第22話 守ると決めた

 アタシ達は今旅館に戻って来ていた。

 涼葉さんから静音の話を聞いてどうするのか二人で考えていたのだ。


「まさか静音にあんな過去があったなんて……」


 アタシは静音のことを何も知らなかった。

 過去のことを聞こうとしても基本的にはぐらかそうとしてくるか凄く嫌な顔をしてくるかのどっちかだったからだ。アタシもそれ以上聞こうとはしなかった。聞くのは駄目だと認識していたからだ。それがまさか両親とは血が繋がっておらず、本当の母親は難病で既に他界している。

 涼葉さんから聞かなければきっと知ることもなかっただろう。


 それに静音が昔は自己肯定感が少なく劣等感が強いと聞いたときには驚きしかなかった。

 静音はいつも自信ありげに話していることが多かったからそういうのはかなり持っているのかと勝手に思っていたのだ。それに、アタシは少しいつもの静音を羨ましく思っていた。



『俺は與那城に違和感を感じていながらもそれを見てみぬフリをしてきました。それが本人の為にもなると信じて……。ですが、それが返って本人を更に閉じ込めることになったんだと思います。俺は同期でありながら何も出来ませんでした。申し訳ありませんでした……』


 竜弥が涼葉さんの目の前で頭を下げている姿をあのとき見つめていた。

 きっと竜弥は涼葉さん達のことを不甲斐ない親だと思っていたのだろう。しかし、実際には少し言葉が足りなかったとはいえ静音の未来を考えての『自由にさせてあげたい』ということが分かり、竜弥は深く後悔したのだろう。


「千里、俺は帰ったら與那城とちゃんと話してみる……。あいつにキレられそうな気もするけどちゃんと向き合うよ」


「アタシも手伝う、アタシも静音の同期だからね」


 これ以上静音を苦しませる訳にはいかない。

 そして、それは静音だけじゃない……。目の前にいる竜弥のことを見つめながらもアタシはある決意を胸に秘めていた。部屋を出ようとしたとき騒ぎでも起きたのだろうか、声のようなものが聞こえている。何かあったのだろうかと私たちは声の方へと近づいた。


「どうかしたんですか?」


 騒ぎの声は只事ではないのは分かっていた。

 なにか重大なことが起きているそんな予感がしていた。


「息子たちが居ないんです!先ほどまで一緒にいたのですが……!」


 子供がいない……。

 いったいなぜ……?何処かの階層で迷子になっているのだろうか、そんなことを考えていると竜弥はすぐに体を動かしていた。それと同時に私も体が動いていた。


「竜弥……何処行くの!?」


「此処に来る途中、廃墟になったホテルがあっただろ!恐らく子供達はそこに向かっているんだ!」


「どうしてそれが分かるの」


 確かに此処に来る途中、温泉街に似つかわしくない廃墟のようなものがたくさんあった。確かに肝試しするようなところとしては……。


 まさか……!?


「もしかして肝試しって……こと?」


「ああ、そういうことだ。出来れば当たっていて欲しくはないけど……。念の為フロントに子供が行方不明になったということを伝えておこう」


 フロントまでやって来たアタシ達……。

 できる限り早くそれでいて落ち着いた様子で説明をした。説明をしたところ、館内で子供達を探してくれるということだった。アタシ達は感謝の言葉を述べて玄関を出て廃墟の方へと向かうのであった。


「竜弥……朝になるまで待った方がいいんじゃ……」


「今夜中に探さないと何処に行ったのか分からなくなるかもしれない。もちろん危険なのは分かってる……!!危ないと思うから千里は……」


「部屋に戻るわけないじゃん、竜弥が心配だから!」


 心配だからと言われて竜弥はハッとしたような表情をしていた。その後すぐ嬉しそうに笑っているような表情を浮かべていたが複雑な表情もしていた気がした。

 危険だから止めるべきかもしれないとアタシは思ったが、竜弥にそう言われては止めることすら出来なかった。なによりこう帰れと言われて帰る気はなかった。アタシは竜弥のことが心配なのだから。


 もう二度と竜弥を傷つけさせたくない……!!





