余寒と無垢な恋情について

 俺は退屈が何なのかよく分かりません。

だって俺は、普通に過ごしててもいつだって楽しいから。

ある人はそれが俺の天性の才能だって褒めるけど、俺は別にそうは思いません。

俺は馬鹿です。

勉強はできますけど、肝心なところが抜けているってよく言われます。

明るい性格はそれの裏返しです。

馬鹿だから、別に何事も深くとらえないし、基本的に悩まないんです。

だからいつでも明るい。それがデフォルト。

疲れないのか、とかよく言われますけど、別にこれはキャラクターじゃないからなぁ、としか答え様が無いです。

まぁ、明るいからというか馬鹿だからというか。

俺は結構、人気者みたいで。

人に好かれやすいって言うのもあったけど、大体俺の近くには誰か居て、その誰かと笑い合ってるのが日常だったから。

高校2年生になって出会った人たちとの日常は、俺にとってはちょっとだけイレギュラーでした。

俺の事を特別扱いしない、人気者扱いしない、対等に笑いかけてくれる人たち。

もちろん、今までも楽しかったけど――気づいてしまったならこっちが良いな、だなんて。

俺らしくも無く、最近少しだけ思うんです。

まぁだから――俺の日常は、ちょっとだけズレて、ますます退屈を知らないものになっちゃったみたいです。


歌坂うたさかぁ、今日カラオケ行くか?」

「んー、俺今日パスで。」

「えーまたかー?まぁどうせ――今日も愛しの天野あまのさん、だろ?」

「せいかーい。また誘ってくれよ、次は行く。」

「分かったよ。またな。」

 2月中頃、ある日の部活終わり。俺はいつも通り図書館を目指していた。そこには大体いつものメンバーが、自習机を占領してダラダラしている。

 とか言って、俺、歌坂うたさか瑞月みずきもそのうちの1人なんですけどね。

「……失礼しまーす。」

「あ、歌坂君。」

「おぉ池名いけなさん。」

 池名いけな柚巳ゆずみさん。俺の友達。珍しく自習机から離れた、司書不在の貸出カウンターに寄りかかっている。奥の方の自習机へと目線をやろうとすると、どうしてか池名さんが俺の前に立ちはだかってきた。

