第12話魔女の業火
新月の夜。
いつもは月の輝きに隠されている無数の星たちが、今宵ばかりはと、こぞって夜空を彩っていた。
バシルコック自治区南部、農村地帯へと続く街道上に四つの騎影が浮かぶ。
騎乗者たちは一様に質素な外套をまとい、フードを目深にかぶっていた。
「そろそろだな」
「クラネイア、灯りはもうよい」
「ああ」
ゴドフロイの指示にクラネイアと呼ばれた女は手にした松明を投げ捨てた。
「さて、どうする」
問うたのはヴェルベドだ。
彼らはこの先の算段を何も話し合っていなかった。
「カベリヤ」
ゴドフロイがうながし、カベリヤは静かに顔を上げる。
「どうもこうもないわ。ただ行って、滅ぼす。それだけよ」
「逃げられたら、追うのは我々なのだがな」
「信用なさい」
ゴドフロイは自分たちの目的の大きさと、それに対する計画性のなさという差異にため息を吐く。
――バシルコック自治区の滅亡。
それを軍ではなく、たった四人で遂行しなければならないのだ。
従者を連れていくことも許されてはいない。
国とはいえないほどの小規模な集落とはいえ、その民は亜人だ。案山子を斬り倒すようにはいかないだろう。
彼らの国は古に繁栄したのち一度滅びており、今ではその子孫が国の再興を夢見て平穏に暮らしていると聞く。
敵対しているわけでもなく、滅ぼしたところでグウェリアの国益となるわけでもない。
戦う理由などないに等しいのだが。
――魔女カベリヤの力を以てそれを為せ。
それが、勅命であった。
カベリヤとは先日まで殺し合っていた間柄だ。実力はよく知っている。しかし、だからといってその心情までは知りえない。帝国に与したとはいえ、いつ裏切るかわかったものではないのだ。それが今夜だとしたら、ゴドフロイたちは死ぬだろう。
「当てにしている」
心にもない言葉に、カベリヤは微笑みで返して馬を進めた。
三人の騎士もそれに続いて暗夜を行く。
満天の星が輝くものの、その光は地上を照らすにはあまりにも脆弱であった。
響くのは虫の音と、風に揺らぐ草木のざわめき。そして、時節聞こえてくる獣の咆哮。
馬は手綱をにぎる主を信じて静かに歩く。
しばらくして、カベリヤが肘を引いた。
「馬はここまでよ」
「なぜだ?」
ヴェルベドが問う。
「帰りに使いたいでしょ?」
「……やれやれ」
あっけらかんとしたカベリヤの物言いに何かを察して、ヴェルベドは了承する。
全員が馬を下りたところでカベリヤが外套の内側から小瓶を取り出した。
液体が入ったそれを一本ずつ騎士たちに手渡す。
「これを村の外周に撒いてらっしゃい。半周くらいでいいわ。風上には撒いちゃだめよ」
「お前はどうするのだ?」
「のんびり待ってるわよ?」
ヴェルベドは小瓶を一瞥し、クラネイアに渡した。
「なら俺はここに残ろう」
戻ってきたときに馬もろともカベリヤが消えていたとなれば笑い草だ。
それ以前に、今回の任務は勅命である。
失敗は許されない。
「信用がないのね?」
「ただの護衛だ。気にするな」
平静に言ってはいるが、カベリヤが裏切ればヴェルベドとてただではすまない。
共に残るということは万が一のときには最初に死ぬということだ。
少なくとも、刺し違える覚悟がなければできないことだった。
「ま、お好きにどうぞ。ほら、あんたたちも早く行きなさい。ここでサボってる奴の分まで働くのよ」
「怠けているのは貴方では――」
「んふ?」
余計な口を出そうとするクラネイアをゴドフロイがひっぱっていく。
「どうしてお前はそう一言多いのだ」
「なんだ突然、恐ろしい顔をして」
「恐ろしいのはお前だ……」
「そんなに怒ってばかりだとエイクレアちゃんに嫌われ――」
鈍い音と呻き声を最後に、二人の姿は闇へと消える。
それを見届けた魔女の口角は微かに上がるのだった。
◇
辺りが暗いため、全容まではわからないが、集落は木製の柵で囲われているようだった。
