なんかおかしくなったりしそうだし。
《ともあれ、颯。あなたは【諧謔】の道化師として、私たち側の正式な〝メッセンジャー兼進行役〟として動いてもらいたいと考えてもらいます》
「メッセンジャー兼進行役?」
《はい。あくまでも〝黄昏の調停者〟とは、【勇者】と【魔王】の戦いに関するルールを遵守させる役割、いわば執行者のような裏側の役割です。この役割は、どちらかと言えば【粛清】側の役割であると言えるでしょう。ですので、ヨグとも相談した結果、それならばいっそ切り離して【諧謔】としての役目として動いてもらえば良いだろう、という結論に至りました》
「あぁ、そういうこと。つまりニグは、それで【諧謔】の一面として、道化師のような形でメッセンジャー兼進行役――つまり、〝黄昏の調停者〟とは逆の『表向きの役』をやってほしいってことなのね?」
《はい、そうなります》
「ふむん?」
なんだかラトにはハッキリとやるべき事というか、その意図が掴めたらしい。
ただ、僕の方はと言うと、なんとなく分かったような分からないような……いや、やっぱちょっとよく分からない。
「つまり、颯」
「ん?」
「あなたは道化の格好でもしながら、人間種相手に【勇者】と【魔王】の戦いのルール説明をしつつ、ついでに煽り散らかしてくればいいのよ」
「なにそれ?」
煽り散らかすとかちょっと楽しそう、とか思っちゃったんだけど。
「はっきり言うけれど、人間種たちは今、ダンジョンを甘く見ているわ。確かに『魔物氾濫』で被害を受けた場所なんかはあるけれど、それでも社会が崩壊する程のレベルには全然届いていない。だから、特区なんてものも生まれたのでしょうね。そうやって臭いものに蓋をするような対応をして、まだ人間種ごときが世界の頂点であるかのように振る舞い続けているの」
「うん、まあ否定はできないと思うけれど」
「つまり、このままでは、この世界の人間社会そのものを破滅させるしかなくなるのよね」
「え?」
唐突にぶっ飛んだ結論を口にしたラトの言葉に、思わず目を丸くする。
「ニグ、颯はもう同胞よ。あなたから話してあげなさいな」
《……そうですね。颯、すでに気が付いているとは思いますが、ダンジョンを発生させたのは私たちです。その目的は、〝段階を踏ませて人間種の進化を促すこと〟にありました》
「人間種の進化を?」
《はい》
まあ、ダンジョンを発生させたのがニグ様とかヨグ様だっていうのは、とっくに気が付いているけれどもね。
ただまあ、その目的が〝段階を踏ませて人間種の進化を促すこと〟っていうのは少し意外ではあったかも。
《我々の目的は、魔物との戦いによって位階をあげ、人間種を進化させ、この世界のステージを上昇させること。ですが、このままでは一部の人間種――探索者と呼ばれる者たちだけがそれに達し、他の人間種はダンジョンに入ることすらなく生涯を終えてしまいます。それでは意味がありません。我々は〝全ての人間種〟に進化を求めています。人間種の社会がこのままであると言うのなら、いっそ全てのダンジョンを氾濫させ、ダンジョンなど関係なく魔物が生まれるよう調整してしまった方が選別しやすい、という状況ですらあります》
「あぁ、なるほど。だから人間社会を破滅させるしかない、ってことなんだね」
《はい。しかしそれは、あくまでも最終手段ですので、なるべく避けたい手法でもあります。故に、戦いを激化させるための【勇者】と【魔王】のシステムです。資源と平和の獲得という餌によって、ダンジョン攻略を後押しする風潮を作ること。そして【魔王】は、攻めてきた人間種らを成長させると同時に、試練に耐えられる人間種のみを残させるための篩、とでも言いましょうか。そういう役割を持っています》
「あー、そういうことなんだね。だから煽り散らかしてダンジョンがなんぼのもんじゃい、ってなってもらった方がいいって事ね。その方が、戦いが激しくなるから」
