草のトンネル
僕は電車の席に座れず、運転席のそばに立っていた。手すりに肘をかけ、運転席から見える前方の景色を眺めていた。
「運転席を見るの、久しぶりだなぁ」
と、友達は言った。たしかに、子供のころは、運転席を眺めるのが好きだった。けれど、今となっては、運転席を見ることはない。子供のころのそういった行動は、いつの間にかやらなくなっている。久しぶりに、運転席を眺め、運転席から見える景色を眺めるのは楽しかった。秩父鉄道は、山の中を進んでいく。周りに緑が生い茂る、柵もない細い線路の上を進んでいく中で、水路の上をまたぐ短い橋の上を通るときは、見ていてなんだかひやひやとした。電車の横の窓から景色を眺めるのも楽しいけれど、こうして運転席から見える前方の景色を眺めるのも、楽しいものだな、と僕は思った。
長瀞駅で降りて、石畳に向かった。まだ、朝の九時頃だったから、石畳に向かう道に並ぶ店は開いてらず、人も少なかった。階段を降り、川岸に出ると、日光を反射して煌めく川と、迫力のあるむき出しの地層と、奥に連なる深緑の山々と、その上に広がる爽やかな夏の青空と、真っ白でふわりとした大きな入道雲が、一斉に僕の目に飛び込んできた。川の上では、赤いとんぼが何匹も飛び交っていて、夏の、美しい自然の眺めだと思った。
石畳の道を、進んでいった。硬い石畳を踏み、燃え盛る夏の太陽に肌を刺され、汗が溢れ、むき出しの地層の上の木々から鳴いている蝉の声を聞き、澄んだ青空と大きな雲を眺めると、僕は自然を全身に浴びているように感じた。石畳の道は険しく、大きな段差を上ったり下りたり、隙間を避けるために岩に飛び移ったりして進んでいくのだが、そうする中で少年のころのような気持になってきて、険しい道を進んでいくのが楽しくなった。
石畳を進んで隣の上長瀞駅を目指していたのだが、どこかで上る道を通り過ぎていたようで、もう進めないところまで来てしまった。そこでは、川が勢いよく流れ、白い飛沫を上げ、ざぁっと音を轟かせていた。
「もしかしたら、さっきの道かもしれないけど、どうなんだろう」
と友達が行ったので、引き返してその道を見てみると、そこには道とは言い難い、草が生い茂ったわずかな細い道があった。そこには蜂が飛んでいて、その道を進むには覚悟が必要だった。とりあえず、ここを進むしかないということで、僕らはその道を進んでいった。すると、左右から緑が生い茂り、草のトンネルのようになっている、「ほんとうにここを通るのか?」と思ってしまうような道が続いていた。僕は意を決してその草のトンネルに飛びこんだ。途中で蜘蛛の巣が引っかかった。そこを抜けて少し開けた道に出ると、僕は安心した。そして、上に建物が見え、やっと上長瀞駅に向かう道にたどり着いたようだった。僕らはしばらく、緑に囲まれた木陰から、生命力を感じさせる、勢いよく流れる川を眺めていた。そばには倒れた木があって、草や苔が生い茂っていて、良い眺めだった。そして、上に上って、道路に出た。蒼い木陰がかぶさる歩道を進んでいく。蝉の声が絶えず聞こえる。曲がるところで、開けた青空が見え、真っ白な入道雲が浮かび、日光が道路を照らしている景色が見え、いかにも夏休みだなぁ、と僕は感じた。
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