戦争を想定した防壁などではなく、野獣の侵入を防ぐための簡素なものだ。
ゴドフロイとクラネイアは柵を乗越え二手に分かれた。
村の地勢を把握するためだ。
小瓶の中身を有効に利用できる場所はどこか。事が起きた際、住民たちはどこから逃げるのか。
それを考え、知らねばならなかった。
帝国騎士ならばその程度のことは当然こなす――魔女カベリヤもそれを踏まえた上で指示をしていた。
住民たちは寝ているのだろう。村は静寂そのものだった。
土を踏む音が聞かれないよう、家屋からはできるだけ離れて移動する。
集落の最北端にたどり着いたところで、ゴドフロイとクライネアは合流した。
二人は示し合わせるように頷き、小瓶を取りだす。その中身の正体は知れていた。
――血だ。
帝国との争いの中、魔女カベリヤは己の血を用いて数々の奇跡を行使した。
わずか一滴の血を垂らすだけで理外の力が喚び起こされるのだ。
力の形は様々だが、
二人は魔女の血を垂らしていく。
おそらく水や土に混ぜては効力は薄れるだろう。
植物の葉や道端の石などに、丁寧かつ迅速に血の雫を落としていく。
村をひとつ呑みこもうというのだ。絵筆で描くようにしていては血がいくらあっても足りない。点と点を結んで半円となればそれでよい。
風の吹き抜けなども考慮して、災いを逃れられそうな場所にも垂らしておく。
仕上がりは完璧だ。
「戻るぞ」
「ああ」
頷くクラネイアの声音はどこか沈んでいた。
村を出た二人は闇夜を歩く。
ゴドフロイが前を行きそのすぐ後ろをクライネアがついて行く。
「なぁ、ゴドフロイ」
「なんだ」
「これで良いのか?」
クラネイアが何を言いたいのかはわかっている。
しかし――。
その疑念を正面から受け止められるほどの器量を今のゴドフロイは持ちあわせていなかった。
「……カベリヤの要望は満たした。なにも問題はない」
「そうだな……なんでもない。忘れてくれ」
◇
「遅かったわね」
「ああ、すまない」
「ヴェルベドが口を利いてくれなくて、退屈してたところよ」
戻ってきたゴドフロイとクラネイアをカベリヤが迎える。
ヴェルベドは雑木に背を預けて腕を組んでいた。
クラネイアがヴェルベドに声をかける。
「無事でなによりだ」
「あら、ありがと」
「貴方に言ったのではない」
「でしょうね」
横からの返答にクラネイアは苛立つが、カベリヤは気にも留めず微笑を浮かべている。
「始めよう」
ヴェルベドが告げると、カベリヤは右手を村の方角へと伸ばす。
親指に重ねた中指に力が溜まり――。
パチンッ。
空気の弾ける軽快な音が鳴り響く。
途端。
世界は紅蓮に燃えあがった。
◇
燦々と輝く空。
無数の火柱が昇る。
その熱量は凄まじく、大地を融かして村の北半分を囲うように、何者も跨ぐことのできない境界線を描いた。
派生した旋風は火炎を伴い村を包みこむと、星々の煌きさえも吞みこんで夜を紅く染めあげる。
魔女の血によって起こされた火柱はすぐに鎮まりをみせるが、燃え広がった炎は勢いを増していく。
全てが燃え尽きるまで消えることはないだろう。
「行きましょう」
カベリヤたちは村へと向かう。
おそらく生存者はいない。
あれほどまでに苛烈な勢いでは、もはや風向きなど関係がない。どこへ逃れたしたとしても熱風で焼け死んでいるはずだ。
「案外平気なものね」
カベリヤたちの正面、村の南側にいくつかの人影が見えた。
竜――というよりは蜥蜴に近い風貌の亜人。
火と煙から逃れるために風上に集まったのだろう。
村の外に出ようとする様子はない。突然の災いに、ただ呆然としているのだろうか。
いや、滅びが確約されたことを彼らはまだ自覚していないのだ。
子を抱え、涙を流す者。現状を受け入れられず叫び声をあげる者。死者を悼み、嘆きと悲しみにうちひしがれてはいても、自分たちは助かったのだと思い込んでいる。