「ん、どした?」

「え、あ、えっと……。すみません歌坂君、少しだけ待ってくれませんか……?」

「待つって、ん、何かあったの?」

「あ、いえ、そういう事では……。ただ、えっと……、わ、私も凛子りこさんに少し待つ様に言われていまして……。まだ向こうには行かない方が良いかと……。」

 天野さん居るんだ……。よっしゃ、会える。今日1日がんばった元がとれる。

「んじゃあマジマは?」

間縞まじま君は……、先に帰りました。」

「珍し、あの2人が一緒に居ないとか。」

 うーん、天野さんが1人なのは少し嬉しいけど、マジマとも喋りたかったんだよなぁ……。まぁ良いか、明日でも。

「天野さん何してんの?」

「あ、え、っと……、私も詳しくは分かりませんけど、探し物って言ってました。」

「探し物?手伝わなくて良いのかな。」

「良いって、断られちゃいました。」

「ふぅん。」

 池名さんの肩越しに自習机の方を見る。けど、誰も座っていなかった。本当に何か探しているなら、手伝ってあげた方が良い気もするんだけどな。

「――いだっ。」

 ふと、カウンターの右斜めにある本棚から天野さんの声がした。と思うと、バサバサっと本が雪崩れる音がする。

「天野さんっ。」

 俺は反射で本棚の方へと駆け寄る。そこには、床に尻もちをついている天野さんと、本がごっそり抜かれた棚、そしてバラバラに散らばった大量の本があった。

「大丈夫ですか!?」

「あ、あぁ、歌坂君か。大丈夫だよ。」

 俺は天野さんに手を差し出した。それを掴んで天野さんが立ち上がる。……珍しく無視されなかった。嬉しい。

「えっと……探し物って……。」

 俺は辺りに散らばった本を見て思わず目を見開いた。

『簡単可愛い!お菓子レシピ!』

『楽々お菓子作り!』

『材料3つのズボラお菓子大全』

それから、無言で天野さんの方に顔を向けた。

「……あー、えーっとー……。」

 バツが悪そうな顔をした後、天野さんは少し俯いてから俺をじっと見た。少し小首をかしげて、上目遣いで、小さな声で言った。

「サプライズ、しようとしたんだけど……。バレちゃったな。」

 ……俺は今日、命日らしい。


「――それでまぁ、ネットのレシピじゃ難しいからさ。」

「なるほど。図書館でレシピ本を、と。」

 結論から言うと、ちょっとしたぬか喜びだった。勿論俺にもお菓子をくれる気でいて、そのためのレシピを探していたと言っても過言では無いのだけど、メインはやっぱりマジマ宛らしい。

 マカロンを作るそうだ。池名さんと、まことを巻き込んで女子だけでバレンタインのお菓子を作る予定だったらしい。そしてサプライズで俺とマジマにくれるとのことだった。

「間縞君にはまだ言わないで欲しいんだ、できれば誰にも。」

「ん、良いけど、どうして?」

「えっとー……、間縞君にはサプライズしたいっていうのと、まことちゃんにサプライズ失敗したってバレたら、立つ瀬が無いからさ。」

「なるほど、分かった。誰にも言わないよ、約束する。」

「ありがとう。」

 俺は池名さんと天野さんと、学習机の方に戻って話していた。天野さんはレシピのページを何枚か携帯で撮ってから俺にそう話したのだ。多分、本は借りずに携帯を見ながらマカロンを作る気なのだろう。

「それでなんだけど、歌坂君。」

「え、はい、何でしょう。」

 改めて天野さんに真っすぐと見られて、俺は少し狼狽えた。まぁそんな俺をよそに天野さんはにっこりと笑った。

「まことちゃんが居るって事は、そういうことなんだけど、そこらへんちゃんと分かってくれるかな?」

……そういうこと、というと多分、天野さんはマジマの恋人のフリをするという事なんだろう。俺が天野さんが好きなのをバレてはいけないと、そういう事だ。

 地獄。嫌だ。身が裂かれそう。だがしかし。

「大丈夫だよ歌坂君、私だってそういうのは誤魔化さないさ。ご褒美の話ぐらいちゃーんと覚えてるよ。」

 ご、ほ、う、び、があるのだ。ご褒美。詳しい内容としては――キスしてくれる、らしい。その褒美の提示の仕方にあまりにも躊躇が無かったため、天野さんってもう初キス済んでるんだなーとか思ったりして少し泣きそうになる。

「いやまぁ、天野さんの頼みなら何でもやりますけどね。」

「そう?じゃあご褒美なくてもいい?」

「それは話が変わってきますね、絶対だめです。」

「ふふ、言うと思った。」

 明るくにこやかに、お上品に微笑む天野さん。俺はこの人の一挙手一投足に目を奪われがちだ。


 初めて天野さんを見た時は確か、6月だった。天野さんが転入してきた5月下旬、俺は部活の合宿で学校に居なかった。6月頭、教室に足を踏み入れて、俺は――

多分1回死んだ。

 焦げ茶色の髪、ぱっちりした二重の目、校則通り着られた制服、幼げのない落ち着いた表情と所作。――典型的なお嬢様、かと最初は思ったが、そういうのとは異なる独特な雰囲気を纏っていた。

 マジマにそれを言うと、

『……性格のおかしさでも滲みでてるんだろ。』

 とまぁ心なかったが、とにかく、美しかった。だから好きになってしまった。

そこからは早かった。まずは本人に告白した。1回目はにこやかに振られ、2回目は少し嫌そうだった。次にマジマと距離を縮めた。その時は既に、マジマと天野さんが付き合っているという話も出ていたから焦ったのだ。そしてまた告った。3回目はことごとく振られ、4回目は遮られた。5回目は新年会の時、りつさんに邪魔された。

