幕間 古書店縁

「……割と田舎だな。」

 俺が天野あまの凛子りことか言うクズに出会う前の事。遡る事およそ1年前。俺、間縞まじま伊織いおりは、高校進学のために全く縁のない土地に上京してきた。おんぼろ学生寮に持てる荷物を全部押し込んで、荷解きを進めている時だった。

『あ!伊織ぃ。着いたかぁ?』

「姉貴……。着いた。何?」

件のクソ姉貴から、突然連絡があった。俺は空になった段ボールをビニル紐でくくりながら姉貴と電話する。

『いやさぁ、お前が行くところってあれだろ?××市だろ?』

「そうだよ。言ったじゃん。」

『あんなぁ、そこに私の友達住んでてさ、様子見て来て欲しんだけど。』

「友達?」

俺はちょっと面食らってから溜め息をついて、適当な嘘八百並べ立てて電話を切った。あの阿保の友達なんかたかが知れてる。絶対関わりたくない。

「はぁ……。1人暮らしだぁ……。」

 新品のカーペットの上にローテーブルを置いて、その正面に小さめのテレビを設置。その隣にはPCエリアを作った。ここに来る前に姉貴を強請って買ってもらった良い機種を折り畳みの貧相なテーブルの上に載せましたという、とりあえず形だけなものだが。ベッドは骨組みが明日届くため、今日はカーペットの上で雑魚寝する。

 高校生、しかも男子の1人暮らしだ。一応、綺麗好きではあるからそこまで散らからない様にしたいな、なんて考えながら、俺は真新しい匂いのするカーペットの上でのたうち回っていた。ふと、この学生寮の近くには何があるんだろうと思い、携帯に手を伸ばす。地図アプリを起動して、寮の住所を打ち込んでみる。

「おぉ……。」

 ちなみにこの携帯、買って貰ったばかりだ。俺がかなりの機械音痴であるため、今まで持っていなかったが、ついに携帯を手に入れた。やっぱりPCと違い、小さくて小回りが利くから使いやすい。指先で画面をスクロールをしていくと何個か情報が出てきた。

「コンビニ……は遠いな。徒歩12分って。あ、本屋がある。」

 古書店こしょてんえにし。細長い感じの外観に、大きな古い扉。少し下の方に小さく「古書店縁」という看板が吊られているのが見える。

「うお、徒歩5分。良いなコレ。」

 とりあえず、その店をウェブサイトで調べてみる。だが。

「該当結果はありませんでした……?」

口コミも、店内の写真も全く無かった。だが1つだけ、外装の写真と共に1枚のチラシの写真があった。

「バイト募集中?」

『店内の清掃、並びに書類整理が出来る方1名募集中です!時給1500円~初心者大歓迎!』

よくあるテンプレート文だが、俺は思わず目を見開いてしまった。

「1500……。」

 理想にしていた、いやそれ以上のバイトの時給額。俺はとりあえず、本屋も見たかったのでカーペットから起き上がった。


「古書店、縁……。ここか。」

 本当に寮から徒歩5分ジャストで本屋に着いた。さっき見た写真と全く違わない外観の建物が俺の目の前に建っている。俺は少し緊張しつつも扉に手をやって、押した。建付けが悪く、かなり力を込めないと開かなかった。

「……すげぇ。」

 入って直ぐ、左右の壁に所狭しと並んだ本に圧倒される。正面のテーブルセットの近くにも本が積まれていて、何処を見ても本だらけという印象だった。そして1番奥。年季の入ったワークデスクに、赤い革張りの椅子。そしてその椅子に座って、デスクに突っ伏している――緑髪の人。いや、分かんない。何か俺の知らない違う生き物かもしれない。