「此処だな……」


 建物の前までに来るとそこは何年も前に廃墟となっているホテルであった。中は当然真っ暗で窓など割れている箇所が多々ある。


 はっきり言ってこの感じからして……。


「出そうだな……」


 竜弥は独り言のようにその言葉を投げかける。そう思ってしまうのも当然かもしれない。見た目が見た目なのだから。目の前を見ると、本当に少し分かる程度だが侵入禁止のバリケードがズレているような気がする。

 もしかして本当に……。


「これなら行けるよね」


 アタシは竜弥の手を取り二人で廃墟の中へと入って行く……。

 竜弥はこういう場所がダメなのは分かっていた。ダメだろうとそれでも此処に来たのは助けたかったからに決まっている。そう言うところが本当に竜弥らしい。


 スマホのライトで中に入ると、建物の中にはヒビが入ったりしていて長居するのはかなり危険みたいだ。早いところ子供達を見つけて此処から出よう、そう思ったときであった。


「これ足跡だ」


「ほんとだ」


 窓ガラスが割れているからか雨が中に入ったのだろう。

 そこには水溜まりが出来ていた。踏んだのだろうか足跡が続いているようだ。


「追ってみよう」


 私は竜弥を追いかけながらも周りが崩落しないか確認しながら歩いていた。


「ちょっと不気味だな……」


 やって来たのは壁画が飾られている場所なのだがその壁画があまり趣味がいいものとは思えないものであった。昭和というのだろうか、それを象徴させるかのような感じは出ていた。


「此処で足跡は消えているな……」


 二階に上がり、少し歩いた先から足跡は消えていた。

 どうしたものかと竜弥は爪を噛んでいると、三階から大きな物音のようなものが聞こえていた。


「竜弥この音って……!」


「間違いない、三階からだ……無事でいてくれよ」


 聞こえて来た上の階からの音を頼りにして三階へと目指す。

 三階へと辿り着くとそこは上の階から崩落したような瓦礫が崩れ落ちそうになった。目の前を照らすとそこには子供二人が怯えたように立っていた。


「もしかして天屋に泊まっていた子供達か!?」


「う、うん……」


 よかった、子供達は無事だったんだ。

 一安心したアタシは息を吐いていた。


「そうか、色々言いたいことはあるけどとにかく無事で良かった……!こっちには来れそうか!?」


「む、無理だよ上の階が崩れそうになってるんだもん」


「怖いのなら目を瞑って真っ直ぐに歩いて来い、もし上の階が崩れそうになったら俺が飛び込んで助けるから」


 冷静な言葉で竜弥が言葉を投げかけると、二人の子供は急ぎ足でこっちに来ようとしていた。

 竜弥は二人の子供に急いで駆け寄り、二人を抱きしめて向こう側に行こうとしたときであった。上の階から嫌な音が聞こえてきたのだ。竜弥はそれをすぐに察して……。


「千里、頼む!」


 まずは一人の子供をアタシの方へと投げる。アタシはちゃんと子供を受け取ると、子供に「大丈夫?」と声を掛ける。すると、子どもは「うん」と頷いていた。

 アタシがちゃんと受け取ったのを見てもう一人目の子供を軽く突き飛ばすとアタシはその子をちゃんと受け取っていた。上を確認すると、今にも崩落しそうになっていることに気づく……。


 まずい、このままじゃ竜弥が瓦礫の下に埋もれることになってしまう。

 そんなの駄目だ。そんなの絶対……。またあのときと同じことを繰り返させちゃ絶対に駄目……。


 もうあのときのような気持ちは絶対に味わいたくない……!



