第29話

 まずいわ、テンマちゃんピンチやわ。

 旗色が悪くなってきたから、ウチは退散しようとする。

「えっと……ほなこれで……」

「待つのでござるよ」



 にっこり笑うチモが、ウチの手を押さえた。あかん、逃げられへん。

「そもその『渇きの呪い』は解呪せぬ限り、次の赤子へと転生していくのでござる。フィル殿を封印して魔術的に塩漬けにしたところで、フィル殿が衰弱死すれば呪いは解き放たれるのでござる」



「そ、そうやったんかー」

 愛想笑いでごますけど、チモの圧が強い。

「結局のところ、封滅院とやらが企てていることは拙者たちと同じで時間稼ぎにしかならぬのでござるよ。より確実性が高く、稼げる時間が長いというだけのことでござる」



「どれぐらい稼げるんや」

「具体的な術式がわからぬゆえ何とも言えぬのでござるが、昏睡状態にして生命活動もほぼ停止させた仮死状態であれば、百年か二百年ぐらいはいけるかもでござるなあ」



 そんだけ時間を稼げるんなら、ウチにはもう他人事やな。まあ、子供を犠牲にして稼ぐ時間なんやけど……。

 ウチは果実水のマグカップを持ったまま、考え込んでしもた。



「どっちがええんやろな、それ」

「さよう。考え方や立場によってその問いの答えは違うのでござるよ」

 チモは静かに答えて、それからにっこり笑った。



「それゆえ、拙者やシオ殿は自分が正しいと思うことをしているのでござる。そういう意味ではキュムと同じでござるな。単純に価値観の相違でござる」

「あんた冷静やな」



 なんか文部院の先生らを思い出してきたわ。しゃべりはチモの方が上手いけど。

 ウチはぬるくなってきた果実水をちょびちょび飲みながら答える。

「ウチにはどっちが正しいのかわからへん。封滅院に雇われとる立場やから、報酬分の仕事はせなあかんしな。けど……」



 ウチが言いよどむと、チモが顔を覗き込んでくる。

「なんでござるか?」

「あのな……あんたらのやってることがうまくいって、あの子が救われるとええなあって、それだけは心の底から思うねん」



 ちょっと立場的にあかんと思うし、恥ずかしくもあったけど、まあそれがウチの本心や。

 どこの誰かも知らへん異国のガキでも、不幸になってええとは思わへん。なんせほら、ウチはお嬢様やからな。根本的に育ちがええねん。



 チモはウチの手をそっと撫でる。

「敵味方の立場を越えてそのように優しい気持ちを打ち明けてくれたこと、感謝するでござるよ」

「う、うん……」



 なんやこいつイケメンムーブしてきよる。惚れてまうがな。

 もしかして身近にそういうことを言うヤツがおるんか? 爆発してまえ。

 これ以上いると情が移ってまずいことになりそうやったから、ウチは生ぬるい果実水を飲み干して立ち上がる。



「あんた、この街に住んどるんか?」

「キュムから聞かなかったのでござるか? そこで魔道具屋を営んでいるのでござるよ」

「せやったら次は寄らせてもらうわ」

「歓迎するでござるよ。修理や調整が主でござるゆえ、在庫はあまりござらぬが」



 チモが手を差し出す。

「マグカップは拙者が屋台に返しておくゆえ、その干しイチジクをキュムに届けてやるといいでござるよ。テンマ殿が隣にいれば、あやつも道を踏み外すことはないでござろう」

「そないに期待されても保証できへんで」



 ウチはチモにマグカップを渡すと、ちょっと苦笑いしてみせた。

「ほなまたな!」

 シュシュッと格好よく指先で印を切ると、ウチは廃墟に向けて転移した。



「ただいまーって……あれ?」

 廃墟の廃屋に戻ってきたウチは、キュムの姿が見えへんのでキョロキョロしてしもた。

「キュムー? どこや、おらんのか?」



 返事があらへん。まさか盗賊とか街の衛視とかが来たんか?

 けど、二人で使とるベッドは毛布がきちんと畳まれとるし、テーブル代わりの木箱も、拾ってきた椅子も整えられとる。争った形跡はないな。



 そもそもあいつ戦うことだけは得意やから、魔術師でもない人間が10人20人来たところでどうってことあらへんよな。まとめて真空にしておしまいや。

 そのときウチは、キュムの私物が見当たらへんことに気づいた。



 あいつの着替えやポーチがなくなっとる。

 封滅院から貸与しとる魔法の手袋は、木箱の上にきちんと置かれとった。

「これを置いてったっちゅうことは……」



 最後まで言うのがなんや怖くて、ウチは口を閉ざす。

 まあでも、あれやな。何があったかわからへんけど、ウチはこれを持って帰れば仕事は終わりや。悪くない額の報酬が約束されとるし、しばらくは食いつなげるやろ。



 けど……。

「あいつ、どこ行きよったんや。相棒のウチに断りもなく」

 せっかく手に入れた干しイチジクの袋。今日初めて知った、あいつの好物。

 それをぎゅっと抱いて、ウチはつぶやいた。



「こんなん……あかんで」

 今朝掃除したばかりの廃屋の床には、また砂が舞い込んでた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る