第7話 最強のバディ

「奏人に似ているのか、武一郎さんは」これまた、いつの間にやってきていたのやら。惣次郎は、肩越しの雄一郎に薄っすらと微笑んだ。

「まるで生き写しじゃ。頑固で、己より他者を重んじる性質が」

「ますます、奏人が羨ましいのう。あいつは不器用だが、ああ見えて強い信念を持ち合わせとる。わしの自慢の孫だ。ただ、わしらは戦を知らん。よって剣技を嗜んではいるものの、術を駆使した真剣での実践経験はない」

 二人はまた縁側に戻ると、先ほどの続きとでもいうかのように酒を酌み交わした。そうしながらも、雄一郎から奏人の幼少時代から現在に至るまでの人柄を聞いているうちに、惣次郎も昔を懐かしみながら自分たちの歴史を話して聞かせた。

 それは、燿汪を倒すべく立ち上がった同志たちとの出会いから始まり、悪の根源を絶ったとされるまでのほんの一部分でしかなかったが、雄一郎はまるで幼少時代に戻ったかのように聞き惚れている。

「日本には八百万やおよろずの神々が存在するとは聞いていたが、やはり日本は昔から守られてきたんだな。それにしても、本当に奏人が羨ましい……」

 と、雄一郎は微苦笑を浮かべた。

 

 現代でも有名な陰陽師、安倍晴明と共に悪鬼退治をしていた師の下、呪禁師となった惣次郎は、幼い頃から剣術や癒やしの術を取得していた。その師とは、惣次郎の父方の叔父、橘宗太郎であったことから、直に安倍晴明ら陰陽師たちの活躍ぶりを聞かされていた。

「安倍晴明伝説は現代でも有名なんだが、本当に妖術を使いこなせていたのか?」

 そんな雄一郎の疑問に対し、

皇御孫命すめみまのみこと様や、道真みちざねさまからの信頼が厚く、陰陽師として認められてからというもの、天文にも力を入れておられた」

 そう言って、惣次郎は夜空を仰いだ。


 安倍晴明は、平安時代中期に活躍したとされる陰陽師の一人である。祖先は、右大臣として朝廷に仕えていたとされる阿部御主人あべのみうし。師として慕っていた賀茂忠行かものただゆきの下、実力を発揮していく。その結果、自らも朝廷にて皇御孫命、所謂、天皇を助ける為に天文密奏を職務としていた。

 父は安倍保名あべのやすな、母は葛の葉と名乗る白狐であるとされており、晴明は白狐の子として名を知らしめている。後に誕生する息子らにも、自らの天命を全うするまで陰陽道を伝え続けた。


 そして、八百万の神々の助力がなければ、燿汪を闇に帰すことは不可能だったであろう。

 主に八百万の神々の代表ともいうべき、太陽神とされる天照大神アマテラスオオミカミを筆頭に、戦いと厄払いの神とされる素戔嗚尊スサノオノミコト、月を司り夜を統べる神とされる月読命ツクヨミノミコト、最古の神で多くの神々を生み出したとされる伊邪那岐神イザナギ、その妻である伊邪那美神イザナミ、農業と国家の守護神である大国主命オオクニヌシノミコト、天照大神の孫で天皇家の祖神である瓊瓊杵尊ニニギノミコト、最初の神であり天空を主宰する天御中主神アマノミナカヌシノカミらが清明を支えていた。


「いやはや、燿汪退治伝説がいよいよ現実味を帯びてきたわい」雄一郎が、また徳利を片手に手酌して、もう一つの湯飲みにも注ぐと、二人はまた喉を鳴らした。

「我が思うに、鍛えさえすれば清明様のような力を発揮出来るやもしれぬ」

「奏人がか?」

「そうじゃ。武一郎がそうであったように」惣次郎は、瞳を細め薄っすらと微笑んだ。

 惣次郎にとって一番の友であった武一郎との日々は、掛け替えのないものであり、燿汪討滅に及び腰だった勇士たちの迷いを吹き消し、一致団結出来たのは、陰陽道にも長けていた武一郎の、確固たる信念であった。