――とどのつまり、俺は天野さんと仲良くなったのだ。

と、最近までは楽観的に解釈していたけれど。

「じゃあ、また明日。――バレンタイン楽しみにしていてよ。女子3人でどうにか作るからさ。」

「あえ、凛子さん、それって私も作るの?」

「勿論。私とまことちゃんと柚巳ちゃんの3人だよ。」

「はは、やった、いっぱい貰えるんだ。」

「まぁ君はまず、まことちゃんからの本命バレンタインしっかり貰うべきだね。」

「うっ、はい。肝に銘じます。」

「じゃあ、またね、歌坂君。」

「また。」

 そう言って校門の前で分かれた。俺の家は学生寮とは正反対なのだ。天野さんと池名さんは2人で寮の方へと歩いて行く。日は沈みかけていて、まだまだ冬の風が吹いている。

「……はぁ。」

 とっくに雪のシーズンは終わってしまったらしく、12月に一瞬降ったっきりあまり目立たなくなった。俺は少しだけ俯きながら、ジャージのポケットに両手を突っ込んでフラフラと歩く。

「……寒い。」

 そして俺は、この寒さが2月の寒さだけのせいじゃないってことを知っている。――心臓の辺りに、スカスカと風が通っていくような感覚が酷い。痛くなるぐらいにずっと、風が通っていくような、そんな感覚だ。

 天野さんには、マジマ——間縞まじま伊織いおりにしか見せない表情がある。

にやりとした、少し行儀と性格の悪そうな、そんな黒っぽい笑顔。

いつもの天野さんとは到底正反対に思える表情で、いつもより低い声で、マジマの事をしましま君、と嬉しそうにも楽しそうにも呼んで、目が深淵の様に暗く笑っていなくて、笑顔なのに睨み付けている様な、そんな表情。

 俺や池名さんと居る時でも、天野さんはマジマと2人だけで喋る時になると決まってその顔をする。笑っていなくても、雰囲気がその笑顔の時と似たものになる。

 黒く、なる、というのだろうか。

そんな天野さんが嫌いなわけじゃない。どんな天野さんでも、黒い天野さんでも、また違う美しさがあるのは間違いない。じゃあ何をそんなに気に病んでいるのか。

――マジマの前でしか、その笑顔にならないのだ。

天野さんから黒い雰囲気を感じるのは、決まってマジマと2人だけで喋っている時だけなのだ。

 俺はまだ、天野さんの事を良く知らない。知ろうと思うたびに、上手く貶される。

マジマは知っているんだろうか。天野さんの本当を。

「……やだやだ。考えない。」

 別に嫉妬とかそういう話じゃ無い。マジマに恨みも無い。ただ単に俺も知りたい、深く踏み込んでみたいってだけだ。――本人に拒絶されてちゃ、厳しいかもしれないけど。

「あっ、瑞月くん!」

ふと、項垂れていた俺の後ろから声がした。可愛らしい、あどけなさの権化の様な声だ。くるりと振り返ると――まことが嬉しそうに立っていた。

「おぉー、まことー。来てたんだ。」

「うんっ!瑞月くんは部活帰り?」

「そうだよー。まぁ、天野さんと池名さんと、そこらへんと図書館で会ってさ。ちょっと喋って来たんだー。」

「へっ、図書館であったの……?」

少し不安そうな顔をするまこと。天野さんが、まことが俺に作るお菓子のレシピ調達をしていたことを俺にバレていないか心配なんだろう。俺はにこーっと笑ってまことの頭を撫でる。

「そうなんだよー。天野さん、マジマにお菓子作るんだってさ。だからレシピ探しに来たって言ってた。」

「へあ、あぁ、そう、なんだ。」

 耳まで顔を赤くするまこと。俺はこの子の幼馴染にあたるのだけど、一応親公認の許嫁ということになっている。……なっているというか、そうなんだよね。幼い頃、まことにされたプロポーズを割と普通にオーケーしたら親がノってしまった。

