第五話 島原の地へ

 私に従う大勢の者達が共に島原に向かってくれることになった。感謝でしかない。

 海岸に多くの舟が集まり出航準備を整え出す。空は雨模様。雨足はそれほど強いわけではなく霧雨が続いている。ただ風は強く海は荒れ模様となっていた。


 小舟で海を渡ってきた新兵衛は波に煽られ、さぞ苦労したことだろう。どうりでずぶ濡れになっていたわけだ。

 現状を一刻でも早く知らせようと、懸命にこの荒れた海を渡って来てくれたのだろう。頭の下がる思いである。


 私は父上、大蔵、森宗意殿と共に島原へ向うため舟に乗り込んだ。


 海原に出ると舟が大きく揺られる。大きく揺らいでいるが不思議と酔いを感じることはなかった。

 酔いは無いのだが体の震えが止まらない。寒さからではない。心のざわつきが抑えられないのだ。


 私は多くの人が殺し合う渦中へ飛び込んで行かなくてはならない。そう考えると辛抱ならない。震える体を押さえ込むように両腕を肩にまわし力を込めた。


 それともう一ついつもと違う感覚がある。胸につかえるような、蟠りのような何かがある。

 何かを飲み込もうとするが体が拒否し喉で停滞しているような、奇妙な感覚だ。その何かを飲み込もうと生唾を飲んでみるが改善される様子はなかった。


 大きく息を吸い込んでみても吐いてみても、胸を撫で回しても改善される様子はなかった。


「船酔いでもしたのか?」


 私の様子が気になったのか大蔵が話しかけてきた。


「そうではない」


 酔いとは違う説明のできない感覚に、どのように表現したらいいのか分からず言葉を続けられずにいると、私の答えなど初めからどうでも良かったかのように話を進めてきた。


「四郎、要するに三吉、角内ってのが兵を誘き出して、目的地に向かう途中の油断している兵を楓が罠に嵌めようとしている。楓が引き付けている間に、我が隊が島原城に向かっているってことで合っているか?」


 大蔵は煙る海の先を見つめ、顎に手を当て何かを思案している様子で眉間に皺を寄せながらそう聞いてきた。


「まあそんなところだな」


 体の震え、胸の蟠りを大蔵に悟られぬよう、視線を合わせないように海面を見つめながら答えた。


「それで俺達はどこに向かっているんだ?」


 大蔵は振り返り身を屈め自分の顔を私の前に突き出し、心の奥を見通すように瞳を覗き込んできた。


 思わず目を逸らしてしまった。


「本隊と合流しあまり深入りしないよう忠告して、兵糧を奪い原城に運び込む。お主が提案した策だろ」


 一度逸らした目を大蔵に戻し、唇を噛み締め平常心を装いそう答える。


「それでいいのか?」


 大蔵の視線が再び心の奥底にまで届くように射すくめてきた。大蔵の問いの真意が分からずに思案していると補足するように言葉を続けた。


「三吉、角内を死なせてしまったことを悔いているんだろ。深江村の奴等を見殺しにしてもいいのか?」


 気が付くと船上にいる全員の視線が私に集中していた。なんて察しのいい奴なんだ。

 島原城には多くの民が向かっている。もしくはもう既に到着しているかもしれない。私達が今更向かったところで何かやることが残っているとは思えない。


 ならば、、。しかし、今私の胸中にある思いは皆に言うべきことではない。


 大蔵の澄んだ目は本当に私の心の中を見透かしてしまっているかのようだった。私が答えに窮しているとさらに畳み掛けてきた。


「島原城は恐らく大丈夫だ。申し合わせていたようにするはずだ。死傷者をなるべく出さないようにし、無理ない程度に攻めるだろう。蘆塚殿も山田殿もいるだろうからな」


「ただ深江村は違う。どれだけの状態で待ち受けているのか分からないが、島原兵の本隊が向かっているんだ。下手したら深江村にいる奴等は皆殺しにされるぞ」


 分かっている。しかし私達が行ったところで、どうにかなるようなことでもない。

 その時、舟が大波により大きく揺らいだ。私は船縁に手を掛けると海面に視線を落とした。一番潮の流れの激しい場所に来ているようで、波のうねりが大きくなっていた。


 今の私の心の中の揺らぎを具現化するのであればこのような状態だろう。


 目を閉じると絵像を授与した時の楓の姿が浮かび上がってくる。私の前で膝立ちになり胸の前で両手を合わせ指を組む。魂を込め描いた絵像に聖水を撒き清純無垢として授与する。


