第21話 歪んだ決意

 アタシ達の目の前にいたのは與那城の母親を名乗る人だった。母親は涼葉と名乗っていた。

 竜弥は立ち上がり、拳を握っているのが見えた為、竜弥の拳が出せないように前に立ち塞がった。


「あの……涼葉さん。アタシ達は静音のことを聞きたくてどうしてもこの温泉街に来たんです。お話聞かせてもらってもよろしいですか?」


「静音のことを知っている人達なのですね……少々お時間掛かりますがよろしいでしょうか?」


 アタシが「構いません」と言う。

 こんな形で静音の話を聞けるとは思ってもいなかったけど、静音のことを聞くための絶好の機会だ。手が出そうになっていた竜弥が一瞬怖いと身構えてしまったけど、アタシが前に出たことによって拳を握るのを止めてくれたみたいだし良かった……。

 此処で揉め事を起こしたっていいことは何一つないから……。





 涼葉さんはかつての静音について話を始めた。





 ◆


 物心ついたときには既に私は施設にいた。

 本当の母親のことなんてほとんど覚えてないけど、あのときのことは覚えている。




「静音、今日はおでんでいい?」


 本当の母親は難病を抱えながらも私のことを生んでくれて私が十二歳になるまで育て上げてくれた立派な母親だった。


「うん……!お母さんのおでん大好き」


 私はお母さんが作ってくれるおでんが大好きだった。

 熱々でだしがよく効いているおでんで口の中に大根を入れれば味がしみ込まれていき、他の具材だって同じように口の中で沁み込まれていた。市販の方が絶対安くて済むし手早く済まされるのにお母さんは決まっておでんを作ってくれた。

 だからその味は私にとっての母の味になっていた。私はお母さんといることが幸せだった。



 だけど……。



「お母さん……なんで私のことを置いて行くの……」


 私がちょうど六歳になった頃、死んでしまった。私はお母さんの亡骸を見てずっと泣いていた。いつもお墓の前で泣いていた。数ヶ月経てば、泣く事なんてなくなっていた。お母さんが死んだと実感できたのかもしれなかった。


「お母さん、私施設に預けられることになったよ。でもね、私一人でも頑張って行くよ」


 死んだ母親のことを今でも誇りだと思っている。顔もはっきりと覚えている訳じゃないけど、私が母親になることがあるならあんな立派で強い母親でありたい。



 十二歳で一人になった私は施設に預けられた。

 施設に預けられた私は臆病で怖がりだった。人と話すのも億劫でいつも施設の先生と一緒にご飯を食べていたりをしていたのを覚えている。そんな私にある出会いが訪れた。それは私のことを引き取りたいという夫婦が訪れたのだ。


 こんな親無しの私を引き取りたいなんて物好きな夫婦もいたもんだと自虐していると、その夫婦が私の前に立っていた。


「ほ、本当に……私なんかでいいの?私なんかより……お利口さんな子供いるよ?」


 到底自分のことを引き取りに来たとは思えないこの言葉に夫婦は笑っていた。

 無言で頷いてくれた夫婦を見て私は嬉しそうに二人に飛びついた。死んだ母親のことを忘れることなんて出来なかった。けれど、新しい家族の輪に入れることに私は嬉しくなっていた。




 こうして、やって来たのが人気温泉街の一つにある旅館であった。

 家は少し離れた場所にあるとのことらしいが、こんな大きな場所に来るのは施設以来の為私は驚きを隠せないでいた。


「静音お客さんもいるからあんまりはしゃいじゃ駄目よ」


「う、うん……!」


 とは言えこの大きさの旅館ではしゃぐなと言う方が無理があっただろう。

 遊びたいという欲求を抑えながらも私は母の後ろをついて回った。母は方々から来たお客さんに挨拶をしているのを見て私も一緒になって挨拶をすると、お客さんは笑顔で笑っていた。