「りゅう……!!?」


 自分の声が出にくくなっていることに気づいた。

 間違いない、あのときと一緒だ。竜弥たちとカラオケに行ったあの日と……。あの日は偶々あのことを思い出してしまって声が出なくなってしまっていた。カラオケのとき同様、アタシはあのときのことを思い出してまた声が出にくくなっているんだ。あのときの記憶が鮮明に思い出してしまっているんだ。


『竜弥……!竜弥、しっかりして……!!』


 あの日の記憶が鮮明に思い出される。嫌だ、竜弥を今度こそ失ってしまうかもしれない。

 それだけはアタシは……。竜弥に手を伸ばそうとしたときであった。誰かが竜弥の手を引っ張ってそのまま壁際へと軽々と投げ飛ばしたのだ。


 アタシはそれを茫然と見ていると、そこに立っているのは筋肉質の男性であった。

 この人は確か天屋の旅館の主人の人だったはず……。どうして此処に……。


「間一髪だったな……」


 淡々とした口調で竜弥のことを助けてくれた男性……。

 その男性が竜弥のことを投げ飛ばしたの同時に瓦礫がアタシ達が居る階へと降りて来て、アタシは子供たちを囲むようにして瓦礫の破片から守っていた。


「大丈夫か?」


 瓦礫の破片が転がるのが終わったのを見てアタシが囲んでいた二人の子供に男性は話しかけてきた。


「うん、ありがとうね!お兄ちゃんは大丈夫なの?」


「ああ……多分な」


 投げ飛ばされた竜弥の方を見て子供たちは心配そうにしていた。

 竜弥は自力で立ち上がっていたが、何処か思うところがあるような表情をしていたがそれをすぐに切り替えて子供たちの方へと駆け寄っていた。


「怪我してないか?二人共」


「うん、大丈夫だよお兄ちゃん!弟の方も大丈夫!!」


「そっか……次からはこんな場所来ちゃ駄目だからな?こういう場所に来て肝試ししたり探索したい気持ちは分かるけどこういう場所は危ないから閉鎖されたりしているんだ。さっきみたいにもし瓦礫が落ちて来て下敷きになったりしたら二度とお母さんやお父さんの元に帰って来れなくなるかもしれないんだ。無事に戻って来れても腕や足を失うことになるかもしれない。そんなの嫌だろ?」


「ごめんなさい……次からは気をつけるよ」


 竜弥は子供を怒ることなく優しく論するようにして二人の子供に話しかけていた。

 二人の子供は竜弥の話を聞いて頷いていた。やっぱりあの頃から竜弥は変わってないんだな、人のことを頭ごなしに否定するんじゃなくてちゃんと駄目な理由を説明して次からは気をつけるようにと言うところ。

 アタシはその姿を見て少し嬉しくなっていた。


「それじゃあ約束できるか?」


「うん、絶対に約束する!」







「本当にすいません、ウチの子が……!」


 旅館の中に戻った瞬間、子供達の両親達が待っていた。

 二人の子供のことを抱き抱えている姿を見て二人が無事で良かったとアタシは思っていた。


「なんとお礼を言ったらいいか……」


「気にしないでください、俺はなにもしていませんから……」


 竜弥はそう言って去って行くと、先ほど一緒に男性が竜弥のことを呼び止めていた。





「どうして勝手な行動をした?」


 旅館の廊下を出たところにある非常用の階段で竜弥と先ほどの男性は喋っていた。


「どうしてって……誰かが早く行動していなければ子供は死んでいたかもしれないんですよ」


「……その結果がアレか?最悪、自分が死ぬところだったのかもしれないんだぞ。それを分かっているのか?」








「どうだっていいんです、そんなこと」





「え……?」


 アタシの聞き間違いかもしれない。

 何かの聞き間違いかもしれない。アタシはそうとしか思えなかった。


「本気で言っているならその感情に突き動かされそうになるな。間近に居る人のことを悲しませることになるぞ」


 男性はそれ以上何も言わず旅館の中へと入って行くのを見て、アタシはその人のことを追いかけた。


「あ、あの……静音のお父さんですよね……?」


「私は静音のお父さんと呼ばれる筋合いはない。それより早くあの青年のところに戻ってあげた方がいい。取り返しのつかないことになる前に」


 何故静音のお父さんが自分が父親であることを否定するのか、一瞬分からなかった。

 だけど、何故否定したのかはすぐに分かった。きっとあのお父さんは自分のせいで静音がこうなってしまったと後悔しているのだろう。だから、私はこう声をかけたのだ。


「あの……私のお父さんも不器用な人でした。私にはバンドをやめろと言うのに、私のバンドのことはちゃんとチェックしていてそれでいてライブも見に来てくれていて、それを知らなかった私はお父さんのことをうざいと思っていました。だけど、二年生のとき学園ライブでようやく認めてくれて嬉しかったです」