「あそうだ、まこと今日ウチ来る?」

「えっと……、今日は日帰りってお母さんに言っちゃったから……。」

「そっかぁ。ん、今度俺がそっち遊びに行っても良い?」

「へ、ほんと?来てくれるの?」

「うん、久しぶりに。」

「やったぁ、楽しみにするね。――あっ、そうだ。」

 中学生とは思えないぐらい華奢で小柄な体躯で、限界まで背伸びして、俺の耳元に顔を近づけて、まことは小さな声で耳打ちした。

「ばれんたいん、あけといて、ね。」

「可愛いなおい。」

 うん、分かったよ。――って逆じゃん。

「へ、あ、えっと……?」

「ごめんごめん。バレンタインね。絶対開けとく。」

「わぁ、えへ、ありがとう。」

 それから俺はまことを駅まで送り届けて、真っ暗になる頃に家に帰って来た。ちなみに俺は実家暮らし。

「ふぅ……。」

 中々に重量級な1日だったな、なんて思いながら自分の部屋のベッドにダイブする。ジャージを適当に部屋の隅に脱ぎ捨てて、ただただ寝そべることにだけ神経を使う。

「バレンタイン、ねぇ……。」

 脳裏に浮かんだのは誰の顔だっただろうか、眠気に負けて覚えていない。


 日は飛んで、バレンタインになった。

「おっはー……って、盛大な量だな、歌坂。」

「おっはー。そうか?今年はそんな多くないぜ?」

でかめの紙袋に2袋分。去年はこれよりも多かった。――高校2年になり、絡む人が変わったのが原因だろう。別に嬉しくも悲しくもないけれど。

 本当に貰いたいのはただ1人からのバレンタインなんだから。

「歌坂君。」

 教室の、端の席――天野さんが俺を見てにこりと笑った。それからゆっくりと近づいて来て、小さな声で言った。

「放課後、図書室で待ってるよ。」

 可愛らしい、にっこりとした表情で。

「……。」

 俺はやっぱり死んだかもしれない。


 放課後、俺は部活終わりの挨拶が終わった瞬間に走り出していた。活動による疲弊が体に染みついているはずなのに、よくもまぁここまで軽々走れるんだなと我ながら疑問だったが。目指すは図書室。すぐについた。

「こんちゃあ!」

ずざざざーっと、学習机の前で急ブレーキをかける様に止まる。いつもの4人掛けの学習机には――1人しか座っていなかった。

「……へ、まこと?」

「おつかれさまぁ、瑞月くん。」

 幼い笑顔でこちらを向くまこと。どういうことかは分からないが、恐らくあの3人による計らいだろう。両手いっぱいに紙袋を持っている俺を見て、まことはくすくすと笑った。

「はい、瑞月くん。――はっぴーばれんたいん。」

 そう言って手渡されたのは、綺麗に梱包されたマカロンだった。色とりどりで、形はすこしまちまちの、手作りのマカロンだった。俺は少し反応が遅れてしまったが、紙袋を思い切り床に落としてしまった。

「……ま、ままことが、これ作ったの……?」

あのまことが?卵も割れないまことが?こんな難しそうなお菓子を……?

「うん。いっぱい、いーっぱい助けてもらったけど、まことが作ったよ。」

「……凄いなぁ、凄い。ありがとう、嬉しいよ。」

 そう言って、ぽんぽんと頭を撫でる。まことは嬉しそうに笑った。それから俺は思い出して、まことの顔をじっと見る。まことは首を傾げた。

「ホワイトデー、楽しみにしててね、まこと。」

「……うんっ!」

 それから俺はまことを連れて、靴箱の方に向かった。結局天野さんには会えずじまいで、朝のあれはこのためのブラフかと少し凹んだ。

「まこと、あっちに靴置いてるから、取って来るね。」

「分かったよ、外に居る。」

 俺は自分の靴箱を開ける。――と、思いもよらなかった。

 四角い箱が、中に置かれている。中身は生チョコのタルトっぽい。箱の側面にカードが貼り付けられていた。

――『ハッピーバレンタイン、いつもありがとう』

「……っ!」

天野さんの字だった。


 その日、まことは俺の家に泊まった。どこまでも楽しそうに笑うこの純粋な女の子が、どうしてか俺のことを好いてくれていると思うと嬉しくなった。

 だけどやっぱり、拭いきれない他の嬉しさがあった。

『あまのさーん、今日はありがとう!タルト美味しかったよ!』

まことが寝てしまった23時頃。俺は天野さんのタルトを食べながらメッセージを送った。返信は直ぐだったが、ウサギがグーサインをしているだけだった。

「……ふぅ。」

 こうして、バレンタインは終わった。

――さて、ホワイトデーはどうしようか。

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