「武一郎によって救われたこの命。次して守るべきは、星南家の子孫とその勇士らである」

「しかし、不老不死の道を選ぶとは。永遠の命を得るということは、永遠の哀しみを背負うということになるのだからな」

「迷いが無かったといえば嘘になる。が、しかし。我は、武一郎や同志らに誓ったのじゃ」

 勇敢に戦い倒れた者たちの為にも、我が国を守り通したい。そんな思いが惣次郎の心を突き動かしていた。

「人が放つ憎悪や妬みにより、妖どもは何べんでも復活を遂げる。時に人の姿に化け、弱き心の隙間に入り込む。いかに剣技や術に長けていたとしても、弱者は容易に操られてしまうでな」

「……本当に恐ろしいものだな。人間の欲というものは」雄一郎が、顔を歪めながら呟いた。その時だった。突然、脱衣所の方から菜奈の叫び声が聞こえ、二人は顔を見合わせ風呂場へと急いだ。

「大丈夫か! 菜奈ちゃん」

 雄一郎が、脱衣所の突き当りに位置する風呂場の二つ折りアクリルドアを開く。と、同時に慌てて目元まで湯舟につかる菜奈を横目に、辺りを見回す。続いて浴室に入ってくる惣次郎もろとも、菜奈から木桶を投げつけられるも、二人は即座に避けて交わした。

 そこへ、遅れて駆け付けた奏人より強引に腕を取られ、二人は態勢を崩しながら脱衣所へと引き戻される。

「何やってんだよ勝手に!」

「我らは、菜奈の悲鳴を聞いてじゃな──」

 惣次郎が苦笑交じりに返した。刹那、今度はドアがぴしゃりと勝手に締まり、すぐにまた尋常ではない菜奈の叫び声を耳にして、奏人はドアをこじ開けようと力を込めた。

「くそっ、開かねえ……。三上、大丈夫か!」

「大丈夫じゃなーい! なんかいる、見えないけどなんかいるんだってば!」

 開閉が無理だと踏んだ奏人は、菜奈にドアから離れるように促すと、籠の中に置いてあったバスタオル片手に、ドアのアクリル部分を蹴破った。下の部分のみ、砕け散ったアクリル板を除けられてすぐ、菜奈は放られたバスタオルを掴み取り、急いで身体に巻き付ける。次いで、半べそ状態のまま脱衣所へと戻りへなへなとその場にへたり込んだ。

 そんな彼女と入れ替わるようにして浴室へ潜り込んだ惣次郎が、「おん、あぼきゃ、べいろしゃのう。まかぼだら、まに、はんどま、じんばらはらばりたや、うん」と、屈んだまま早口に手印を結ぶ。

「何なの、その呪文みたいなの」と、菜奈が不思議そうな顔で尋ねた。

「これは、光明真言というものじゃ。其方らにも覚えて貰わねばならぬが、それより、何か黒い影のようなものを目にしなかったか?」

「何も。でも、肩越しに誰かの気配を感じて……」

 菜奈が湯舟に浸かって間もなく、真上に設置された蛍光灯がちかちかと点滅を繰り返すようになり、少しずつ違和感を覚えた彼女が早々に湯舟から出ようとした。途端、耳元で男性の低く色っぽい囁き声を聞いたのだという。

「一瞬だったから何て言ってたのかは分からないんだけど、なんかものすっごくエロい声だった」

「えろい声? それはどのような声色じゃ」不思議そうに菜奈を見つめる惣次郎。そんな彼のきょとんとした表情を前に、菜奈は苦笑いを浮かべた。

「なんて説明すればいいんだろ……」

 まるで愛しい恋人を腕の中で抱きしめている時に発する声。と、いう言い方なら惣次郎にも伝わるだろうか。菜奈がいろいろ考えている間に、風呂場を確認していた奏人が、天井近くにある小さめの窓を全開し、辺りを見回していた。刹那、