「何が言いたいんだ?」


「私がどうこう言える立場じゃないのは分かっています。それでも私が言いたいのは、静音にとって貴方はきっといい父親ではあったはずなんです……不器用なりにも」


 静音のお父さんは「そうか」とだけ言っていた。その表情は何処か救われたようなそんな表情をしていた。これで少しは與那城家の背負う物を軽く出来ただろうか。余計なことをしたのかもしれない。だけどこれは言うべきことの一つだったはず。

 アタシは後悔なんてしてない。


「今度こそあの青年のもとに行ってやれ」


「はい……!」


 私は與那城のお父さんに返事をして竜弥のことを追いかける。

 今度こそ、今度こそ竜弥を……。





『俺が千里の傍にいる。絶対に守るから』


 あのとき、ああ言ってくれた。

 だから今度は……アタシが守る。


「りゅう……」


 旅館の方へと入って行く竜弥に声を掛けようとしたが、また声が途中で出なくなってしまう。

 お願い、お願い。今だけは声を出させて……。今竜弥を呼び止めないと竜弥が何処か遠い所に行ってしまうような気がするの……。


 お願いだから……!







 場所は今更衣室……。

 竜弥に本当のことを聞くなら此処しかチャンスはない。二人っきりの場所……。此処で聞かなければチャンスはない。車でも聞けるチャンスはあるけど、今聞かないと竜弥との距離はどんどん放されていくばかりになってしまう。

 実際、部屋に戻って来たとき竜弥と話すことは出来なかった。とても話せるような状況ではなかったからだ。だからこうしてアタシの退路も竜弥の退路も断つことで話し合うしかない。


「千里か、そうか交代の時間だったか悪いな」


 貸切露天風呂の中に入ると、竜弥が露天風呂の中から出て来て露天風呂から出ようとしていた。アタシは露天風呂から出ようとしている竜弥の体を掴んだ。掴んだ場所は腕だった。竜弥が抵抗しようとする前にアタシはある行動に出ようとしていた。


 一か八かアタシだってこの行動はしたことがない。

 成功するかなんて分からないけど、此処でやらなきゃ二度とチャンスは巡って来ない。


 今やるしかないんだ。





「ちさ……と……?」


 言葉で表すことも出来たのかもしれない。

 出来たかもしれないけど、それはきっとあの症状に引っ張られて言えなくなってしまう可能性もあった。だからこそ今回こそはちゃんと伝えたかった。



 あのとき伝えこそなかった行動で……。


「アタシは……竜弥が……死ぬのは……絶対に嫌……!!」


 途切れ途切れで喋られなくなりそうになっている言葉をなんとか繋いでアタシは竜弥に今思っている想いを伝えた。


「……俺は千里の声を奪った男なんだぞ。そんな俺が生きる資格なんてないだろ」


「もう昔のことでしょ、それに竜弥が……悪い訳じゃない」


「今だって声を無理して出してるのにか?」



「!!?」


 竜弥はアタシが無理して声を出しているのを分かっていたんだ。

 それがいつからは分からない。いや、きっと竜弥のことだ。カラオケのときからそのことに気づいていたのかもしれない。そしてそれが確信に変わったのは先ほど廃墟で竜弥の名前を呼ぶのを途中で止まってしまったときからだろう。勘のいい竜弥のことだ。気づくに決まっている。


「やっぱりそうなんだな。だろうな、そうだと思っていたんだ。あのときカラオケで感じた違和感は事実だったんだな。俺は結局千里の声を取り戻した訳じゃなかったんだな……」