 青白い肌、か細い腕が生活の困窮さを物語っていた。が、それでも瞳は力強く輝いていた。

 絵像を授与すると瞳は更に強く輝きだす。それに呼応したかのように全身に力が漲っていく様相だった。青白かった頬が赤みを帯び屹然とした表情になっていった。


 楓を勇気づけるために授与した。幸福あれと思い授与した。


 私のしたことは間違っていたのだろうか。私があのようなことをしなければ楓は今でも健やかに生き続けていたのではないのだろうか。


 私の行いが楓の無謀ともいえる行動に繋がってしまったのではないのだろうか。


 私はあの場にいた者をもう失いたくない。


「四郎、俺には切支丹信仰がどういうものか分からないが、取り敢えず大きな力によって踏み潰されようとしている人がいる。俺達はそいつを助けに行く。今はそれだけ考えていれはいいんじゃないかな」


「深江村に向かうべきだと申すか?」


 宗意殿が指すような視線を送り、反対だと言わんばかりの強い口調でそう言った。


「大蔵、深江村の方々の気持ちも考えなくてはいけないんだぞ。自分達の身を犠牲にする覚悟で島原兵と対峙しようとしている。それは我々の悲願を成就させるがための行為。我々が向かってしまえば、彼らの努力が全て無駄になってしまう」


 父上が諭すようにそう言った。


「分かってます。でも現世の御子様が苦しんでおられます」


 大蔵はその言葉を発した後、私に視線を向けた。向けられた瞬間、全身に鳥肌が駆け巡った。


 やはり大蔵は全てお見通しだったようだ。私は楓を、深江村の者達を助けに行きたい。その気持ちを押し殺していた。


「大蔵、勝算はあるのか?」


 ここ数日、大蔵と寝食を共にしていた父上は大蔵の力量を十分知っている。何か妙案でもあるのかもしれないと思ったのだろう。そう尋ねた。


「勝算はありません」


「何だと」


 父上だけでなくその場にいる全員が、大蔵の無責任な発言を非難するような視線を送った。


「勝算はありませんが、逃がすことは可能かもしれません」


 続いた大蔵の言葉に船上の全員が唸り声を上げ、お互いの目を見合わせた。確かに逃すくらいなら可能かもしれない、そう思った。


 相変わらず大蔵は奇策を思い付く。


「退路を作り深江村の人達と合流し、癇癪玉でも使って島原兵を怯ませ足止めをしてその間に逃す。我が隊は島原城に長居するつもりはないんだ。引き付けたというだけでお役目は十分」


「しかし敵本隊相手に逃げきれますかな?」


「いずれ城が攻められていると伝わるでしょう。それまで持ち堪えればいいのです」


「ほぉー、やはり大蔵殿は策士でございますな」


 再び大人達から唸り声が上がった。私の胸の蟠りが崩れてきている感じがする。


 まさに三吉、角内、楓が作り上げた好機。島原兵を城から出して深江村で足止めし、その間に我が隊が城を攻める。島原兵が戻ったら城攻めは止め撤退する。


 犠牲者は最小限になることだろう。しかしこの策では深江村の人達は犠牲になってしまう。

 私はもうこれ以上犠牲者は出したくないと思っていたが。これは策だと諦めようとしていた。


 でも大蔵は私の心を見透かしてさらに犠牲者を少なくする方法、つまり深江村の人達を救う方法を提案してきた。


「大蔵、私はこの隊の旗頭にならなくてはならない。易々と隊は離れられない」


「それも大丈夫だ。考えがある」


 そう言って大蔵は不敵に笑った。大蔵が不敵に笑った時はいつも驚くようなことを提案してくる時だ。

 本当に不思議な奴だ。私の悩み事を見透かし、他にも手はあるんだぞと提案してくる。


 そうこうしている間に舟は岸に着岸した。既に多くの舟が着岸し私の到着を待っているような状態だった。そして後方からも次々と舟が着岸してくる。


 私を中心にし民達が集まりだした。


 大蔵が頃合いを見計らい大声を上げた。

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