第14話ままならぬ世界

 え、折れた!? 


 骨が折れたの!? 多少力んだぐらいで!?


 俺がぶるぶると震えると、「あ、ああ……」と、何故なのかリーシャが頬を赤くし、なんだか恥じ入ったような顔になった。




「あっ、やだ、また折れちゃった……あはは……」

「また!? またって何!? あんたの骨ってそんなコンスタントにポキポキ折れるの!? 病院行けよ!!」

「えへへ、すみません、でも大丈夫です。骨折にはもう慣れてて痛くはないので」

「慣れるなよそんなもんに!! と、とりあえずなんでもいいから手当を……!」

「あ、大丈夫です。治癒魔法使えるんで……《治癒ヒール》」




 その瞬間、ぽわっ、と白い光が発し、リーシャの折りたたまれた左手首が元の位置に戻った。


 おお、本当にこの世界には魔法が存在するんだ……という驚きを圧倒したのは、明らかに常識的ではないリーシャの虚弱っぷりである。


 俺が唖然としていると、リーシャが困ったように笑った。




「あはは、やっぱり驚かれますよね……私ったら生まれついての虚弱体質で、少し力むと鼻血が出たり、骨が折れちゃったりするんですよね……」

「えっ、えぇ……!?」

「これだからあんまり人生で力仕事とかしたことなくて……すみませんお見苦しいものをお見せしてしまって。ままなりませんね、どうにも」




 そう言って、リーシャは物凄く儚げな笑みを浮かべた。


 俺がただただ絶句していると、アズマネ様がふわぁとあくびをひとつかました。




「おい娘、そなたの村はまだ先か? この調子じゃと日が暮れるぞ」

「ぐっ……! だっ、だったらアズマネ様も手伝ってくださいよ……! ただでさえこんなデカいクマなんですから……!」

「断る。妾のこの白魚のような指先は労働のためのものではない。舞を踊ったり花を愛でたりするための指じゃ。罰当たりなことを抜かすな阿呆」

「でっ、でも、今日中に村にたどり着けなかったらアズマネ様だって今日は野宿になるんですよ!? 神様……じゃなかった、高貴な身分のあなたが今夜は野宿でもいいんですか!?」

「全く、世話が焼けるのぉ……なら、特別に我が神威を貸してやろう。ほれ」




 言うなり、アズマネ様は人差し指を立て、俺たちに向かってサッと一振りした。


 アズマネ様の人差し指から柔らかな光が迸った途端――あれ? と思うぐらいに、突如身体が軽くなった。




「あ、あれ……!? なんだか急にクマが軽くなったような……!」

「え、えぇ……それに汗も一瞬で引いて……」

「これで二人でもなんとかなるじゃろう? 早う妾を村に案内せよ」

「まっ、まさか詠唱もなく私たちに魔法をかけるなんて……! あ、あなた、まさかそんな高位の魔導師なんですか!?」




 リーシャが驚いた表情でアズマネ様を見た。




「さ、さっきから思っていましたけど、あなた方は何者なんですか!? あのゴライアス・ベアを一撃で仕留める筒だけじゃない、見たことのない服装だし……! も、もしかして、かなり名のある旅の冒険者とか――!」

「あ、いや、そんな高尚なもんじゃないよ。俺はただのマタギで、この人は俺の祖父の知り合いだ」

「あ、ああ、さっきもその、自分はマタギだって言ってましたけど……マタギってなんなんですか?」

「あぁ、俺の故郷の猟師の中で一番有名な猟師集団……まぁ、平たく言えば、ハンターみたいなもんだな」

「ん?」 




 俺の言葉に、リーシャがキョトンとした表情で俺を見た。


 ん? なんだろう、と思っていると、鼻の穴にこよりを詰めたリーシャの顔が更に間抜けに弛緩した。




「はんたー、って、なんですか?」




 え? と、今度は俺が戸惑う番だった。




「え? あ、そうかそうか。横文字じゃわからんよな。要するに、猟師だよ猟師」

「ふむ、漁師、ですか。魚を獲って売ってる……」

「あ、いやいや、そっちじゃないそっちじゃない。獣を獲って暮らしてる方の猟師、な?」

「えっ」

「えっ」

「獣を……獲って暮らす……?」




 リーシャが意味不明だというような表情を浮かべて首を傾げ、今度こそ俺は慌てた。




「え? あ、あれ? なんか翻訳が上手く行ってないのかな? ホラ、いくら異世界にだって猟師ぐらいいるだろ!? 縄文人だってやってたんだし――!!」

「んん? ジョーモンジン、という部族は知りませんけど、獣を、獲る? どうして? 何故に?」

「え、えぇ――!? にっ、肉とか毛皮とか、そういうの需要あるだろ!? 獣を獲ったり食ったりして暮らしてたんだよ!」

「けっ、獣を食べる――!?」




 慌てふためいた俺の言葉に、リーシャが素っ頓狂な声を発した。




「まっ、まさかバンジさんって、魔獣の呪いとか関係なく野生の獣の肉なんか食べて暮らしてたんですか!? 野蛮な!」




 野蛮。そう言われるのは人生で二度目の言葉に、俺はとうとう二の句が継げなくなった。


 俺が救いを求めるようにアズマネ様を見ると――ふむ、とアズマネ様が何かを悟った表情で頷いた。




「これはこれは……どうやら相当に信仰を広め甲斐がある世界であるようじゃの、バンジ」

「あ、アズマネ様……!」

「いずれにせよ、これは尋常なことではない。この世界の人間は人間としての当然のあり方を忘れてしまっておる。――これ娘」

「は、はい?」

「どうやらそなたからして凄まじい思い違いをしておるらしいの。獣の命を奪うことは野蛮、とな。今はその言葉も許そう。じゃが、改めていかねばならぬ考えじゃぞ、それは」 

「は、はぁ……すみません、私にはよくわかりませんが……そうなんでしょうか……」




 アズマネ様の言葉に、リーシャが却って困惑の色を強くした。

 

 どうやら、この世界の人間は本当に狩猟という文化を知らないらしい。


 どう見ても演技などではなさそうなその戸惑い方に、俺は会話を打ち切ることにした。




「ま、まぁ、わからないならいいよ。とにかく俺のことはもういいだろ? とにかく、早いとこあんたの村に向かおうぜ」

「え? あ、ああ、そうですね。早くゴライアス・ベアを村に運びましょう。そうでないといつ呪いが降りかかるかわかりませんから。……行きますよ、せーのっ!」




 リーシャはあっけらかんとそんな事を言い、柴ゾリのロープを引き始めた。




 なんだ、俺は一体、どんな世界に放り込まれたというんだ。


 釈然としない気持ちのまま、俺はあとは無言でゴライアス・ベアを引きずることにした。







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