「そうやって……適当な理由繕って……逃げたいだけなんじゃないの……」


 その言葉を聞いた瞬間、竜弥は今にも怒りそうな表情をしている。


「やっぱり図星なんだ?そうやってアタシの前から……二年も逃げたんだもんね。アタシから声を奪ったとか……アタシを傷つけたとか……後は仕事が忙しいから……アタシに会えないとか適当な理由作って……二年間会わなかったんでしょ?全部知ってるから……いいよ、もう」


「違う、俺はそんな適当な理由なつもりで……千里から逃げたんじゃ……!」


「じゃあなに?」


 アタシが煽るような言葉ばかり投げかけたのにはちゃんと理由がある。

 竜弥の口からアタシから離れた理由をちゃんと聞きたかったからだ。大方の理由は想像がつく……。だけど、それをちゃんと口にして貰わないとアタシの気が済まないと思っていたからだ。


「俺が千里に相応しくないと思ったからだ……」





「馬鹿……」


 アタシは竜弥の体を掴んだまま温泉の中へと一緒に入った。

 竜弥の方は体をぶつけたようで少し痛そうにしていたがアタシにはそんなの関係なかった。



「相応しくないとか……なに?アタシの声を奪ったから……!?そんなのもう……どうだっていいじゃん!!アタシの声は……ちゃんと此処にある!アタシの歌声は……ちゃんと此処にある!そりゃあ今だって声が……出にくくなることはあるよ!!だけど、それでもアタシは……全然苦しくなんてなかった……!なんで分かる!?」





「竜弥がアタシの歌声が……好きだって……言ってくれたからだよ!?」


 その言葉を聞いて竜弥はハッとしていた。

 そう、この話はアタシが竜弥と初めて出会った頃までに遡る。偶々家出していた竜弥がアタシが公園で歌っているところを聞いてそれを聞いて「歌声が好きだ」と言ってくれたのがとても嬉しかったのだ。初めてちゃんと人に歌声を聞かせたのだ。それを好きだと言われてアタシは嬉しくて仕方なかった。自分の歌声に自信がなかったアタシはとにかく嬉しくて仕方なかったのだ。


「だからアタシは……声が出なくなったときも出せるようにと頑張れた!!恵梨たちが……傍に居てくれたのは勿論あった!それ以上に竜弥がアタシに必要以上に……傍に居てくれたからじゃん!声が出ないアタシに変わって……アタシの言いたい事言ってくれたり要らない介護までしてくれたりしてさ……!なのに……!なのに……!!」




「アタシの傍から……居なくならないでよ……馬鹿……。居なくなるなら、今度は……」





「アタシが竜弥のことを守るから」


 言い切った。アタシが言いたかったこと全部言い切った。声は次第に途切れ途切れからちゃんと出るようになっていた。正直こんな言葉を言ってしまったからメンヘラだとかそんなふうに思われてしまうじゃないかって心配がなかった訳じゃなかった。だけど、アタシのことを好きだって言いかけたくせに二年もアタシのことを放置した竜弥の方が悪い。

 アタシのことを好きにさせた竜弥が悪い。





「本当にごめん……」


 アタシの思いが伝わったのか、竜弥は頭を下げていた。

 本当に伝わったのかは分からなかった。だけど竜弥の声色を聞く限り決して悪いものではなかったのは気づいていた。だから、私は竜弥の手を取り握った。

 竜弥の手は温かくそれでいて硬かった。


「ごめんと思うなら……アタシがさっきしたこと竜弥の方からして」


「お、俺から……?」


「っそ……竜弥の方から……」


 竜弥はかなり戸惑っているようだったが、深呼吸をした後覚悟を決めたのかゆっくりと顔を近づけて来てそのまま……。






 アタシ達の間で暫く空白の時間が続いたような気がする。

 聞こえていた音は温泉が揺れ動く微かな音と外の音だけだった。それを音楽にしながらアタシは竜弥からの貰い物を嬉しく受け取っていた。


「これで満足か……?」


「うん、満足……」


 凄く余韻が残っていることは竜弥には伝えなかった。

 正直伝えるのはかなり恥ずかしかった。


「そ、そうか……あのさ千里……いい加減離れてくれないか?流石に近すぎるって言うか……」


「えっ?あっ、ごめん……アタシ結構大胆なことしてたんだね……」

 