何が起きたのかはわからない。村は焼失し、大勢の仲間が死んだ。しかし、神の慈悲か、祖先の加護か、自分たちはかろうじて生き残ることができたのだ、と。
「こんばんは」
場違いな挨拶に、亜人たちが一斉に振りかえった。
ゴドフロイは彼らを観察するが、特に脅威となる要素は感じられなかった。
亜人といっても化物ではない。人間に近い存在なのだ。体格も、さほど変わりはしない。
一人の亜人が口を開く。
人語には程遠い、鳴き声とも符丁ともつかない独特な言語。
当然、グウェリア人であるカベリヤたちには理解ができない。
「勘違いしないでね」
直後。
風を切る音が鳴り、亜人の眉間にスローイングダガーが突き立った。
カベリヤの外套がはためき、すらりとした脚線があらわになる。
大腿に巻かれたベルトにはいくつもの短剣が装着されていた。
狩る側も狩られる側も、一斉に。
女子供は殺戮者から少しでも離れるために走り、男たちは無手でカベリヤたちの前に立ちはだかった。
そして――――数瞬で殺された。
まず、抜剣したヴェルベドが一振りで正面の亜人を切り伏せた。
次いで、咆哮を上げてつかみかかってきた亜人の喉をクラネイアの剣が貫く。
その間にゴドフロイは二人の亜人を仕留めていた。
逃げだした亜人たちはいずれもスローイングダガーの餌食となった。
カベリヤは腰元から短剣を抜きながら、足を押さえて泣き叫ぶ亜人の女に近づいてその首を刈った。
亜人が抱えていた子供もろともに。
「あっけなかったな」
竜の血族という触れ込みが伊達だったわけではない。
そこらの盗賊であれば難なく撃退できる力は持っていたのだ。
グウェリアの騎士、そして魔女。襲撃者が異質すぎたのだ。
この者たちは他者を圧倒する力を有しており、油断もなければ抜け目もない。
「まだよ」
「そうだな……でてこい」
ヴェルベドの声に反応するように、倒壊して燻っていた家屋の残骸が蠢いた。
黒く焦げた木板を押しのけて現れたのは三人の人間。
成人しているであろう男女とまだ幼い少年だった。
「グウェリア人か」
「……はい」
上擦った声で男が答えた。
男は全身に火傷を負っていた。
女と子供は煤で汚れているようだが無傷だ。
「ここで何をしている」
「……行商を……家族で……助けてください……」
「すまない」
ヴェルベドはゆっくりと三人に近づいていった。
生かしてこちらの正体を勘ぐられても困るのだ。
ただの商人であるのなら殺さない理由はない。
「お願いします……お金なら差し上げます……金貨があるんです。馬車に、燃えてます……けど……お望みなら今すぐ拾ってきます。だから家族だけは……!」
間合いに入ったヴェルベドが丁寧に剣を構える。
ヴェルベドの技量なら、相手を苦しまないように殺すことも可能だった。
力みのない脱力した自然体。数瞬後には常人には知覚できない剣閃が男を殺すだろう。
しかし、ヴェルベドがそこから動くことはなかった。
剣を振ることも、構えを解くこともせずに静止している。
「なんのつもりだ。クラネイア」
ヴェルベドと行商人の間に、クラネイアが立っていた。
力強く鋭い眼光がヴェルベドを差す。
「生かせるのなら生かすべきだ」
「それができぬと言っている」
「できるさ。ただ見逃せばいい」
「……剣を引け、斬るぞ」
「好きにしろ。私は貴方を斬らない。ただこの者たちの盾として貴方に斬られてやる」
「血迷ったか」
「血迷っているのは貴方だ、ヴェルベド。この者たちを殺す理由なんてないんだ」
「残念だ」
ヴェルベドは剣の柄を強く握り締めた。
自然体は解かれ、今は殺意が全面に溢れていた。
「待て、ヴェルベド」
止めたのはゴドフロイだ。
彼の剣はどちらにも向けられてはいない。
「ゴドフロイ、よもや貴様まで血迷ったわけではあるまいな」
「いや、クラネイアは殺すな。我々にその裁量は与えられてはいない」
皇帝から叙任を受けた騎士は皇帝の所有物に等しい。それを自分たちの一存で損なうことは許されない。