 母さんの子供に思われたのかな、そんなふうに思っていると少し嬉しく思いながら私は少し微笑んでいたような気がしていた。父さんの方を見れば仲居さんのようなことをしていた。旅館の御主人だと言うのに何故そんなことをしているのだろうといつも思っていた。



 私はそれから母さんや従業員の手伝いをしていた。

 お客さんの部屋に行って布団を敷くのを手伝ったり、お風呂場を掃除したりお夕食の際にグラスを持って行ったり色んなことを手伝った。最後には来てくれたお客様に笑顔で挨拶をしてお見送りしたりしていた。施設に居た頃に比べれば凄く忙しくて大変な一日なことが多かったけど、それでも充実した一日がいつも過ぎて行った気がする。


「父さん、私がやるからしなくていいよ」


 ある日、旅館前でお客様のご迎えをしているときだった。いつものように父さんが荷物を運んだりしていたのだ。この旅館の支配人とも言える人が何故仲居さんのようなことをしているのだろうと不思議でしかなかった私はいつも決まって父さんの仕事を引き継いでいたが不満そうな顔をしているのを知っていた。

 だから聞いてみたのだ。


「父さんってなんでいつも仲居さんのようなことしてるんだ?」


「お客様の顔を一つ一つ、覚えられるからだ」


 父さんは昭和の頑固者と言った感じで、厳しい人だった。私の学力が低いと分かれば、付きっ切りで勉強を教えようとしたこともあったし、なにより時には怒鳴りつけてくることもあった。本当のお父さんのことは知らないから父親と言うのがよく分からないけど、これが普通なのかな?と不思議に思うときもあった。


「ふーん?」


 あまりにも簡潔の内容だったが私には理解できていた。

 何故そのようなことをしていたのかはお客様の顔を見ることで今日泊まる人がどんな人なのか把握しているのだ。なにより、自分の旅館に泊まるお客様のことが気になるんだろう。そういうところは分からなくもない気がする。





「静音、貴方はこれから此処の次期若女将になる。そして、大きくなったら女将になって私の後を継いでね」


「うん、草津?だとか別府?だとかそんな温泉地より凄い温泉地にして見せるね」


「ふふっ、それは楽しみね」


 その言葉を聞いて私は大きく返事をした。

 私はこの家の人間……。この旅館で成長して大きくなっていくんだ……。





「はーい静音ちゃんは先生と一緒にご飯食べようね」


 小学校の遠足、私は先生と二人っきりで弁当を食べていた。

 旅館の子とはいえ、自己肯定感が薄く劣等感が強い子なら友達なんてものは出来る訳がなかった。というより……。


「ねぇ、あの子の親って本当の親じゃないんでしょ?」


「駄目だよ、そんなこと言っちゃ可哀想だよ」


 周りからは血の繋がっていない子供と思われいたし、それを私も認識していた。認識していたからこそ、私は周りに歩み寄ろうともしなかったのだ。今にしてみれば、周りの目を気にしてばかりの私自身に反吐が出る。


「くそっ、馬鹿にしやがって……私も私だよクソが……」


 なにより、このときからだろう。

 私の中で小さく亀裂のようなものが出来上がり始めたのは……。




 中学に上がった頃の私は次期若女将として期待されることも多かった。

 結局、中学に上がっても友達なんてものは出来ることはなかったけどそんなことより今は旅館で働くことが大好きで仕方なかった。なにより子供の頃から思っていた、草津だとか別府だとか下呂だとか箱根だとかそんな温泉地よりも凄い温泉地にしてやると思っていたからだ。まあ旅館一つの力じゃどうにも出来なかったのかもしれないけど。

 でも、確か鬼怒川の方に財政破綻したけどそっから這い上がったホテルがあるぐらいなんだし、うちの旅館もワンチャンあるんじゃね。あそこも結構ホテルの内装豪華でそれで有名になったりしたんだし、うちも改築……。あーでもそれで赤字になって廃墟になったりしたら嫌だしな、なんてことを中学生なのに考えていることもあった。