 自分達の今置かれている状況がかなりヤバいというのに気づいてアタシは温泉の中で座り直すと、竜弥も座り直していた。温泉の中に入ってちゃんと浸かってみて分かったが、中々良い湯加減であり極楽というものはこういうことを言うのかもしれない。景色を見れば真っ暗であまり見えないが、下の方からは滝が見えており中々な風情となっている。

 なんか竜弥にさっきまでしたことを気を紛らせるためにやっているようにも見えて少し滑稽かな……。自分のことを自虐しながらも少し小声で笑っていると竜弥は咳払いをしていた。


「その……今まで悪かった千里……」


「もういいよ、竜弥がアタシの傍から離れないってちゃんと証明してくれたから。まあ証明しても逃げるようだったら竜弥の黒歴史とさっきまでアタシのこと思いっきりガン見してたってことを恵梨たちに言うとしていたけどさ」


「そ、それは……悪かったよ」


 まあ竜弥も男の子だし仕方ない。

 大体こんな大胆な行動をしたアタシのせいってのもあるし……。でも竜弥がちゃんとアタシのことを見ていてくれたのは……なんというかその……嬉しかったかな。だってそういう行動をしてくるって言うことは未だにアタシのことを好きで居てくれているという証明だろうし。


 ちょっと恥ずかしかったけど。


「ねぇ、竜弥なにか歌ってみてよ」


「俺が……?なんでだ?」


「竜弥の歌声が聞いてみたいの」


「……分かったよ」


 竜弥がどんな歌を歌うのか、気になりながらもアタシは待っていた。

 そういえばアタシは竜弥にどんな音楽が好き?とか聞いたことがなかった気がする。竜弥は音楽が好きというよりアタシが歌う音楽が好きという人だったから。







 竜弥はある程度歌っているとある部分に力を入れて歌っているような気がしていた。

 この曲は結構色んな人が歌っているのを見かけたことがあるし、アタシもこの夏の時期になれば、この歌を歌っていることもあった。まさか竜弥の声で聴けることになるなんて思いもしなかったけど……。


 でもどうしてこの曲を選んだんだろう。

 この曲は誤っていじめっ子を殺してしまった子がもう一人の子を連れて逃げようとする物語。しかし、いじめっ子を殺してしまった警察に追い詰められたうえで、命を絶つことを選んだ。その十三年後……ある出来事が起きるというお話だ。


 本当にどうして……いやそういうことなのかもしれない。

 アタシは竜弥がこの曲を選んだ理由をなんとなく分かった気がしていた。夏が近いからというのもあったのかもしれない。だけど、一番の理由はきっと……。





「アタシと竜弥のこと重ねた?」


 竜弥の顔が真っ赤になる。

 それから程なくして竜弥はアタシから逃げるようにして貸切露天風呂から逃げようとしていたが、アタシは竜弥の肩を掴む。


「嘘つき、重ねたくせに……」


 でも本当は違う。

 竜弥が誤って殺してしまう側ではない。その立場に居るのは間違いなく……。



 アタシなのだから。

 きっとアタシがあの時に戻ることが出来ていれば間違いなく復讐に駆られていたと思う。それは……間違いないと思う。理由のない悪意、アタシはそんな言葉で片付けるつもりなんてないし、許すつもりはないから……。


 でもきっと竜弥ならこう言ってくるだろうな。

 アタシの手を復讐と言う名の血で染めたくないって……。竜弥は優しいから……。





「さっき聞かなかったけど、歌声良かったのか?」


「うん、とっても良かったよ……。想像していた以上の歌だった」


 温泉から上がり、館内着に着替えて鍵も返して部屋に戻ろうとしていた。


 竜弥の歌声は何度か聞いたことがあったけど、本人は自分の歌よりアタシの歌声を聞いてみたいということの方が多かった。だから、こうして二年ぶりに竜弥の歌声を聴けてアタシは良かったと思っている。