「あ、あの……。」

「……うぅん?お呼びかな?」

そんなことを寝ぼけたままその人は言って、顔を起こした。俺の方にじとっとした視線を送ったと思うと、あからさまに溜め息をついてまた突っ伏した。

「え、あの?」

「……もう。ひびきちゃん……、来るなら言ってよ……。」

「いや、違います。響じゃないです。」

 その言葉に緑髪のその人は驚いたように、勢いよく顔を上げて体を起こした。ちなみに、響というのは俺のクソ姉貴――間縞まじまひびきのことだ。

「え、え、え?あれ?響ちゃん……じゃない!あれぇ?」

「あぁ……弟です。響の。」

「あ、ちょっと待って思い出すから。……っとー、しおり君、だっけ?」

「違います。伊織です。」

「惜しい!」

あぁ……これあれか。この人もしかして、姉貴の友達か。そして姉貴が言ってた様子見て来て欲しいっていうの、この人の事か。最悪だよ。何この偶然。

「そっかそっかぁ、伊織君かぁ。高校生?」

「はい、春からですけど。」

 緑髪の人は嬉しそうに笑って、俺の事をテーブルセットのソファーに座らせると奥から紅茶を出してきた。

「あー、そっか。一応初対面なのか。――榎波えなみりつでーす。宜しくねぇ、伊織君。」

「宜しくお願いします。榎波さん。」

「律で良いよー。つかむしろそっちのが良い。」

 ……駄目だ。完全に姉貴の友達だ。このノリな感じ。いや、無理。できない。

「……ふふ、まぁ慣れてからでいいよー。その内強制させるけど。」

 いや、なんか矛盾してね?緑髪の人――榎波さんは俺の向かい側のソファーに座るとニコニコ笑いながら、俺を見つめていた。

「ねぇねぇー、伊織くーん。――バイトしない?」

「は?」

あまりにも唐突に言われたせいで、反射的に聞き返してしまった。榎波さんはニコニコ笑顔のままソファーの背もたれに体を預けて、足を組んで俺を見ながら首を傾げた。そのまま、至って平坦な口調で言葉を続ける。

「高校生は金に飢えてるから、上手ーく扱おうと思えば楽勝だぜぇー。」

「……響に何を吹き込まれたんですか。」

 平坦な口調とは全く合わない、何とも人を馬鹿にする台詞。しかも聞き覚えあるし。ちょっと前に姉貴が俺に向かって言った文句だった気がする。

「という訳だからさ、伊織君。」

「いやそこからの切り返しは無理です。」

 榎波さんは顎に手をやりながら困った顔をした。……いや、なぜそれで行けると思ってたんだよこの人。困ってんのこっちな?

「時給1500円。出勤は月に2回。場合によっては臨時業務がある。ここの古本読み放題。夕飯は僕が奢ったげる。……どう?」

「どうって……。」

 こんなにも大人に対して軽蔑という気持ちを抱いたのは、姉貴以外に初めてかもしれない。もはや怖い。

「悪い話じゃ無いと思うんだけどなぁー。」

「というか……ここの掃除って1人でまかり通るんですか。」

 現状物凄く散らかっているし、俺もプロ級に整理整頓ができる訳では無いのだ。

「まかり通して欲しいなぁ。とりあえず今日だけ、まぁちゃんと雇うかはさて置き、お小遣い出すから掃除してってよ。」

「えぇ……。いくらですか。」

「5000円。」

「帰ります。」

「嘘、嘘だから。ジョークジョーク。」

「……ほんとは?」

「1万5000円。」

「チョロいこの大人っ……。」

 結局3万まで引き上げが出来たため、俺は掃除して帰ることにした。とりあえず棚の埃を落として、ソファーとワークデスクを濡れ拭きして、床に掃除機とモップをかけ、窓を掃除して、散らばりまくった本を棚に戻した。それだけでもかなり見違えたのだから恐ろしい話だ。

「あ、伊織君。ちょっと見てこれ。」

「何ですか?」

手招きで呼ばれて行ってみると、榎波さんは手に中学校の卒業アルバムを持っていた。響が持っているのと同じものだから、2人は中学からの仲なのだろう。そのアルバムを開いて1枚の集合写真を指さしながら、榎波さんはニヤッと笑った。

「この中から僕の事探せたら、今日は5万渡して、バイトの話も無しで良いよ。」

「……マジで言ってます?」

嫌な笑顔で俺の様子を伺ってくる榎波さん。俺はちょっと溜め息をついてアルバムを見せて貰った。真ん中の方で大きく腕を広げてダブルピースをしている人物が目に入り嫌になる。……本当にコイツと俺は姉弟なのかよ。系統が違いすぎやしねぇか。