「あのな、爺さん……。こういうのは金取られるし中学生に肩もみして欲しいとか普通キモいからな」


「そう言いながらも静音ちゃんもなんだかんだやってくれるじゃないかい」


 小学六年生のとき、泊まったお客さんの肩揉みをしてあげたところそれが結構気に入られてしまい色んなお客さんに頼まれるようになったのだ。必要とされているのは嬉しいし、有難ったけどさ……。


「ほら、これでいいだろ……。じゃあ私次の部屋の確認しに行くからさ」


 そのときも嬉しそうにしているお客さんを見て私は満足そうに笑いながらも部屋を出るのであった。


「次の部屋此処……か、確か海外の人が一人で泊まりに来てるんだっけ……。私英語は……アレだけどちょっと行ってみるか」


 小学校時点では学力なんてほぼ皆と変わらなかったのに中学に入ってから急激に皆との差を見せられてみたいで本当に嫌になる。まあ私の場合皆と言えるほどの友達なんていなかったけど……。


「Excuse me」


 合ってるのかも分からない英語を使いながら中に入ると、そこには晩酌中の金髪のサイドテールの女性が座っていた。第一印象はすっげえ美人というのが印象だった。海外の人ってやっぱ美人だったりイケメンの人が多いんだな。


「え、えっと……なんて言えばいいんだ」


 英語が致命的過ぎる私はそういえばお母さんから渡されていた旅行客向けのメモを渡されていたのを思い出してそれをチラッと見る。


「英語はノープロレム、日本語は十分伝わるね」


 なんだ、日本語が伝わる人か……。

 一安心しながら私は部屋の様子を見る、特に異常はなくその場を去ろうとしたときであった。私は一気に壁へと追い込まれてしまうのであった。


「あ、あの……どうかなされましたか?」


 幾ら何でも飲み過ぎだろうと思いながらも私は掴まれた手を必死に放そうとしていた。


「キミ輝きそうね……。でも輝くためにはもう二輝きが必要そうね……」


 お客さんの言っていることが全く意味が分からなかった。

 なんなんだ、このお客さん私の体はベタベタ触るしめっちゃ顔は近づけてくるし普通にセクハラで訴えてやろうかな。


「あっ、ソーリーソーリー。ワタシこういうものね」


 手を放された私はそのままこの部屋から出ようとも考えたが、先ほど言われた輝きという言葉がどうも気になって仕方なく部屋に留まることにしたのだ。







 その見せられた名刺は私にとって今後大きく関わることになるであろう名刺だったのだ。

 そう、そこに書かれていたのはアイオライト書かれていた名刺だったのだから。


「何を為されている会社なんですか?」


「ワタシがしているのは所謂Vtuberをプロデュースする会社ね」


「V……?あー知ってます、最近話題のアバターを用いたYoutuberみたいな奴ですよね」


 当時はもう引退していたが私は坦々さんというゲーム実況者が好きでそのために動画サイトを見ていたことがあったのだ。だから、ある程度のYouTuberだったりVのことは知っているつもりだった。


