第132話
自分はその場に存在しない者に幻想を見たのだろうか。
疲れや歳のせいだとは思いたくない。
年齢を重ねたとはいえ日々の鍛錬は怠らず、その内容も全盛期と遜色ないはずだ。
剣速や反応速度はやや落ちた。
しかし、剣技の研鑽は今尚続き、それを補ってあまりあるほどだ。
加齢による衰えがあったとしても、そのような勘違いを抱くほど妄想家ではない。
あの気配は現実のものだったはずだ。
ドルトは消化不良のまま、先ほどの事象を何度も思い返していた。
「お茶が冷めてしまいましたね。入れ直します。」
遠慮がちにかかった声に我に返った。
「ああ、すまない。少し考えごとをしていた。」
声をかけてくれたのは黄昏亭で働くメイドである。
ここに来て十数年のベテランで、ドルトとも面識があった。
メイドといっても様々だ。
貴族邸や大商人宅に奉公するハウスメイドもいれば、宿泊施設の客室担当従業員であるルームキーパーもそれに含まれる。
彼女はそのどちらもこなし、賓客の対応もできる優秀な人材のようだった。所作に関しても、ドルトの屋敷にいるメイドたちと何ら劣るところはない。
「差し出がましいかと思いますが、先ほどお預かりした上着の内ポケットから封書の様なものがはみ出しておりました。大事な物でしたら、お持ちいただいた方がよろしいかと思われますが。」
このメイドは相手が誰であれ、臆せずにものを言う。
もちろん、相手のことを考え、その人間性によって物腰や言い方も変えているのだろう。ちょっとした気遣いで助けられることも多かった。
「封書?」
そんなものを上着に入れたおぼえはなかった。
重要な物なら、そんな所に入れて上着を預けたりもしない。
「お持ち致しましょうか?」
「ああ、頼む。」
「かしこまりました。」
メイドはすぐに部屋の隅にあるワードローブに歩み寄った。
ここは黄昏亭の館内でも、オーナーが商談や友人との談話に使用する応接室である。賓客をもてなす場合もあるため、上衣や荷物などはクロークで預からずに室内のワードローブに入れるようにしてある。
預かったものを目の前で保管することで、紛失時に盗った盗らないのトラブルをなくすための措置なのだ。
さすがにドルトとは旧知の間柄なため、預ける所持品については口頭で伝えるにとどまる。その結果、今のようなやり取りとなった。
余談だが、これがそれほど懇意にしていない間柄なら、書面により所持品リストを作成して預かり証の受け渡しまで行うそうだ。
相手が貴族や大商人ともなると、それほどの対策を施さなければどこに落とし穴があるかわからない。
ナオがかつていた世界でも、日本の永田町は魑魅魍魎が跋扈する場所だといわれている。こちらの世界の政治や経済に関わる者たちも、やはり同じようなものだといえるのだった。
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