《はい。ですが、それだけでも人間種は差し迫った脅威がなくては動かないでしょう。どうしたものかと悩んでいたところで、あなたがクローンなどという設定を持ち帰ってきました》
……ッスゥーー……何やってんの、僕。
「……ごめんなさい」
《いえ、確かに突然話が大きくなるようなものを出されて困惑しましたが、今回はその設定が上手く活きてくれる――つまり、利用できる可能性が高いと考えられます》
「え?」
「ふふ、それについては私から説明するわ」
唐突に僕が生み出した設定まで加えられた、なんて思ってたらラトが嬉しそうに声をかけてきた。
「今回の【勇者】と【魔王】システムの導入による戦いの激化を煽るのと同時進行して、あなたが持ち出したクローン設定を利用して、探索者ギルドと探索者の間に亀裂を生じさせるわ。それと同時に、探索者と普通の人間種――まあ、一般人と呼びましょうか。探索者と一般人の間にも、ね」
「へ? どうやって?」
「探索者ギルドが裏で非人道的な行いをしていたという情報を流し、それが真実であったかのようにダミーの情報を放棄された研究所に点在させるのよ。その情報の中に、現在の有名な探索者たちであったり、クランそのものを研究対象にしようとしている、というような情報をばら撒くわ。これが発覚すればするだけ、探索者たちは探索者ギルドに対する不信感を抱く事になるでしょうね」
「うわぁ、それはそうなるでしょ……」
「次に、一般人側に【勇者】と【魔王】システムの告知を受け、探索者たちのダンジョン攻略を強めるよう扇動するのよ。『【魔王】の専用ダンジョンなんかじゃなくたって、ダンジョンを攻略したら同じように『魔物氾濫』が起きなくなり、資源のグレードが上がるんじゃないか』っていう憶測を流布してね。そうして、一般人による探索者への圧力を高めさせる」
「なるほど……。でも、正直言って、それだけじゃ今もあんまり変わらないよ?」
「えぇ、もちろんそれだけなら大した効果はないでしょうね。けれど、ここで出てくるのが、あなたの秘密結社の下っ端構成員として吸収する捨て駒たちよ。彼らを特区の外に解き放って、〝元探索者による一般人に対する犯罪〟を引き起こさせるわ。これによって一般人たちは探索者へと恐怖を抱くでしょうね。その恐怖で、ますます探索者はダンジョンに縛れだの人権を奪ってしまえだのと、一般人側の熱は過激に加熱されるわ」
なんか段々とラトの頬が興奮したように赤くなり始めてるし、恍惚とした笑みになっている気がするんだけど、気のせいかな?
「そうなれば、探索者と一般人の間の亀裂はもう修復なんてできなくなるほど、深くなるわ。その状況で――ニグの出番よ」
《はい。その騒ぎが一定の水準に達したところで、特区に覆われていないありとあらゆる場所に、ダンジョンを発生させます》
「そうなった時、一般人たちはどうするかしらね? 一般人は、探索者たちを招き入れたくもないし、自分たちも戦いたくない。背に腹は代えられないと探索者ギルドに頼っても、探索者との間に溝ができていて動けない。でも、時間さえあれば警察、自衛隊なんかが包囲を完成させるでしょうから、時間を与え過ぎるのもあまり良くない」
《はい。ですので、新たに生み出すそのダンジョンは、出現から2週間ほどで『魔物氾濫』を引き起こさせます》
「さて、その間に完璧な体制を整えられるはずなんてないでしょうねぇ。そうなれば、一般人たちの犠牲者はどれ程のものかしらね? 探索者ギルド、あるいは探索者に助けを求めていたのに、どうしてもっと早く助けてくれなかった、対応してくれなかったと一般人共が被害者ぶって叫び、溝はさらに深まるでしょうね。そこまでいけば、人間種同士ですら信用できなくなり、争いが激化する。自ら生きる為に、ダンジョンに潜り、力をつけようとする者も増えるでしょうし、逆恨み、仕返し、怨恨……あはっ、混沌の世の始まりね」
恍惚としたラトの笑いで、その言葉は締め括られていた。
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