 また再会することがなければこうして聴くこともなかっただろうし……。


「千里がそう言うんだからそうなのかも……な」


 アタシと共に部屋に戻って来た竜弥。

 椅子に座る竜弥であったが何処か落ち着かないのか、そわそわしている様子であった。無理もないか、さっきまでかなり密着していたしああいうことまでしていたのだから。


「そういえば竜弥は好きな人いるの?二年間会ってなかったんだしさ、そういう人ぐらいいるんじゃないの?」


「いなかったよ、まあ逆ナンされることはあったけどさ」


「ふーん?逆ナンされることあったんだ?」


「全部仕事中ですって言って断ってたんだから別にいいだろ……」


 逆ナンされたことがあるという言葉に一瞬反応を示しめてしまった。

 まあアタシと二年間会ってなかったんだからそういうこともあり得るよね。でも竜弥のことだから女性に押されると弱いから顔赤くしてたりしてたんだろうな。


「そういう千里は?」


 アタシに好きな人がいるのか気になるのか聞いてくる竜弥。

 そういうところは本当に素直でいいと思う。


「アタシもいないよ、前にも言ったでしょ。アタシは音楽以外興味ないって……。まあ言うならば音楽に恋してたって奴かな。それが偶々アタシの歌声を好きって言ってくれたそこの茶髪男子に恋したってぐらいだよ」


「……そうか、変な奴だったら顔面ボコボコになるまで殴ってたんだけどな」


 多分アタシに対してだけなんだろうけど、偶に変なことを言い出すから冗談なのか本気なのか分からなくなってくるときがある。今回に関しては後者だろうけど……。



「事務所への報告とかはどうするんだ?ファンのこともあるだろ」


「アタシ達のファンならまあ大丈夫だと思うよ。一定数は減るかも知れないけどさ」


 と言うのも、喜ぶべきなのか分からないけどエゴサしてた感じアタシと竜弥のカップリングが滅茶苦茶充実しているのだ。エゴサに引っ掛かるような形でツイートして割とその……なんというか熱が入り過ぎている人もいるけど。


 それに一定数減るのも仕方ないとアタシは思っている。

 こればかりは……。


「あーそのさ……千里さっき俺や恵梨たちのおかげって言ってたけど……。千里がああやって活動できたのはファンのおかげって言うのも忘れるなよ。聞いてくれる人が居なきゃ音楽っていうのは成立しないと思うから。俺がファン一号だから大事にしてくれるのってのも嬉しいけど、その……なんかごめん、説教みたいになって……考えもまとまってないし」


「別にいいよ、勿論それは分かってるよ。アタシを此処まで大きくしてくれたのはファンの皆のおかげだってことは……。アタシの音楽を聴いて感動してくれたって言ってくれたときは凄い嬉しかったからさ……。歌い手やってた頃は凄い長文で此処のパートが良かったとか言ってくれてアタシ凄い嬉しかったっけ……」


 あの気持ちを忘れた事なんて一度もない。

 勿論嫌なコメントだってあった〇〇さんの方が上手とか意味分かんない荒らしコメントに占領されることもあったし……。それでもアタシが歌い手や路上ライブとかを続けていたのは応援してくれる人達の声援があったから。


「音楽は聴いてくれる人が成り立たないか……」


 アタシはこう思う。聴いてくれる人が居なければ音楽は完成することはない。いない状態で始めてもそこに出来上がるのはチグハグとした譜面でしかない。音色でしかない。誰かに聞いて貰ってこそ初めて価値のあるものになるのだ。


「アタシ……やっぱり竜弥に出会えてよかったよ」


 あんなことをちゃんと言ってくれた竜弥がアタシは好きだ。

 当たり前のことを当たり前のように言ってくれる。そんな奴だからアタシは竜弥のことを好きになったに違いない。 





「ねぇ、竜弥一つ約束してよ?」


「なんだ?」





「もう絶対自分の命を粗末にしたりしないでね?」





「ああ……分かってるよ」


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る