「うわっ」

 一瞬、奏人の目の前を黒い靄のようなものが横切っていったことで、ほんの少し態勢を崩してしまう。すぐに惣次郎が奏人を護るようにして前に立ちはだかり、外を見遣った。

「式、やもしれぬな……」


 *


 惣次郎の枕元にある古風な花柄の行灯から、小さな灯りだけが漏れる薄暗い客間。

 あの後、奏人たちもカラスの行水並みに済ませ、八畳二間にて、早めの就寝となった。例のごとく襦袢を着て寝ようとする惣次郎に、菜奈からのダメ出しがあり、奏人同様、上下スウェットを着させられる羽目になってしまったのだが、

「やっぱ俺、じーちゃんとこで寝るわ」

 と、上体を起こそうとする奏人の腕を取り、

「ならぬ。菜奈がいつまた狙われるやもしれぬのじゃぞ、馬鹿者」

 惣次郎が静かに一喝する。

「いや、けど……これはさすがにヤバいって」

 八畳一間に雑魚寝状態の男二人。襖一枚、間に惣次郎を挟んだとはいえ、隣の部屋には菜奈がいる。しかも、その襖は開けっ放しときた。

 せめて衝立が欲しい。と、いう菜奈の為にネットで衝立を購入することになってしまったのだが、このような狭い空間に、惣次郎も一緒とはいえ、手を伸ばせば届いてしまう距離に好きな子がいるのだ。否が応でも緊張するし、どうしたって健全な男子なら眠れるわけがない。

 先ほどの怪奇現象が妖の仕業であれ何であれ、引き続き菜奈を護る必要がある。と、いう惣次郎の考えには賛同するが、奏人と菜奈にとってはいろいろな意味で落ち着けない空間だといえる。

「ねえ、襖ってどうしても開けておかなきゃダメ?」と、菜奈が少し離れた惣次郎を見つめいった。

「すまぬが、衝立が届くまでは我慢して賜れ」

「一週間もこのままなのぉ? 参ったなぁ~もう」諦めたのか、菜奈は不貞腐れたように言うと、惣次郎たちに背を向け、水色の冷感タオルケットを耳元まで手繰り寄せる。それを目にした奏人も、同様に溜息をつきながら惣次郎に背を向けた。


 なんでこんな目に遭っているんだ。奏人も菜奈も、未だこの奇妙な現実を受け止めきれずにいた。が、静かに話し始める惣次郎の声に二人は耳を傾け始めた。

「考えていたことがあるのじゃ。何故なにゆえなのであろうとな。清明殿とて手古摺るほどの相手、我らだけでは到底太刀打ち出来ぬであろう。勇士らを募ったとて、足並みが揃わねば同じこと」

 だが、しかし。我は其方らを信じている。そう、言い切った惣次郎の言葉に奏人も菜奈も、薄っすらとではあったが心を動かされていた。

「其方らが力を取り戻した暁には、八百万の神々の助力も得られるであろう。そうなれば、百人力じゃ。それに奏人には、清明さまをも超える力があると見ている」

「お、俺が?」と、奏人が少し呆気に取られたように振り向きいった。

「そんなことあるわけ──」

「其方なら、必ず燿汪を討つべく力を見出せる」

「ちょ、ちょっと待ってくれよ! 俺はまだ、全てを納得出来た訳じゃねえんだからな……」

 上半身のみを起して言う奏人に対して、今度は菜奈が溜息まじりにいった。

「まさか、ビビってんの?」

「はあ? 誰に言ってんだ」

「あんたしかいないっしょ。ま、そういうところ星南らしいけどね」と、菜奈もゆっくりと上体を起こしながら言う。

 またか。と、惣次郎も軽く溜息を零しながら上体を起こし、その場に胡坐をかいた。案の定、二人の不毛な言い合いが始まってしまう。

「俺がビビってるって?」

「昔のあんたなら、真っ先に乗り気になってたはずじゃん。それを、まだ納得出来たわけじゃないなんてさ」

「あのなぁ、俺はビビってんじゃなくて……」

 自分の中にある正義を試せる絶好のチャンスではあるが、菜奈まで危険な目に遭わせてしまうことへの罪悪感と不安を常に持ち続けなければならない。それに、これは紛れもない実践で、小説や映画、ゲームの世界などとは違うのだということ。そんな思いが喉まで込み上げて来ていた。