ゴドフロイは暗にそう告げているのだ。
行商人とその妻子に不要な情報を与えないよう言葉を選んで。
「理解はした。だが、詭弁だ」
「あー、やめやめ。やめなさーい」
なおも剣を下ろそうとしないヴェルベドに、今度はカベリヤが割って入った。
「貴様は黙っていろ」
「あーやだやだ。殺気立っちゃってまぁ。平和的な話し合いで解決できないのかしらねぇ」
カベリヤは面倒くさそうな表情でクラネイアの後ろにいる三人に歩みよる。
「カベリヤ」
「あなたも剣を下ろしなさい。子供が怯えているじゃないのまったく」
「ヴェルベドの気が変わればそうするさ」
カベリヤはその場にしゃがみこんで目の高さを少年に合わせると、にっこりと微笑んだ。
「ねぇボクちゃん。私たちは悪い人かしら」
「え……」
「私たちのしたことってぇ、悪いことなのかなぁ?」
少年はすぐに答えることができなかった。
答えを間違えば父も母も殺されるのではないか。
そんな気がしたからだ。
そのような重圧、とても少年に耐えられるものではない。
「……わか……ない……」
「んー? なーにー? きこえないよぉ?」
「わかんな……わかりません」
「そっかそっかぁ。じゃあ考えてみましょうねぇ。私たちがぁいい人ならぁ、私たちが殺そうとしてるあなたたちはぁ悪い人ってことよねぇ。だとしたらぁ私たちはぜぇったいにあなたたちを見逃さないの。だけどねぇ、あなたたちがいい人ならぁ私たちは悪い人なのよねぇ。そのばあい、私たちは改心しなくちゃ神様に罰をあたえられちゃうの。だからぜぇったい改心するの。わかるかなぁ?」
青ざめる両親をよそに、少年は必死に頭を働かせて考える。
行商人の父と母についていろいろなところを旅した。
お手伝いもたくさんした。
この前だってお金の勘定をしてみせた。
父も母も頭がいいとほめてくれたのだ。
だから、わかる。
この人たちがいい人なら父も母も悪い人として殺されてしまう。
だったら、このお姉ちゃんは悪い人だ。
お姉ちゃんは神様が恐くて改心したいんだ。
きっともうこんなことしたくないんだ――。
「お姉ちゃんは……わるい人」
「残念。外れよ、坊や」
「カベリヤ……!」
クラネイアは叫び、カベリヤを振りかえる。
そして、彼女は硬直した。
カベリヤは少年の頬を優しくさすっていた。
いつの間にか血に濡れた手で。
「私たちはね。皇帝陛下の勅命で動いているの。この三人はグウェリアの騎士よ。あなたの
魔女の血に触れてしまった少年は手遅れだった。
少年は消えていた。
跡形もなく。
消えていた。
両親から悲鳴があがり、そして――。
「貴様ぁああ!!」
憤りに任せた剣がカベリヤに振り下ろされる。
身をひねることで難なくかわすカベリヤ。
そしてカベリヤはクラネイアの首筋に触れる。
「嫌いではなかったわよ」
瞬間。
クラネイアは消失した。
少年と同じく。
消える前兆はなく、消えてからの痕跡もない。
身に着けていた衣服も、強く握られた剣も、肉体も精神も何もかもが消え去った。
カベリヤは残された夫婦に目を向ける。
二人の顔に怯えの色はない。ただ、絶望していた。
「さ、あなたたちはどうやって殺そうかし――あら?」
突如、二人の胸から剣が生えた。
ゴドフロイとヴェルベドが手を下したのだ。
「すまぬ」
夫婦は崩れ落ち、互いの手を握りあうとそのまま息を引き取った。
男の背は酷い火傷で爛れていた。
妻子を咄嗟にかくまうためか、崩れ落ちる家屋から庇ったのかはわからない。どうであれ、家族を守るために痛みを耐えてあんな場所に埋もれていたのだろう。
「命を、
ゴドフロイの声は怒りに震えていた。
それでもカベリヤに剣を向けないのは彼女が強いからではない。
彼女が正しいからだ。
勅命はここに果たされた。
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