第3話

 命異と不倫復讐同盟を結んだ後、恵は夕飯の支度の為、自宅のマンションへと戻った。買い物袋をひっさげて歩きながら、あいつ本当に異星人だったんだ、とか、これからどうなるんだろうか、とか考えた。


 考える一方で、裏切られていると分かりながらもこうしてルーティーンのように夕飯の支度をするために買い物して帰る自分が馬鹿らしかった。何で不倫しているヤツなんかのためにメシを作らなきゃいかんのか。心ではそう思ったが、命異が「証拠を集めるまでは何も気付かないふりを」と言うので従った。実際、感情に振り回されては計画の練れない。相手に警戒されたらお終いなのだ。


 それでも手の平に伝わってくる買い物袋の重みを感じると、思い切り叩きつけてやりたくなる。勿論(今もまだ一応)旦那である純一の顔面に。

 深いため息を吐き出して、地面を見ていた恵は空を仰いだ。擦れ違ったサラリーマン風の男が電話している。すぐ帰るよ、うん、夕飯楽しみにしてる──そんな温もり在る夫婦のやり取りが、ちくりと胸を痛ませた。


 夕飯を作り終えると恵はソファにもたれかかった。疲れた。なんだか酷く疲れた。だが疲れている場合ではない。これからが本番なのだ。気を引き締めなければならないと思っているとスマートフォンが鳴った。画面を見れば「今日遅くなる。夕飯は冷蔵庫に入れておいて」とのメッセージ。


 あのやろう。


 夕飯はカレーだって言ったじゃねぇか。てめぇの好きなカレーをわざわざ作ったのに、もう九時になるってのに遅くなるだぁ?

 恵は震えながらスマートフォンを持ち、一旦ソファへと投げ捨てた。いかんいかん。こんなことくらいで腹を立ててはいけない。それに不倫が始まる前からも純一はそうだった。人を散々待たせた挙げ句、一緒に夕飯を食べれないというのはよくあること。それでも健気に待って、一緒に食べられないことに落ち込んでいた自分が懐かしい。


『何でもっと早く言えなかったの?』


 その一言を喉の奥から吐き出したいのに、言えない。恵は「分かった。先食べちゃうね」とだけ返すとふらふらとキッチンに立った。お腹が空いたから気合いが足りないんだ、と自分を奮い立たせるも、鍋の前でぼんやりと立つだけでコンロに火を起こす気力もない。なんだ、自分が思っていた以上に純一の不倫はショックだったらしい。そりゃそうか。一応、好きになって、好きだから結婚した相手なのだから。


 つらいなぁ、と言う言葉が勝手に口から零れた。そうしたら益々虚しくなった。恵は泣きそうな気持ちになっていることに気付くと頬を自ら打って活を入れた。あんなヤツのために流す涙なんて勿体ない。さっさと食べてさっさと寝よう。心が弱っている時に身体まで弱ったら大変だ。


 ピロン


 スマートフォンが鳴る音に恵はコンロのスイッチにかけていた手を止める。誰だろう。恵はソファに放っておいたスマートフォンを手に取る。命異だ。

 メッセージは一言。


『あけて』


「……は?」


 どういう意味だ? そう思っているとリビングの窓ガラスがコンコンとノックされた。ひっ、と恵は悲鳴を上げて後ずさる。コンコン、が、どんどん、になっていき恵は完全に萎縮していた。その間にピコン、とまたメッセージが届く。


『はやくあけて』


 その言葉と音の正体が漸く結びついた恵は、大股でリビングの窓へと向かいカーテンを思い切り開ける。するとそこには命異の姿があった。

 ……ここ、七階なんだけど。

 でもこいつは異星人だからな、と思い恵は窓を開けると、命異は「おじゃましまーす」とスナック菓子みたいに軽い調子で靴を脱いでリビングに入ってきた。


「命異」

「もう、早くあけてよ。春とはいえ夜は冷えるんだから」

「そうじゃなくて何でこっから来るのよ? ってか七階なんだけど、ここ」

 

 どかっとリビングのソファに座った命異は、何やらコンビニの袋を置いて笑う。


「びっくりするかな~って思って。どう? びっくりした?」

「怪奇現象かと思った。あんた、私に嫌がらせてしてどうすんのよ?」

「失礼だな。僕はめぐちゃんを元気づけようとおもって来ただけなんだから」

「は?」


 全く何を考えているか分からない。なんだこの地球外生命体。 

 だが命異は恵の困惑をよそに、勝手に袋の中から缶チューハイやら缶ビール、それからレンチンできる砂肝、ビーフジャーキーなど、恵の好物ばかりを置いていく。

 どすんとラグの上に座った命異が不思議顔で恵を見上げる。


「ほら、めぐちゃん。なにしてんの。早く呑み会しよ」

「呑み会?」

「そう。戦の前に腹を空かせちゃいけないでしょう? 早く座って乾杯しよ」

 

 ぷしゅ、とプルタブを起こして恵の好きなビールを渡してくる。そういえばこんな風に自宅で誰かと酒を呑むなんて何年ぶりだろう。夫の純一と結婚する前、同棲していた頃は純一も恵と晩酌することをゆるした。けれど、結婚してからは「お前は家のことをちゃんとしろ」と言って酒を禁じた。


 その酒を目の前に突き出してくる命異はにこにこ笑っている。恵は溜め息を吐き出すと、缶ビールを受け取ってテーブルの前に座った。命異もそれでいいというように頷くと、缶ビールを恵の方へ向けてきた。