 ──自分に出来るだろうか。


「そうじゃなくて、俺は……」

「分かってるわよ。星南って見かけによらず真面目なところもあるから、一人で責任感じちゃってるんでしょ?」

 菜奈のこの一言に、奏人は一瞬ハッとして、しばらく考えた後、再び意を決したように二人に向き直った。

「俺たちがこれから挑もうとしている相手は、妖術を使ってくる化け物だ。これはゲームじゃない。死んだら終わりってこと」

「だから?」

「だから、生半可な気持ちでいたら死は避けられないってこと」

「そうなるとは限らないじゃん」

 菜奈も胡坐をかき、惣次郎と奏人の方をじっと見つめている。

「おまっ、これだけ言っても分かんねーのかよ」

「私なら大丈夫だって言ってるでしょ! 星南より腕は立つんだし、それに私たちが組んだら最強のバディになると思うんだけど」

 自分の本当の思いが、菜奈にも伝わっていたのだろうか。奏人はまた俯いて、

「三上には適わねぇな、ガチで……」

 と、言って項垂れた。全てではないが、菜奈からも自分と同じように思って貰えていたのかと、抱いていた不安が払拭された気がしていた。

「分かればよろしい。ま、あんたのそういう意外とお人よしなとこ、嫌いじゃないというか」

 何を言っているのだろう。菜奈はそんなふうに思いながらも、未だ俯き加減な奏人に、選ばれた者の一人として、燿汪を倒す為に覚悟を決めたことを伝える。

「私達には、ご先祖さま同様、戦える力があるんでしょ?」

「おう、あるとも」惣次郎がにこやかに微笑む。

「私は自分の力を信じる。正直、今はまだ不安でしょうがないけど……私たちにしか出来ないことなら、やってやるしかないじゃない。それに、星南のこと信頼してないわけじゃないし」

 少し唖然としたままの奏人をチラリと見遣り、惣次郎が楽しそうに声を上げて笑う。

「菜奈は誠に強い女子じゃのう。奏人も見習え」

 惣次郎から窘められ、一瞬、言葉を詰まらせるも、奏人は明後日の方向を見ながら厳かに眉を顰めいった。

「俺も、三上のこと信頼してる。だから、その……三上のこと護らせてくれないか」

 普段は絶対に言いそうもない言葉に、菜奈は呆気に取られながらもくすりと微笑って、また冗談めかしたように言い返す。

「しょーがないから、護らせてあげるわよ。私が星南を護る可能性のほうが高いと思うけどねぇ」

「いいや、三上にだけは絶対負けねえからな!」

「どうだか」

 また口喧嘩が始まりそうだ。やれやれと思いながら惣次郎が仲裁に入る。それにより、二人は再度互いに背を向け合った。

 その背中を交互に見遣りながら、惣次郎はまた苦笑する。

「そういえば、さっき菜奈が言っていた『えろい声』とは、どのような声を言うのじゃ?」

「「え?」」

「教えて賜れ」

 満面の笑顔の惣次郎と、何て言っていいのか分からない奏人と菜奈。しばらくの沈黙後、

「えっと、それはね惣ちゃん。……明日教えてあげるから、今夜はもう寝よう。ね」

 と、菜奈から諭された惣次郎は、「おやすみ」と言ってそそくさと寝に入る二人の背中を見届けると、横になりそっと目蓋を閉じた。


 決意を新たにした二人の思いを胸に抱きながら──。


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星南家の守り人 ~ 討妖伝 ~ Choco @yuuhaya

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