「あ、でもー、探せなかったらー。高校卒業するまでここでバイトして貰ってぇ、律さん、って呼んでもらおうかな。」

「……分かりました。」

 集合写真の隅から隅に目線を泳がせる。ざっと20人ほどの学生たちが思い思いに写真に写っている、よくある集合写真。俺は少し考えていたが、ダブルピースの大馬鹿野郎の隣で満面の笑みを浮かべる茶髪の女子生徒を指さした。指さして、榎波さんの顔を見る。すると、榎波さんは全力で笑いをこらえた後、吹き出して腹を抱えて笑った。

「ぶっ、はははははっ!大不正解っ!」

「え、違うんですか?」

榎波さんは暫くそこにうずくまって笑い続けていたが、すっと立ち上がって写真の隅の方を指さした。

「……え?え、これ?」

「そうそう、暗いでしょ。」

 写真の隅には、今と変わらないぐらい長い前髪で両目を隠す眼鏡の生徒が映っている。おどおどした感じで、居心地悪そうにしているのが見て取れる。

「響ちゃんと仲良くなったのは高校からでさ。中学の時は僕こんなだったから。」

 高校デビューって奴か。……偉い変わるもんだな人って。


「じゃ、また連絡するねー。バイト、宜しく。」

「はいはい、分かってますよ。」

 そんなこんなで俺は古書店縁を後にし、寮に向かう道を1人で歩いていた。ポケットにはお小遣い、というかバイト代の3万が入った封筒が押し込まれている。鼻歌を歌いながら、俺は寮までの道を歩いていた。

「……高校生、ねぇ。」

 俺は今まで、友達と呼べる友達がちゃんとできなかった。具体的な理由は無いが、典型的な人嫌いをしてきたせいだろう。人と関わって、無理をして、疲れてしまう俺にとって、友達という肩書きは重すぎて、避けて通ってきたのだ。それが功を奏し、小学校生活6年間と中学校生活3年間で、クラスメイトとまともに会話を交わしたのが数えられる程度だった。その上、律儀に取った皆勤賞で名前を読み上げられた時に本気で「え、何?誰それ」みたいな顔をされたという経験がある。

 そうそう、みんなボッチに厳しいのだ。俺は自らなりたくてボッチになっているというのに。教師とか特に、もう既に出来上がっている友情の輪に俺をねじ込むことによって、あり得ないぐらい気まずい空気にして満足しやがる。怖すぎるんだけど。

「友達……欲しいけど。」

 今更手にしたところで、それよりも大きい虚無感のオマケが付いてくるだけだろう。……あぁマジでこうも捻くれてる自分が嫌だよ本当。

「ま、できるんだったら、同じぐらい捻くれてる、歪んでる奴が良いけど。」

 濁って、光を信じないぐらい、捻くれて、歪んだ奴。そんな人居たら、俺でも仲良くなれるんだろうけど。

「――まぁ、――――――――」


「ふっふー、しましまくーん。」

「なんだよ。」

「これ、何でしょーか?」

「……ラブレター、か?」

「せいかーい。ちなみに私がワープロで作りました。」

「ワープロって……。で、それどうすんだよ。」

「ここを見て見よ。」

「……おい、何だ、この『間縞伊織より』って。」

「へっへっへ……。これをぉ?」

「……おい?」

「1軍女子の机にぃ?」

「待て、頼むからそれ以上動くな天野。」

「イーン!」

「……取れ。」

「嫌だよー。自分で取りなよ。」

「授業休みそろそろ終わるし、俺がこの人の机触ってたら変だろうが。お前取れ。」

「あ、ほんとだねぇ。そろそろこの机の持ち主戻ってきちゃうねぇ。」

「しかもお前……めちゃくちゃ奥の方に入れやがって。」

「おっと、持ち主そろそろ帰ってくるよ。見えた。」

「は、ちょっとマジで。頼むから。天野様、お願いします何でもするんで。」

「馬鹿だなぁしましま君。この状況において、それ呑むよりも今の状況の方が、私は全然面白いんだから。吞んだって良い事ないじゃない。」

「いや、あのほんとに。頼むって。取れ下さい。」

「ふふふ、まぁまぁ。フラれても慰めてあげるからさ?」

「おい、ちょい待――」


――まぁ、そんな奴と実際友達になんかなったら、良い事無さそうだけどな。

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