「はい、乾杯。敵をギッタンギッタンにしてやろうね、めぐちゃん」

「……乾杯。そうね。再起不能にしてやらないと気が済まない」


 カツン、と缶を付き合わせて音を鳴らせると、お互いニヤリと笑った。酒を一気に呷って、ぷはぁ、と息を吐き出すと命異が「つまみもあるよ」とビーフジャーキーの袋をあけてすすめてくる。それを受け取って噛み付くように食べながら恵は命異に言う。


「ほんと、あんたは昔から私の好きなもの、知ってるわよね」

「そりゃあねぇ。めぐちゃんのことなら大体分かるよ」

「はは、そうかもね。私もあんたのことを大体分かる気がするわ」


 恵が笑えば、命異はどこか安心したように目を細める。


「……やっぱりめぐちゃんは笑ってるのが一番だね。うん」

「そりゃどーも」

「お腹が空いてると気持ちが沈んじゃうから。これからのめぐちゃんはよく寝てよく食べて、それで僕と楽しく計画を考えること」

「私、子どもみたい」

「それでいいよ。可愛い僕のリトルプリンセス」


 命異の台詞に思わず恵は噴き出して笑う。


「なにその呼び方! キッショ!」

「ん~だってそう思うんだも~ん。仕方ないじゃん」

「リトルってサイズでもないし、プリンセスって歳でもないわ」

 

 けらけらと恵が笑い飛ばせば、命異はむむむと何故か口をへの字に曲げた。


「めぐちゃんのおバカ。僕がプリンセスって言ってるんだから、めぐちゃんはプリンセスなの! だって僕はプリンスなんだよ! プリンスの僕が言うんだから、めぐちゃんはプリンセスなの!」


 無駄にでかい美声で主張する命異に、恵は辟易したように息を吐く。


「はいはい、あんたが宇宙のどっかの星の王子さまってことは分かった。実際、人間じゃない姿見たし、今日だって窓から侵入してきたし」

「ふふん、僕は王子だからね。そりゃ何だってできる。今すぐ地球を侵略して奴隷惑星にすることだってできるんだよ?」

「は? 何怖いこと言ってんのよあんた」

「あ、めぐちゃんは奴隷にしないよ。だってプリンセスだもの」


 何言っているんだ、こいつ。恵はビールで渇いた喉を潤しながら、じっと命異を見詰めた。命異は笑っていたがその目は赤く、煌々と輝いていた。やっぱ、人間じゃないらしい。


「だってさぁ、めぐちゃんのことを蔑ろにする男が産まれた惑星なんだよ。浅ましい星さ。ねぇ、めぐちゃん。他に誰か嫌いなやつ、いない? めぐちゃんが望むなら、僕がすぐにでも消してみせるよ?」

「は? え? な、何言ってんのよ。ってか急に重っ」


 ひくりと顔を引き攣らせれば、命異は赤く染まった瞳をぐりんと元の日本人の色に戻した。さっきまでの殺気立った色が嘘みたいに立ち消えて、代わりにいつもの陽気な、バカっぽい雰囲気が戻ってくる。


「いやいやいや~~~冗談冗談~。流石に僕、そんな野蛮人じゃないさ! 安心してよ! ちゃんと司法に則って、不倫夫を成敗したいと思っているから!」

「……なんか、本当に冗談なのか胡散臭いわね……ま、でもいいわ」


 恵はぐいっといっぱい呑んだあと、くしゃりと笑った。


「命異、ありがと。気を遣ってくれてさ」


 すると命異は目をぱちくりさせたあと、


「……うん、やっぱりめぐちゃんは笑顔が一番だね」


 流石マイリトルプリンセス~、なんて言いながら命異は酒を呷った。その姿を見ながら恵は、本当に何を考えてるんだかと思いつつ、命異の気遣いが嬉しかった。




***




 夜も更けて恵をソファに寝かせた命異は、酒を呑んだ痕跡、自分がいた痕跡を一つ残さず消した後、酒で酔い潰れた恵の傍に座った。


「……本当なのになぁ」


 恵を苦しめる者がいるなら、この惑星など価値もない。ただ恵がこの惑星を愛しているからこそ、蹂躙することはできない。命異の惑星の軍事力ならば、こんなちっぽけな惑星など赤子の手を捻るくらい簡単に潰せてみせる。何なら、命異ひとりだけでも国ひとつ消すことなど造作ないだろう。


「可愛い可愛い、僕のお姫様」


 長い旅を経て地球に来て、恵と出会って、命異の運命は変わった。命異は産まれて初めて春雷のような恋をした。だが、恋というものは複雑で、命異にはよく理解ができなかった。その初恋を持て余しているうちに、思い人である恵は結婚してしまった。

 何で、と思った。だって自分はプリンスで、恵はプリンセスなのだ。運命の二人なのだ。なのに何で、と心底命異は理解ができなかった。不可思議だった。

 純一とかいう猿の進化系と結婚した事が全く、これっぽっちも理解できず、恵に詰め寄ったのだが「結婚していないあんたには分からない」など言われる始末。

 なら結婚してみようかと思ったらスピード結婚スピード離婚する始末。

 

 やっぱり、ダメなのだ。


「……僕の運命デスティニーは、君だからね。めぐみ」


 命異は赤く瞳を染めて、うっそりと恵を見て笑った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

不倫夫の復讐は宇宙人と共に 一時匣 @hitotoki

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