「あのーまさかだと思うんですけど私スカウトされてます?」


「イエス、その通りね!アナタには輝きが見えるね!きっとその輝きを活かせば更に輝くことが出来るね!アナタの眠れる才能、ワタシ達が開花させてあげるね!」


 私が輝ける……?才能がある……?私がVに……?自己肯定感が低くて劣等感が強い私が……。

 出来るはずがない。きっと投げ出してしまうに決まっている。


「ごめんなさい、折角の機会なんですけど私この旅館の次期若女将として期待されているです……。だから、此処を離れる訳には行かないんです!」


 私が深々と頭を下げて謝罪をする。

 折角のチャンスだけど私は此処の旅館を離れる訳にはいかない。私が此処に居なければ旅館は駄目になってしまうかもしれないのだから……。


「オー、それはすまなかったね……!若女将になるなら此処を離れる訳にはいかないね!」


 感じのいいお客さん……ライネさんは私に「これからも頑張るね!」と応援してくれた。

 最初は酔っ払いの変な人かと思ったけど、結構いい人なと思いながら部屋を後にするのであった。


 それにしてもVか……。

 私にもそんな道が……。いや、私にはこの旅館を続けると言う選択肢しかないのだ。私は自分の中での迷いを振り切って旅館の手伝いを再開していたときだった。


「静音、お前は自分の道に興味はないのか?」


「んー?なにそれ?私は此処の旅館を継ぐんでしょ?」


 お食事処の手伝いを終えてエントランスに戻って来たとき父さんに話しかけられた。


「そうか……」


「変な父さん」


 先ほどまで真剣な表情で私にそのことを聞いていた父さんはロビーの方へと向かって行くのであった。私にはこのとき父さんがどうしてそんなことを聞いたのか理解できなかった。

 だけどそれはすぐに理解することになった。





「どうしたの?二人揃って……あー仕事だけどさ」


 そんなある日であった。

 私がいつも通り、旅館の部屋を見回りしていると母親から手招きをされて空いてる部屋に呼び出されるのであった。


「静音、そこに座ってくれるか?」


 私は座るように命じられて、渋々畳の上に座る。

 何か話でもされるのだろうかと思っていると父さんを話を始める。


「静音、お前に聞きたいんだが……此処の暮らしを一生続けるつもりか?」


 父さんはそんな話を始める。

 私はこのときなんとなくだが理解した。あのときの話の続きをしようとしていると……。しかし、言っている意味が分からなかったのだ。私にはこの旅館を継ぐという役目があるのだから。

 


「は、はぁ?なに言ってんだよ父さん、私が此処の旅館を引き継ぐことなんて決まっていることだろ?」


「静音は……自分の道を行きたくないのか……。いや、此処はちゃんと言わせてもらう。お前は……旅館を継がなくていい」


「はぁ!!?」


 私は父さんが言いたいことがまるで理解できなかった。頑固者で将来お前はこの旅館を継ぐんだと言っていたその父さんの口から継がなくていいという言葉が出たからだ。自分の道を行きたくないのかだって、今更何を言っているんだ。この旅館を継ぐ人が居なければ、この旅館は死んでしまうかもしれないというのに……。

 何を言って……。


「あー分かった……!二人共、私のことを揶揄ってるんだろ!?ま、全くこんな冗談勘弁してほしいぜ!」


 二人は笑っている様子はなかった。

 冗談を言っている訳ではないと理解したのは割とすぐであった。


「あ、あのさ……私の学力とか足りないとかだったらちゃんと勉強頑張るからさ!頼むよ!!」


 必死にこの家にしがみつこうとするが、両親はそれ以上は何も言わなかった。

 そのときであった。かつて小学時代に感じていた違和感が此処に来てどっとと来たのだ。


「ふざけんなよクソが!!母さんアンタが私に家を継げって言ったんだろうが!!言ったくせに今更家を継がなくていいだぁ!?ふざけるのも大概にしろよ!あー分かったよ、そんなに家を出て行って欲しいなら出て行ってやるよ!!」


「待って静音……!」


 小学時代から感じていた違和感、それは私は他人に舐められたくないという気持ちが強かった。

 なら誰にも舐められないように最初から居ない人間と考えらればいいと考えていた。しかしそれは今大きく捻じ曲げられようとしていた。


「私とアンタ達なんて……!血なんて繋がってないくせに!!」


 言ってはならない言葉を言った。それを自覚することは全くなかった。

 それからほどなくして私は両親と話すことも減っていき、旅館の仕事は手伝うこともあってそれは必要最低限でのことしかせず、両……あいつらとの会話も必要最低限にしていた。高校に入った頃には東京に逃げるようにして生活するようになった。



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